クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

編集者といく羽生城めぐりは?(19) ―小田原城攻め―

2010年12月29日 | 羽生城跡・城下町巡り
上杉謙信に属した羽生勢の最初の仕事は、
小田原城攻めへの参陣である。

永禄3年8月に初めて関東へ越山した謙信に、
関東の諸将は従属の意を示した。
翌年、謙信が小田原城に着陣したとき、
城を取り囲んだ兵は11万5千余騎に及んだ。

その頃作成された上杉方の史料「関東幕注文」には、
「羽生之衆」として書き記されている。
広田直繁と川田谷(木戸)忠朝ら「羽生之衆」は、
忍城主成田氏らとともに第2陣に布陣。
先陣には、岩付城主太田資正らがいた。

11万5千騎の圧倒的な大軍の前では、
落城は時間の問題と思われる。
しかし、天文15年の河越夜戦のような前例もある。
油断はできない。

それに、小田原城の守りは固い。
謙信の感情の起伏の激しさを鑑みて、
「籠城シ、彼血気ヲ属シ、兵力ヲ疲弊セシメ」の作戦に出た北条氏康は、
下手に戦を仕掛けるのを避けた。

しかし、先陣と第2陣に布陣した武将たちの士気は高い。
太田資正は3千5百騎を率いて城を攻める。
蓮池門まで攻め入り、新たな城兵が現れても、
「運ハ天ニアリ、一人残ラズ討死セヨ」と槍をとって戦った。

第2陣の1万2千余騎も奮戦する。
太田資正の士気に触発された彼らは、
城の北東より攻める。
広田直繁、川田谷忠朝が目の当たりにする大戦だった。

そんな戦闘の中、謙信はカリスマ性を見せる。
蓮池門まで自ら馬を進めると、
城兵たちの前で弁当を取り寄せ、堂々と茶を飲むのである。

城兵たちは千載一遇とばかりに鉄砲を構える。
そして、謙信に狙いを定め、引き金を引く。

ところが、一発も当たらない。
たまたま手元が狂っただけ。
次こそは外さない。

城兵たちは再び玉をこめると、謙信を狙った。
しかしまたしても一発も当たらなかった。
もう一度撃っても、左の袖と鎧の鼻に当たっただけで、
謙信は無傷だった。

元より毘沙門天の化身と言われた謙信である。
武神の加護を受けているに違いない。
謙信は茶をゆるゆる三服のむと、悠々とその場から立ち去った。
その姿に敵も味方も目を奪われ、
同時に畏れを抱かない者はいなかった。

広田直繁と川田谷忠朝も、そんな謙信を目の当たりにしていた。
この方こそ神の化身。
敵味方も越えた聖将である。
二人は呆然と謙信の姿に見取れていた。

しかし、その謙信をもってしても小田原城は落ちなかった。
兵粮が乏しくなり、また武田信玄が不穏な動きをみせたため、
謙信は一旦退却する。
そして、鎌倉の鶴岡八幡宮に向かうのだった。


小田原城(神奈川県小田原市)

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