クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“羽生城”へ行きませんか?(63)―大久保彦左衛門の二俣の竹―

2008年10月11日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
大久保彦左衛門は羽生領の内、
川俣・発戸・常木の2千石を領していた。
彦左衛門の屋敷跡は伝えられないが、
羽生城中にいたのだろう。
ただし、城主でも城代でもなかった彦左衛門は、
城の中でややもすると浮いた存在だったかもしれない。

彦左衛門が領した“常木”(現羽生市常木)には、
“常木神社”が鎮座している。
もとは“雷電神社”といい、
昭和20年に現在名に変わったという。
この常木地帯は雷の多発地帯であり、
村人たちは畏怖する一方で実りをもたらす雷を信仰していたのだろう。

実はこの神社には、彦左衛門が奉納した“二俣の竹”があった。
彦左衛門が当社を訪れたとき、
境内に生えていた二俣の竹が目に留まった。
従者にそれを切らせたところ、
空はみるみる真っ暗になり、雷鳴が轟いたという。
その雷鳴の激しさに従者は気絶したほどだった。
そして、雷は数日間やむことがなかったと伝えられる。

境内の竹を勝手に切り、雷電様の怒りに触れたと考えた彦左衛門は、
その罪を詫び、竹に銘を彫って神社に奉納した。
ときに、慶長3年(1598)8月1日のことであった。

この二俣の竹は現存している。
雷が数日間やまなかったというのは大げさだが、
雷多発地帯の常木で、突然雷鳴が轟くことは珍しくはない。
ちょうど雷電神社の境内でそのようなことが起こったので、
おそらく人々は畏怖したのだろう。
二俣の竹は大久保彦左衛門の羽生在住時代のエピソードを伝えるものとして、
大切に代々伝えられてきた。

ところが、心のない者が神社に侵入し、
二俣の竹を盗んでしまう。
したがって、いまの常木神社には二俣の竹はない。
市内の東谷天神社(古城天満宮)にも二俣の竹はあるが、
こちらは銘がないものである。
貴重な資料がまたひとつ羽生から失われた。

しかし、数年前に武田神社の資料館を訪ねたところ、
この大久保彦左衛門の二俣の竹が展示されているのを偶然見掛けた。
盗難後、どんな経緯でそこに辿り着いたのだろう。
いまも展示されていれば、
武田神社で見ることができるはずである。
近世とはいえ、上杉謙信方であった羽生領の資料が、
武田神社に展示されていたことは、
いささか興味深い……
(続く)


常木神社本殿。
人が見えるのは社寺調査の様子である。
羽生の社寺調査は羽生郷土資料館・羽生市教育委員会で数年前から行われている。
二俣の竹が失われてしまったことは残念でならない。


同上


同上

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 10月11日生まれの人物は?(... | トップ | 10月12日生まれの人物は?(... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
心が洗われる (牧田@宮口式記憶術マスター)
2008-10-11 13:04:59
静かそうなところですね。

私もこういった場所を
巡り歩きたいです。
返信する
牧田@宮口式記憶術マスターさんへ (クニ)
2008-10-12 03:20:11
コメントありがとうございます。
おっしゃるように、常木神社周辺はとても静かです。
のどかでほのぼのしていて、
日常の慌ただしさを忘れさせてくれます。
ちょうどいまくらいの季節だと、
散歩はある意味“癒し系”です(^^)
返信する

コメントを投稿

羽生城をめぐる戦乱の縮図」カテゴリの最新記事