クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

大食らいの女(4)

2007年01月13日 | ブンガク部屋
春休みが訪れ、やがて桜の花が咲き始める頃、
思い出したようにミサキから電話がありました。
「ねえ、これから「伊勢屋」のラーメン食べに行かない?」
と、まるで昨日会ったばかりのような口調で言いました。
「これから?」
「お昼食べちゃった?」
「これから食べようと思ってたところだけど……」
「じゃあ、いいじゃん。久しぶりに食べようよ」
受話器の向こうでミサキは笑いました。
ぼくが口を開きかけると、電話はそこで切れてしまいます。

ぼくは呆気にとられましたが、すぐに支度をして家を出ました。
緊張なのか期待なのかよくわからない心臓の鼓動に包まれます。
夕方にシホやカズエたちと会い、夜桜を見に行く約束をしていましたが、
そのことは一瞬忘れてしまいました。
ぼくは自転車に乗って力一杯ペダルを踏み込みます。
そして、「伊勢屋」へ向かいました。

「伊勢屋」に着くとミサキはすでに店内に入っていて、
読み古された漫画を読んでいました。
「早かったね」と、ぼくを見付けて手を振ります。
「うん、急いできた」
「顔、赤いよ」
「そう?」
「ほっぺがリンゴみたい」
ミサキはくすぐったそうに笑います。
春の静かな昼下がり、店内にはちょうど客が引けたところだったようです。
作業着を着たおじさんが数人いるだけで、ひどく空いていました。
「こうして「伊勢屋」のラーメン食べるの久しぶりじゃない?」
「ダイエットはもうやめたの?」
「うん、もういいの。前みたいにいっぱい食べるの」
「その方がミサキらしくていいよ」
彼女は鼻の頭を掻いて微笑みます。
お互い口をきかなかった3学期が嘘のように、ぎこちなさはまるでありません。
髪型も恋人ができる前に戻り、心なしか肌の血色もよくなっていました。
「前より肌の張りがよくなったんじゃない?」とぼくは言います。
「そう? また食べるようになったからかな」
「我慢は体の毒だね」
「それとね、おそば屋さんでバイトを始めたの」
ミサキは両手の指を組んだり離したりしながら言いました。
「へえ、どうして?」
「それが自分でもよくわからないの。貼り紙見たら何も考えずにお店に入っちゃった」
「どこのおそば屋さん?」
「うちから自転車で10分くらいの店」
ミサキは店名を言いましたが、ぼくは1度も入ったことのない店でした。
「つまみ食いばかりしてるんじゃない?」
「ううん、そんなことしなくても店長がいっぱい食べさせてくれるの」
「バイトなのに?」
「そのお店は食事付きなのよ。わたしがいっぱい食べるって知ったら、毎晩特盛りにして出してくれるの。……男の子より多いのよ」
「気前がいいね」
「だからバイトに行くのが楽しくって……」
彼女は朗らかに笑いました。
秘かに店長に恋をしているのではないかと思いましたが、訊くのはやめました。
そんな雰囲気ではなかったし、彼女は純粋に食べることを楽しんでいるようで、
ややもすると仕事へ行っている感覚ではないのかもしれません。
いままでバイトの「バ」の字も口にしたことがなかったのだから……。

「伊勢屋」の店員さんが来て、ぼくたちに注文を訊ねます。
「特盛り3つ」と、ミサキは言いました。
「3つ?」
ぼくと店員さんは思わず声を合わせてしまいます。
「もうひとりお連れさんが来るの?」
「ううん、わたしが2つ食べるの」
彼女は平然とそう言います。
店員さんが目を丸くしたのは言うまでもありません。
「そんなに食べられる?」とぼくが訊きます。
「今日ならいけそうな気がするわ」
ミサキは胸を張りました。
それはまるで、いままで食べなかった分を取り戻すかのようでした。

結局特盛りラーメン3つの注文を通します。
ついでにモツ炒めも追加しました。
「今日もバイト?」
「そう、夕方から。今度あなたも食べに来てよ。店長に頼んで奮発してあげるから」
「そんなことしたら行きづらいよ……」
「大丈夫。うちの店すっごく美味しいんだから。わたしがいる内に来ないと損よ」
「そうだな……ミサキのせいで店の帳簿が火車になる前に行くよ」
「何それ。わたしはそこまでがっついてないわ」
ぼくたちはクスクス笑いました。
ああ、ミサキだ……と、ぼくは内心思います。
声音も口調もよく笑うところも、以前の彼女に戻っていました。
自分の居場所にいるような安心感、安らぎ。
ぼくの心は春の木漏れ日の中にいるように穏やかで、
やはりミサキのそばにいたいという思いが強くなるのを否めませんでした。
「ねえ」
そのとき、ミサキの顔から笑みが消えました。
急に変わったその雰囲気に不安がよぎります。
「ん?」
「今日みたいにさ……これからまた……あなたを誘っていい?」
彼女はぎこちなくそう言いました。
両手の指をモジモジ絡ませながらぼくを見ます。
「あ、当たり前だろ」
ぼくの声は上擦ってしまいます。
「本当に?」
「「伊勢屋」のラーメン好きだし」
「ラーメンだけじゃないよ。須影の焼き肉屋とか、用水路沿いのお好み焼き屋とか……」
「誘ってくれたらどこにでも行くよ」
その言葉を聞いて安心したように、ミサキは笑顔を浮かべました。
「よかった……」
「オレも誘っていい?」
一瞬キョトンとしましたが、すぐに頷きます。
「いいよ。でも大盛りのお店にしてね」
「高くて量の少ない店は嫌なんでしょ?」
「だってお腹いっぱいにならないじゃない」
彼女はまた両手を組んだり離したりしました。
でも、本当はどこでもいいよ、とミサキは言います。
「わたしわかったの。あなたと一緒に食べているときが一番美味しいって」

そのとき特盛りラーメンが運ばれてきました。
濛々と湯気を立て、かなりの迫力です。
テーブルの上に乗せると、すぐにいっぱいになってしまいました。
メニューや調味料を隣の席に移し、
ようやくモツ炒めを置くスペースができました。
店内の客も驚いた顔をしてぼくたちのテーブルを見ていましたし、
厨房からも店主らしき人が顔を出しているのがわかります。
しかし、ミサキはそんな視線を気にする様子はありません。
割り箸を手に取ると、嬉しそうに顔を綻ばせながら箸を割るのでした。
「本当に食べられる?」
「うん、前からやってみたかったの」
「頼もしいね」
ああ、食べてしまうんだろうなと、ぼくは思います。
彼女は大食らいの女です。
誰もが目を疑うボリュームを難なく平らげてきたし、
残したところはいままで1度も見たことがありません。
もしかすると、3杯目の特盛りラーメンも注文しかねないでしょう。
店員さんも客もみんな彼女に注目し、店内は妙な静けさに包まれていました。
ミサキはレンゲでスープをひと口飲み、「よし」と気合いに似た声を出します。
そして、勢いよく麺を啜り始めるのでした。

〈了〉

※繰り返しになりますが、ラーメン店「伊勢屋」は実在する店です。
 また、「ミサキ」やその他の登場人物が本当に存在するかどうかも、
 やはり読者様のご想像にお任せしたいと思います。
 ただ、もし「伊勢屋」へ行ったら店内をそっとチェックしてみて下さい。
 特盛りラーメン2つを食べている女がいるかどうかを……。

鳥邦仁
コメント (6)
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羽生城主の系図はなぜ3つの姓が見えるのか? ―論文(7)―

2007年01月13日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
〈広田氏と木戸氏〉
直繁と忠朝が史上初めて名前が登場するのは、
天文5年(1536)小松神社に寄進した三宝荒神であることはすでに述べた。
そこには両人の姓は刻まれておらず、「直繁・忠朝」とあるのみである。
次に両人の名前が現れるのは永禄三年の上杉謙信の判物で、
そこには「広田・河田谷一跡事」とある。
さらに永禄4年の「関東幕注文」には羽生之衆として「広田式部大輔」
「河田谷右衛門大夫」とあり、同5年に忠朝が林平右衛門尉に送った書状には
「河田谷右衛門大夫忠朝」と記されていることから、
直繁は「広田」、忠朝は「河田谷」の姓を称していたことがわかる。
直繁と忠朝は木戸範懐(のりやす)から分かれた孝範の系統だ。すなわち、

 範懐―孝範―女―範実―直繁・忠朝

となるのだが、初期の段階で直繁と忠朝は共に木戸姓を名乗っていない。
初めて木戸姓を使うのは直繁ではなく、弟の忠朝である。
永禄9年3月に忠朝が正覚院(羽生市南3丁目)に出した判物には、
「木戸忠朝」と記されており、越相同盟が成立した直後の同11年9月、
忠朝は足利義氏から木戸姓を名乗ることを許可されている。

その一方で、直繁は終始一貫して広田姓を使っている。
このことが長きにわたって羽生城史から忘れ去られてしまうことになるのだが、
なぜ直繁は木戸姓を継がず、広田姓を名乗っていたのか。
また忠朝もなぜ初期に河田谷を称していたのか?
この広田氏、木戸氏の関係については、冨田勝治先生の研究に詳しい。
「羽生城展」(平成3年羽生市立図書館開催)のパンフレット所収の「羽生城主廣田・木戸氏系図」を元に、
その両氏のつながりを簡単に記すと次のようになる。

木戸範懐―木戸孝範―孝範の女
                  |――木戸範実
菅原道真…広田為景…広田朝景   |――広田直繁・木戸忠朝
                   月清正光大姉

木戸範懐の息孝範(たかのり)は太田道灌の客将で歌人でもあり、
その歌学が範実(のりざね)に受け継がれていることは、
のちに著す多くの歌集から窺える。
広田氏は菅原道真を祖とし、「正能系図」によれば広田為景は忍太郎の息である。
為景が「忍」から「広田」の姓に改めたのは、
忍保広田郷(埼玉郡川里村大字広田)に移り住んだからとされる。
その居館場所として広田村(現鴻巣市)に残る、番場、三ヶ谷戸、
矢場の小名が挙げられるのだが、ちなみに「忍保」とは国衙領を意味し、
広田氏は在地的領主ということになる。

広田氏との関係は、為景の子広田朝景が孝範の娘と婚したことから生じる。
その間に生まれたのが範実であり、
のちに月清正光大姉と婚して直繁、忠朝をもうけるのである。
範実は木戸姓を称し、忠朝―重朝・元斎がその姓を継ぐ。
直繁は祖父朝景の広田姓を称し、息為繁(ためしげ)は菅原姓を名乗っている。
広田氏と木戸氏の結びつきは、
忠朝の名が広田朝景の偏諱を用いていることからも窺えよう。

このように「広田」「木戸」「菅原」の3つの姓が見られるが、
直繁と忠朝が上杉謙信に属し共に行動していることから、
両氏はすでに一体化していたと考えられる。
在地的基盤の弱い彼らは、近隣の領主の結びつきを強め、
同じ姓を称することによって地盤を固めようとしたのではないだろうか。
すなわち、近隣領主との関係性を示し、
小松神社をはじめとする寺社へ積極的に働きかけることで、
基盤の弱さを埋めようとしたのである。

先に述べたが、木戸氏がいつ羽生に住んだのか定かではない。
木戸孝範の娘が広田朝景と婚したときに羽生へ移ったとしても、
城は存在していなかったはずだ。
それは、文明十年(一四七八)に長尾景春が「羽生峰」に陣をとったと
太田道灌の書状にあるように、城や砦が存在した気配はないし、
その前後においても同様のことが言える。
つまり、木戸氏が羽生城主として近隣領主と関係を結んでいったのではなく、
のちに竹の内館を築いたときにはすでにその結びつきは確立されていたのである。
そして、在地的基盤の弱かった彼らはその関係性を示すために、「広田」
「菅原」姓を用いたのではないだろうか。

忠朝が初期に称していた「河田谷」も埼玉県桶川市に見られ、
やはり同様のことが考えられる。
木戸姓を用いる初出は永禄9年正月で、皿尾城主時代の頃である。
兄の直繁がなぜ木戸姓を継がなかったのか、そのいきさつは不明だ。
直繁が基盤を固め、忠朝が城主として統治していく体制だったのだろうか。
それとも、上杉謙信の何らかの政治的意図が絡んでいたのかもしれない。

以上、木戸氏の小松神社等の積極的な働きかけと、姓の問題を合わせて検討してみたが、
いずれも在地的基盤を固めるためであったことが推測される。
木戸氏が羽生に来たとき、その中心となっていたのは範実だったかもしれない。
しかし、それはあくまでも領主的性格のもので、木戸氏を「城主」と呼ぶには
竹の内館の建設、東谷への拡張を待たなければならない。
(「論文(8)」に続く)

※画像は騎西城(埼玉県騎西町)から見た北武蔵の風景です。
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向井千秋(菅野美穂)になりきって読みたい1冊は?

2007年01月13日 | レビュー部屋
日本人女性で初めて宇宙へ行った“向井千秋”。
群馬県館林市で生まれ、外科医から宇宙飛行士になった女性です。
その軌跡が「女の一代記 向井千秋」(フジテレビ)で描かれました。
主演“菅野美穂”、その夫役は“石黒賢”。
さてここで、面白いランキングを紹介したいと思います。
すばり「宇宙に旅立つ前に読みたい一冊」です。
これは『ダ・ヴィンチ読者7万人が選んだこの一冊』に所収されたもので、
そのベスト5を以下のとおりです。

1位 星の王子さま(サン=テグジュペリ)
2位 竹取物語
3位 銀河鉄道999(松本零士)
4位 宙ノ名前(林宗次)
5位 11人いる!(萩尾望都)

やはり『星の王子さま』は圧倒的強さです。
子どもから大人まで幅広く人気を獲得しています。
これには、もしかしたら星の王子さまに出会えるかもしれないという
期待感も含まれているようです。
ちなみにぼくの好きな『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)は第9位でした。
手塚治虫の名作『火の鳥』は第7位。
さすがに『エイリアン』はランク外のようです。

それにしても宇宙への旅行がもはや夢物語ではなくなった現代に、
一般の人が気軽に宇宙へ旅立つ日はそう遠くはないかもしれません。
現在の国内旅行の感覚くらいに身近になったら、
当然宇宙へ本を持っていく人も現れるはずです。
窓の外できらめく星々をろくに見ようとせず読書に没頭……。
地球からどこかの惑星へ“通勤・通学”となったらもう本は手放せません。
さすらいのひとり旅に太陽系を巡ってみたり、
失った恋を京都ならぬ金星に埋めたりと、
いろいろな宇宙旅行の形があるでしょう。

そんな時代になったら、向井千秋さんが宇宙へ飛び立った1994年という時代は、
人々の目にどう映るのか……。
温暖化の影響で、暖冬や爆弾低気圧の発生などと、
深刻な環境問題を抱えている地球ですが、
いつまでも美しい星であるようひとりひとりが心がけていかなければなりませんね。

※画像は“星の王子さま”(岩波書店)です。

参考資料
ダ・ヴィンチ編集部『ダ・ヴィンチ読者7万人が選んだこの一冊』メディアファクトリー
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1月13日生まれの人物は?(たばこの日)

2007年01月13日 | 誕生日部屋
1月13日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

狩野永徳 (日本画家)
阿刀田高 (小説家『ナポレオン狂』)
相米慎二 (映画監督『セーラー服と機関銃』)
伊藤蘭 (俳優・歌手(キャンディーズ))
八木啓代 (歌手・小説家・ジャーナリスト)
秋本奈緒美 (俳優)
大島美幸 (お笑い芸人(森三中))
平山あや(平山綾) (タレント)
設楽りさ子 (タレント・俳優)
長山洋子 (歌手)
真矢 (ミュージシャン(LUNA SEA))
Tama (ミュージシャン(CASCADE))
SAM (ダンサー(trf))
CHARA (シンガーソングライター)

ちなみに、この日起きた事件は以下のとおりです。

源頼朝 (初代鎌倉幕府将軍)死去(1199)
東京でマイナス9.2度を記録。東京の最低気温記録 (1876)
ジェームス・ジョイス(小説家『ユリシーズ』)死去 (1941)
三河地震M7.1(1945)
高級たばこ「ピース」発売。10本入りで7円。以来この日は“たばこの日”(1946)
美空ひばりがファンに塩酸をかけられ負傷 (1957)
舟橋聖一(小説家・劇作家『花の生涯』)死去(1976)
全日本フィギュアスケート選手権大会女子シングルで伊藤みどりが初優勝 (1985)
山形で中学1年生がいじめによりマット窒息死 (1993)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“安定と上昇を求める人”とのことです。
誕生花は「ストレリチア」、花言葉は「気どった恋」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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