立花先生くらい美人だと、生徒だけでなく、
教員の間でも人気があったのだと思います。
それに「エロい目」で見ている教員は、
教頭先生だけではなかったのでしょう。
立花先生はぼくたちの知らないストレスを抱えていて、
それを解消するためにこの水上ゴルフ場へ足を運んでいたようでした。
ぼくも先生に促されて何度かゴルフボールを打ってみます。
しかしスズヤンといいレベルで、翌日のテストのことを考えて打っても、
飛距離は逆に縮む一方でした。
そんなぼくを見かねたのか、立花先生はぼくの手の上からグリップを握りしめ、
フォームを教えてくれます。
その予期せぬ課外授業(?)に、全身が強張ったのは言うまでもありません。
脈打つ心臓の音を聞かれてしまうのではないかと本気で心配したほどです。
先生の手の温もり、すぐそばで揺れる長い黒髪、
ほのかに背中に感じる胸の膨らみ……。
中学生のぼくには刺激が強すぎて、フォームどころではないのでした。
先生はスズヤンにも同じようにフォームを教えます。
彼の顔がみるみる赤くなるのがよくわかりました。
先生の言葉など耳に入っていなかったに違いありません。
茹でられたフナのような顔をして、成されるがままになっているのでした。
そんな彼を見て、ぼくはささやかな嫉妬を感じたのを覚えています。
「今度は私に釣りを教えてくれないかしら?」
立花先生がそう言ったのは、ゴルフボールをほとんど打ち終えたあとのことでした。
西日はさらに傾き、辺りは絵に描いたようなオレンジ色に染まっていた。
「いいけど、たぶん釣れねぇよ」と、スズヤンが言います。
「1度やってみたかったの」
先生はまるで意に介する様子もありません。
「釣りしたことないんかい?」
「小さい頃祖父と近所の沼で釣りしただけなの。そのときも三田ヶ谷の沼だったのよ」
「あれ、先生は羽生育ちなん?」
「そうよ、知らなかったの?」
ぼくとスズヤンは同時に頷きました。
田舎臭いところのない先生は、
羽生とは縁遠い場所の出身と勝手にイメージしていたのです。
「じゃあずっと羽生なんかい?」と、スズヤンは声を少し大きくして言います。
先生はクスクス笑いました。
「大学時代は東京で暮らしていたのよ」
「あ、やっぱし。先生は羽生っぽくねえもん」
「そんなことないわよ。体に羽生が染み込んでいるもの」
「言葉だって訛ってねえで」
「直したのよ。大学に入って初めて自分の言葉が訛っていることに気付いたの。“なすりつける”を“なびる”って言ったら友だちに大笑いされたわ」
先生は気恥ずかしそうに微笑みます。
ぼくは羽生弁を話す彼女を想像しましたが、
まるで外国語のような響きしかイメージできません。
「釣り場は向こうだに。オレらについてきてくっせ」
スズヤンはそう言うと、立花先生を促しました。
ゴルフ場を出て、再び舗装されていない狭い道を歩いていきます。
スズヤンと2人で歩いたときとは違う道のように思えたのは、
ぼくだけではなかったでしょう。
横目にはどこかぎこちなく歩くスズヤンが映りました。
「こういう場所でよく釣りしているの?」と、先生は歩きながら訊ねます。
「沼とか貯水池がほとんどだな」
「いっぱい釣れる?」
「釣れるよ。オレの腕がいいから」
スズヤンは得意気に言います。
「釣った魚はどうしているの?」
「逃がしてやるんさ。持って帰ったって仕様がないで」
先生は「ふうん」と頷きましたが、何か言いたそうでした。
視線を水辺に向け、それ以上の言葉を続けさせません。
やがて、竿や道具を置きっぱなしにした釣り場が見えてきます。
するとそのときでした。
スズヤンは突然「あっ!」と大きな声を出したのです。
「先生はスカートだで」
ぼくは彼が何を言いたいのかすぐにわかりました。
釣り場へ入るためにはフェンスをよじ登らなければならないのです。
ぼくたちはそのことをすっかり忘れていました。
「どうしたの?」と、先生は小首を傾げます。
「フェンスを登らなくっちゃいけねえんだ。先生じゃあ無理だな」
「フェンスってこの柵のこと?」
彼女はそう言って、周囲に張り巡らされたフェンスに近付きました。
腰のやや上の高さです。
まるで不可能というわけではありませんが、
先生がよじ登るにはちょっと無理でしょう。
「ここは釣り禁止の場所じゃないの?」
と、先生はぼくと同じことを口にします。
「そうでもねえんだ」
「本当?」
先生はフェンスに指を絡ませ、ガチャガチャ揺らし始めます。
そして今後は体重を乗せるように、フェンスを上から押さえつけます。
どうやら強度を調べているようでした。
「これくらいなら平気よ」と、先生はぼくたちに向かって言いました。
「え、何が?」
次の瞬間でした。
先生は両手をフェンスに乗せ、突然その体が宙に浮いたかと思うと、
フワリ、柵を跳び越えてしまいます。
それはあっと言う間のできごとでした。
気が付いたら先生はフェンスの向こう側に立っていたのです。
ぼくとスズヤンは呆然とその場に立ち尽くしてしましました。
「ね、平気だったでしょう?」
「ど、どうやって跳んだん?」
あまりに一瞬の出来事に、スズヤンは自分の目を疑っている様子でした。
「ちょっとジャンプしてみただけよ」
「そんな簡単にできるかい?」
「小さいとき男の子に混ざって外で遊んでいたの。その頃の杵柄ね」
先生は朗らかに言います。
まただ……とぼくは内心思いました。
羽生育ちで、幼い頃男の子と外で遊ぶ……。
それは誰もがイメージする先生の姿とは真逆に等しいものです。
ゴルフ場で神がかり的なスイングと遠くまで飛ばしたボールといい、
フェンスの向こうに立つ先生が、学校とは違う全然知らない女のように見えました。
「さあ、釣りをしましょう」と、手を叩きます。
西日が水面に反射し、先生の後ろでキラキラ光るのでした。
(「女先生ドジョウ(4)」に続く)
教員の間でも人気があったのだと思います。
それに「エロい目」で見ている教員は、
教頭先生だけではなかったのでしょう。
立花先生はぼくたちの知らないストレスを抱えていて、
それを解消するためにこの水上ゴルフ場へ足を運んでいたようでした。
ぼくも先生に促されて何度かゴルフボールを打ってみます。
しかしスズヤンといいレベルで、翌日のテストのことを考えて打っても、
飛距離は逆に縮む一方でした。
そんなぼくを見かねたのか、立花先生はぼくの手の上からグリップを握りしめ、
フォームを教えてくれます。
その予期せぬ課外授業(?)に、全身が強張ったのは言うまでもありません。
脈打つ心臓の音を聞かれてしまうのではないかと本気で心配したほどです。
先生の手の温もり、すぐそばで揺れる長い黒髪、
ほのかに背中に感じる胸の膨らみ……。
中学生のぼくには刺激が強すぎて、フォームどころではないのでした。
先生はスズヤンにも同じようにフォームを教えます。
彼の顔がみるみる赤くなるのがよくわかりました。
先生の言葉など耳に入っていなかったに違いありません。
茹でられたフナのような顔をして、成されるがままになっているのでした。
そんな彼を見て、ぼくはささやかな嫉妬を感じたのを覚えています。
「今度は私に釣りを教えてくれないかしら?」
立花先生がそう言ったのは、ゴルフボールをほとんど打ち終えたあとのことでした。
西日はさらに傾き、辺りは絵に描いたようなオレンジ色に染まっていた。
「いいけど、たぶん釣れねぇよ」と、スズヤンが言います。
「1度やってみたかったの」
先生はまるで意に介する様子もありません。
「釣りしたことないんかい?」
「小さい頃祖父と近所の沼で釣りしただけなの。そのときも三田ヶ谷の沼だったのよ」
「あれ、先生は羽生育ちなん?」
「そうよ、知らなかったの?」
ぼくとスズヤンは同時に頷きました。
田舎臭いところのない先生は、
羽生とは縁遠い場所の出身と勝手にイメージしていたのです。
「じゃあずっと羽生なんかい?」と、スズヤンは声を少し大きくして言います。
先生はクスクス笑いました。
「大学時代は東京で暮らしていたのよ」
「あ、やっぱし。先生は羽生っぽくねえもん」
「そんなことないわよ。体に羽生が染み込んでいるもの」
「言葉だって訛ってねえで」
「直したのよ。大学に入って初めて自分の言葉が訛っていることに気付いたの。“なすりつける”を“なびる”って言ったら友だちに大笑いされたわ」
先生は気恥ずかしそうに微笑みます。
ぼくは羽生弁を話す彼女を想像しましたが、
まるで外国語のような響きしかイメージできません。
「釣り場は向こうだに。オレらについてきてくっせ」
スズヤンはそう言うと、立花先生を促しました。
ゴルフ場を出て、再び舗装されていない狭い道を歩いていきます。
スズヤンと2人で歩いたときとは違う道のように思えたのは、
ぼくだけではなかったでしょう。
横目にはどこかぎこちなく歩くスズヤンが映りました。
「こういう場所でよく釣りしているの?」と、先生は歩きながら訊ねます。
「沼とか貯水池がほとんどだな」
「いっぱい釣れる?」
「釣れるよ。オレの腕がいいから」
スズヤンは得意気に言います。
「釣った魚はどうしているの?」
「逃がしてやるんさ。持って帰ったって仕様がないで」
先生は「ふうん」と頷きましたが、何か言いたそうでした。
視線を水辺に向け、それ以上の言葉を続けさせません。
やがて、竿や道具を置きっぱなしにした釣り場が見えてきます。
するとそのときでした。
スズヤンは突然「あっ!」と大きな声を出したのです。
「先生はスカートだで」
ぼくは彼が何を言いたいのかすぐにわかりました。
釣り場へ入るためにはフェンスをよじ登らなければならないのです。
ぼくたちはそのことをすっかり忘れていました。
「どうしたの?」と、先生は小首を傾げます。
「フェンスを登らなくっちゃいけねえんだ。先生じゃあ無理だな」
「フェンスってこの柵のこと?」
彼女はそう言って、周囲に張り巡らされたフェンスに近付きました。
腰のやや上の高さです。
まるで不可能というわけではありませんが、
先生がよじ登るにはちょっと無理でしょう。
「ここは釣り禁止の場所じゃないの?」
と、先生はぼくと同じことを口にします。
「そうでもねえんだ」
「本当?」
先生はフェンスに指を絡ませ、ガチャガチャ揺らし始めます。
そして今後は体重を乗せるように、フェンスを上から押さえつけます。
どうやら強度を調べているようでした。
「これくらいなら平気よ」と、先生はぼくたちに向かって言いました。
「え、何が?」
次の瞬間でした。
先生は両手をフェンスに乗せ、突然その体が宙に浮いたかと思うと、
フワリ、柵を跳び越えてしまいます。
それはあっと言う間のできごとでした。
気が付いたら先生はフェンスの向こう側に立っていたのです。
ぼくとスズヤンは呆然とその場に立ち尽くしてしましました。
「ね、平気だったでしょう?」
「ど、どうやって跳んだん?」
あまりに一瞬の出来事に、スズヤンは自分の目を疑っている様子でした。
「ちょっとジャンプしてみただけよ」
「そんな簡単にできるかい?」
「小さいとき男の子に混ざって外で遊んでいたの。その頃の杵柄ね」
先生は朗らかに言います。
まただ……とぼくは内心思いました。
羽生育ちで、幼い頃男の子と外で遊ぶ……。
それは誰もがイメージする先生の姿とは真逆に等しいものです。
ゴルフ場で神がかり的なスイングと遠くまで飛ばしたボールといい、
フェンスの向こうに立つ先生が、学校とは違う全然知らない女のように見えました。
「さあ、釣りをしましょう」と、手を叩きます。
西日が水面に反射し、先生の後ろでキラキラ光るのでした。
(「女先生ドジョウ(4)」に続く)