その日を境にミサキとの関係はぎこちなくなり、
廊下ですれ違っても声を掛け合うことはなくなりました。
あからさまに避けるぼくを、
次第に彼女も口をきかなくなっていったのです。
ミサキの元彼氏の恋は順調らしく、
放課後一緒に帰る姿を何度か見掛けました。
その2人をミサキがどう思っていたのかはわかりません。
おそらく胸を痛めていたことでしょう。
しかし、彼女の言葉はもう聞こえないのでした。
ぼくとミサキが話さなくなったのを不審に思ってか、
噂好きの“カズエ”というクラスメイトが近寄ってくるようになりました。
「ミサキちゃんとケンカしたの?」とか
「嫌われることでもしたんじゃない?」などと、
からかい半分で訊いてくるのです。
ぼくは適当に言葉を濁し、真面目に答えなかったのは言うまでもありません。
しかし、1月も終わろうとしていたときのこと、
放課後にそのクラスメイトはぼくのところへ来るとこう言いました。
「実はさ、あんたのことを気になってる子がいるの。いまから会ってみない?」
軽い口調でしたが、からかっている様子ではありませんでした。
「なんだよいきなり」
「前からあんたが気になっていたんだって。ミサキちゃんとの仲だってそりゃあ心配して……」
「どなた、その人は?」
「可愛い子だぞ」
カズエは「イシシ」と笑いました。
ミサキとの距離が空いたことで、まるで変節を迎えるかのように、
周りをとりまく人間が変わっていきました。
ぼくを「気になっていた」という“シホ”は色白で髪が長く、
気品のある女の子でした。
それまで同じクラスになったことはありませんでしたが、
嫌でも目に留まるような子だったのです。
ぼくの何が気になっていたのかはわかりません。
その子を紹介したカズエは「あんたに惚れているんだよ」と言い、
無理矢理ぼくたちをくっつけさせる魂胆のようでした。
以来、放課後の教室で3人残って話をしたり、
カズエが秘かに気になっているぼくの友人を誘って週末都内へ出掛けたりと、
ミサキのいない日常が当たり前のようになっていきました。
シホは大人しそうな外見に反して積極的な女。
毎晩のように電話はかかってくるし、
放課後ぼくがどこかへ出掛けようとすると一緒についてきます。
――ねえ、好きな女の子はいないの?
――どんなタイプの子が好き?
――いままでどういう子を好きになったの?
――ミサキちゃんとは本当につき合ってなかったの?
――ミサキちゃんのことどう思ってるの?
シホはぼくに寄り添い、大きな瞳で見上げながらそう訊くのでした。
そんな彼女にぼくはくすぐったさを覚えます。
しかしそれは恋というより、
なついてくる子犬を相手にしているような感覚に似ていました。
シホのうまいところは、自己アピールの仕方だったと思います。
大抵の男なら「この子はオレに惚れているんだろうな」と思うでしょう。
ぼくの好みを訊けば翌日それに合わせてくるし、
カズエと2人で話をしていると、
――本当はカズエちゃんが好きなんじゃないの?
とひどく心配そうな顔をします。
そんな彼女を可愛いと思うことは何度もありました。
しかし、彼女と一緒の時間を過ごせば過ごすほど、
ぼくは物足りなさに似た空しさを感じてなりませんでした。
シホが少食だったということもそれに含まれます。
本当にほんのちょっとしか食べず、ぼくの前だから敢えてそうしているわけではなく、
元々少食のようでした。
カズエたちと一緒にお好み焼き屋へ行ったことがありましたが、
ひと切れ食べて腹を膨らませていたのを覚えています。
それが普通なのだとしても、何枚もお好み焼きを平らげ、
最後にもんじゃ焼きを美味しそうに食べるミサキの顔が何度も浮かんでくるのでした。
――わたし、昔からものを食べるのって苦手なの。料理も嫌いだし……
と、シホは言います。
1度だけ一緒に行った「伊勢屋」でも居心地が悪そうでしたし、
その食べ方も上品すぎて、食らいつくように箸を進めるミサキとは対照的なのでした。
これがミサキだったら……と彼女の顔が脳裡をかすめていきます。
日を追うごとにミサキとの距離は離れていきましたが、
胸の中でどんどん大きな存在になっていくのを否めませんでした。
ぼくは思い切ってミサキに声を掛けようとします。
しかし、1度ぎこちなくなると、必要以上に意識してしまうものです。
ケンカをしたわけではないし、嫌いになったわけでもありません。
シホたちと一緒にいるほどミサキの存在は大きくなり、
以前に戻りたい気持ちは強くなっていきます。
いまならまだ間に合うと思ってみても、
実際に彼女の姿を見るとあと一歩が踏み出せないのでした。
そんな日々が続き、3学期の期末テストが終わった日の放課後、
シホは誰もいなくなった教室で、ぼくに「好き」と伝えました。
――ずっと好きでした。わたしとつき合って下さい。
緊張した面持ちのシホが健気に見えたのを覚えています。
期末テストが終わるのを待っていたのかもしれません。
窓の外からは野球部の掛け声が聞こえていました。
「ごめん」とぼくは答えました。
ぼくのような男がシホをふるのはおこがましい限りでしたが、
いい加減な気持ちでつき合うことはできなかったのです。
――どうして?
と、シホは言います。
ぼくは彼女から視線をそらしました。
そのときふとミサキの顔が脳裡を掠めます。
――ミサキちゃんが好きなんでしょう?
シホはぼくが口を開く前にそう言いました。
まるで、ぼくの心の内を見透かしているみたいに……
――図星でしょ?
シホは悲しそうに微笑みます。
ぼくは口を開きかけましたが、何も言葉が出てきません。
――カズエちゃんも言っていたよ。本人は友だちだって言ってるけど怪しいって。
――ほら、ミサキちゃんの名前を出すとあなたの目は泳ぐもの。
――あんなに仲良かったのに急に話さなくなるなんて変だよ。
――きっとミサキちゃんもあなたのこと好きなのよ。
――だってあの子、あなたと話さなくなってからすごく寂しそうだもん。
ぼくはシホを見つめます。
傾きかけた陽射しが彼女の頬を染めていました。
――ミサキちゃんが好きなんでしょう?
シホは再びそう訊きます。
「オレは……」と言いかけたとき、彼女は「いいよ」と遮りました。
――どっちにしても、わたしとはつき合えないんでしょう?
彼女の声は震えていました。
その大きな瞳が光って見えたのは、陽射しのせいだけではなかったと思います。
「ごめん」と、ぼくはシホから目をそらして言いました。
――うん、わかった。
そのとき彼女がどんな顔をしたのかわかりません。
ぼくはシホの顔を見られず、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
彼女を傷つける前に、最初から親しくならなければよかったのでしょうか。
――でも、友だちだよ。
と、シホは言います。
――廊下ですれ違っても無視しないでね。またみんなで遊ぼうね。
彼女はそう言うとぼくに背を向け、去っていきました。
後ろ髪が揺れるその姿はか細くて、
いまにも折れてしまいそうだったのを覚えています。
ぼくはその場に突っ立ったまま彼女の後ろ姿を見つめます。
窓の外から聞こえるバッドの乾いた金属音が、
誰もいない教室に響いていました。
(「大食らいの女(4)」に続く)
※「ミサキ」ならびに「カズエ」「シホ」が実在する人物かどうかは、
読者様のご想像に委ねます。
廊下ですれ違っても声を掛け合うことはなくなりました。
あからさまに避けるぼくを、
次第に彼女も口をきかなくなっていったのです。
ミサキの元彼氏の恋は順調らしく、
放課後一緒に帰る姿を何度か見掛けました。
その2人をミサキがどう思っていたのかはわかりません。
おそらく胸を痛めていたことでしょう。
しかし、彼女の言葉はもう聞こえないのでした。
ぼくとミサキが話さなくなったのを不審に思ってか、
噂好きの“カズエ”というクラスメイトが近寄ってくるようになりました。
「ミサキちゃんとケンカしたの?」とか
「嫌われることでもしたんじゃない?」などと、
からかい半分で訊いてくるのです。
ぼくは適当に言葉を濁し、真面目に答えなかったのは言うまでもありません。
しかし、1月も終わろうとしていたときのこと、
放課後にそのクラスメイトはぼくのところへ来るとこう言いました。
「実はさ、あんたのことを気になってる子がいるの。いまから会ってみない?」
軽い口調でしたが、からかっている様子ではありませんでした。
「なんだよいきなり」
「前からあんたが気になっていたんだって。ミサキちゃんとの仲だってそりゃあ心配して……」
「どなた、その人は?」
「可愛い子だぞ」
カズエは「イシシ」と笑いました。
ミサキとの距離が空いたことで、まるで変節を迎えるかのように、
周りをとりまく人間が変わっていきました。
ぼくを「気になっていた」という“シホ”は色白で髪が長く、
気品のある女の子でした。
それまで同じクラスになったことはありませんでしたが、
嫌でも目に留まるような子だったのです。
ぼくの何が気になっていたのかはわかりません。
その子を紹介したカズエは「あんたに惚れているんだよ」と言い、
無理矢理ぼくたちをくっつけさせる魂胆のようでした。
以来、放課後の教室で3人残って話をしたり、
カズエが秘かに気になっているぼくの友人を誘って週末都内へ出掛けたりと、
ミサキのいない日常が当たり前のようになっていきました。
シホは大人しそうな外見に反して積極的な女。
毎晩のように電話はかかってくるし、
放課後ぼくがどこかへ出掛けようとすると一緒についてきます。
――ねえ、好きな女の子はいないの?
――どんなタイプの子が好き?
――いままでどういう子を好きになったの?
――ミサキちゃんとは本当につき合ってなかったの?
――ミサキちゃんのことどう思ってるの?
シホはぼくに寄り添い、大きな瞳で見上げながらそう訊くのでした。
そんな彼女にぼくはくすぐったさを覚えます。
しかしそれは恋というより、
なついてくる子犬を相手にしているような感覚に似ていました。
シホのうまいところは、自己アピールの仕方だったと思います。
大抵の男なら「この子はオレに惚れているんだろうな」と思うでしょう。
ぼくの好みを訊けば翌日それに合わせてくるし、
カズエと2人で話をしていると、
――本当はカズエちゃんが好きなんじゃないの?
とひどく心配そうな顔をします。
そんな彼女を可愛いと思うことは何度もありました。
しかし、彼女と一緒の時間を過ごせば過ごすほど、
ぼくは物足りなさに似た空しさを感じてなりませんでした。
シホが少食だったということもそれに含まれます。
本当にほんのちょっとしか食べず、ぼくの前だから敢えてそうしているわけではなく、
元々少食のようでした。
カズエたちと一緒にお好み焼き屋へ行ったことがありましたが、
ひと切れ食べて腹を膨らませていたのを覚えています。
それが普通なのだとしても、何枚もお好み焼きを平らげ、
最後にもんじゃ焼きを美味しそうに食べるミサキの顔が何度も浮かんでくるのでした。
――わたし、昔からものを食べるのって苦手なの。料理も嫌いだし……
と、シホは言います。
1度だけ一緒に行った「伊勢屋」でも居心地が悪そうでしたし、
その食べ方も上品すぎて、食らいつくように箸を進めるミサキとは対照的なのでした。
これがミサキだったら……と彼女の顔が脳裡をかすめていきます。
日を追うごとにミサキとの距離は離れていきましたが、
胸の中でどんどん大きな存在になっていくのを否めませんでした。
ぼくは思い切ってミサキに声を掛けようとします。
しかし、1度ぎこちなくなると、必要以上に意識してしまうものです。
ケンカをしたわけではないし、嫌いになったわけでもありません。
シホたちと一緒にいるほどミサキの存在は大きくなり、
以前に戻りたい気持ちは強くなっていきます。
いまならまだ間に合うと思ってみても、
実際に彼女の姿を見るとあと一歩が踏み出せないのでした。
そんな日々が続き、3学期の期末テストが終わった日の放課後、
シホは誰もいなくなった教室で、ぼくに「好き」と伝えました。
――ずっと好きでした。わたしとつき合って下さい。
緊張した面持ちのシホが健気に見えたのを覚えています。
期末テストが終わるのを待っていたのかもしれません。
窓の外からは野球部の掛け声が聞こえていました。
「ごめん」とぼくは答えました。
ぼくのような男がシホをふるのはおこがましい限りでしたが、
いい加減な気持ちでつき合うことはできなかったのです。
――どうして?
と、シホは言います。
ぼくは彼女から視線をそらしました。
そのときふとミサキの顔が脳裡を掠めます。
――ミサキちゃんが好きなんでしょう?
シホはぼくが口を開く前にそう言いました。
まるで、ぼくの心の内を見透かしているみたいに……
――図星でしょ?
シホは悲しそうに微笑みます。
ぼくは口を開きかけましたが、何も言葉が出てきません。
――カズエちゃんも言っていたよ。本人は友だちだって言ってるけど怪しいって。
――ほら、ミサキちゃんの名前を出すとあなたの目は泳ぐもの。
――あんなに仲良かったのに急に話さなくなるなんて変だよ。
――きっとミサキちゃんもあなたのこと好きなのよ。
――だってあの子、あなたと話さなくなってからすごく寂しそうだもん。
ぼくはシホを見つめます。
傾きかけた陽射しが彼女の頬を染めていました。
――ミサキちゃんが好きなんでしょう?
シホは再びそう訊きます。
「オレは……」と言いかけたとき、彼女は「いいよ」と遮りました。
――どっちにしても、わたしとはつき合えないんでしょう?
彼女の声は震えていました。
その大きな瞳が光って見えたのは、陽射しのせいだけではなかったと思います。
「ごめん」と、ぼくはシホから目をそらして言いました。
――うん、わかった。
そのとき彼女がどんな顔をしたのかわかりません。
ぼくはシホの顔を見られず、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
彼女を傷つける前に、最初から親しくならなければよかったのでしょうか。
――でも、友だちだよ。
と、シホは言います。
――廊下ですれ違っても無視しないでね。またみんなで遊ぼうね。
彼女はそう言うとぼくに背を向け、去っていきました。
後ろ髪が揺れるその姿はか細くて、
いまにも折れてしまいそうだったのを覚えています。
ぼくはその場に突っ立ったまま彼女の後ろ姿を見つめます。
窓の外から聞こえるバッドの乾いた金属音が、
誰もいない教室に響いていました。
(「大食らいの女(4)」に続く)
※「ミサキ」ならびに「カズエ」「シホ」が実在する人物かどうかは、
読者様のご想像に委ねます。