里見義弘の出陣、太田資正との合流、太田康資の内応……
国府台合戦へともつれ込むその流れを、
好機と捉えるか、怖じ気づくかは大将の度量次第だろう。
北条氏康は、「秩父」「西原」両氏に出陣の催促をする。
いささか急な出陣だったのだろう。
武装して腰兵糧をつけ、
兵糧の準備なくば着陣した江戸で借りよと伝えている。
明日五日、自当地具足ニて腰兵糧乗馬ニ付、各懸候、
然者、必々明日昼以前ニ当地へ可打着候、兵糧無調無者、
当地ニて、可借候、自元三日用意ニ候間、陣夫一人も不召連候
(「西原文書」)
一般的に荷駄隊が兵たちの食糧をまかなうのだが、
その隊を引き連れず、腰兵糧だけ持って来いと言っているのである。
合戦は、兵糧の有無によって勝敗が決まると言っても過言ではない。
「腹が減っては戦さはできぬ」という言葉があるように、
いつの時代も空腹と油断は大敵だ。
敵を倒すエネルギーがなければ、戦さもまかりならない。
かつて、上杉謙信と武田信玄が後北条氏の小田原城を攻めたが、
ついに落とすことはできなかった。
それは城の堅固さと、寄手の兵糧不足によるものである。
そこで豊臣秀吉は兵糧の補給ルートを確保して小田原を攻め、
ついに落としたのである。
ちなみに、一兵あたりどのくらいの兵糧が配給されたかというと、
水は一日一升(1.8リットル)、
米は六合(900グラム)だったと『雑兵物語』は伝えている。
米は一度に多く渡すと、酒にしてしまう者もいるため、
5日分以上の量は渡さなかったという。
戦場は飢饉であり、乞食の暮らしを手本にするよう同書は伝える。
また、喉の乾きも半端ではなかったに違いない。
激しい乾きにどう対処したかというと、“梅干し”である。
息が切れるようになったら、打飼袋の底に入れてある梅干しを見る。
決してそれを食べても舐めてもいけない。
命のある内はその梅干しを後生大事にし、
口の中からしみ出る唾液で乾きを癒せとしている。
また、“死人の血”や“泥水の上澄み”も挙げている。
『花の慶次』(原哲夫)でも、父が自ら腕に傷をつけ、
そこから流れる血で乾きを癒すよう慶次に言うシーンが登場する。
戦場の過酷さが生々しく伝わってくるではないか。
テレビドラマでは、鉄砲を撃ち、槍を交える戦闘シーンが多く描かれるが、
その裏では、飢えや喉の乾きとの戦いでもあったと言えよう。
何日も籠城する武将や、上田城から慌てて関ヶ原に向かう総大将が、
無精ひげも生やさず、綺麗な顔をしているドラマなどは、
魅せる合戦を描いているようで興ざめする。
斬ったらすぐ死ぬ、血も出ない時代劇。
そういう描写が過ぎると、史実をねじ曲げてしまう恐れさえある。
戦さは決してかっこいいものではなかった。
すさまじい乱取りが横行し、人身売買も行われていたのである。
北条は国府台へ向かい、そこで里見・太田軍と衝突した。
東国屈指の激戦となった第2次国府台合戦は、
3000人余の死者を出す戦さとなり、北条軍が勝利する。
そこには目を覆うような光景が広がっていたのだろう。
腰兵糧は役に立ったのだろうか。
『雑兵物語』は言う。
敵と戦って死ぬのは本望だが、
食糧に困って餓死するようでは、
乞食がくたばったのと同然ではないか、と……
国府台合戦へともつれ込むその流れを、
好機と捉えるか、怖じ気づくかは大将の度量次第だろう。
北条氏康は、「秩父」「西原」両氏に出陣の催促をする。
いささか急な出陣だったのだろう。
武装して腰兵糧をつけ、
兵糧の準備なくば着陣した江戸で借りよと伝えている。
明日五日、自当地具足ニて腰兵糧乗馬ニ付、各懸候、
然者、必々明日昼以前ニ当地へ可打着候、兵糧無調無者、
当地ニて、可借候、自元三日用意ニ候間、陣夫一人も不召連候
(「西原文書」)
一般的に荷駄隊が兵たちの食糧をまかなうのだが、
その隊を引き連れず、腰兵糧だけ持って来いと言っているのである。
合戦は、兵糧の有無によって勝敗が決まると言っても過言ではない。
「腹が減っては戦さはできぬ」という言葉があるように、
いつの時代も空腹と油断は大敵だ。
敵を倒すエネルギーがなければ、戦さもまかりならない。
かつて、上杉謙信と武田信玄が後北条氏の小田原城を攻めたが、
ついに落とすことはできなかった。
それは城の堅固さと、寄手の兵糧不足によるものである。
そこで豊臣秀吉は兵糧の補給ルートを確保して小田原を攻め、
ついに落としたのである。
ちなみに、一兵あたりどのくらいの兵糧が配給されたかというと、
水は一日一升(1.8リットル)、
米は六合(900グラム)だったと『雑兵物語』は伝えている。
米は一度に多く渡すと、酒にしてしまう者もいるため、
5日分以上の量は渡さなかったという。
戦場は飢饉であり、乞食の暮らしを手本にするよう同書は伝える。
また、喉の乾きも半端ではなかったに違いない。
激しい乾きにどう対処したかというと、“梅干し”である。
息が切れるようになったら、打飼袋の底に入れてある梅干しを見る。
決してそれを食べても舐めてもいけない。
命のある内はその梅干しを後生大事にし、
口の中からしみ出る唾液で乾きを癒せとしている。
また、“死人の血”や“泥水の上澄み”も挙げている。
『花の慶次』(原哲夫)でも、父が自ら腕に傷をつけ、
そこから流れる血で乾きを癒すよう慶次に言うシーンが登場する。
戦場の過酷さが生々しく伝わってくるではないか。
テレビドラマでは、鉄砲を撃ち、槍を交える戦闘シーンが多く描かれるが、
その裏では、飢えや喉の乾きとの戦いでもあったと言えよう。
何日も籠城する武将や、上田城から慌てて関ヶ原に向かう総大将が、
無精ひげも生やさず、綺麗な顔をしているドラマなどは、
魅せる合戦を描いているようで興ざめする。
斬ったらすぐ死ぬ、血も出ない時代劇。
そういう描写が過ぎると、史実をねじ曲げてしまう恐れさえある。
戦さは決してかっこいいものではなかった。
すさまじい乱取りが横行し、人身売買も行われていたのである。
北条は国府台へ向かい、そこで里見・太田軍と衝突した。
東国屈指の激戦となった第2次国府台合戦は、
3000人余の死者を出す戦さとなり、北条軍が勝利する。
そこには目を覆うような光景が広がっていたのだろう。
腰兵糧は役に立ったのだろうか。
『雑兵物語』は言う。
敵と戦って死ぬのは本望だが、
食糧に困って餓死するようでは、
乞食がくたばったのと同然ではないか、と……
慶次の魅力が作品の魅力だと思います。
前田慶次は歴史好きでなければ、あまり馴染みのない人物かもしれません。
でもゲームに登場していて、かなりの剛胆ぶりを見せているので、
最近では女性にも人気の人物かもしれませんね。