クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

女先生とドジョウ(5)

2007年01月18日 | ブンガク部屋
それからほんのわずかな時間でしたが、
立花先生を入れての釣りをしました。
テスト期間中に教師と生徒が一緒に釣りをするなど、
ほかの先生に見られたら何を言われるかわかったものではありません。
しかし、立花先生は人目を気にすることなく、
無邪気に楽しんでいる様子でした。
大人しそうな外見に反して、本当に外で遊ぶのが好きなのでしょう。
釣り竿を持つ姿も妙に様になっていて、
ポイントにエサを落とすのも難なくやってのけるのでした。
ぼくたちは先生のそばに座り、まるで教師のように指導します。
話すのは専らスズヤンでしたが、先生はぼくにも質問してきて、
言葉足らずに答えます。
夕日色に染まる釣り場と先生の横顔。
スズヤンと2人で釣り糸を垂らしていたときとは、
景色が全く違って見えるのでした。
ぼくが先生につい見とれていると、
不意に顔を向けて「どうしたの?」と小首を傾げます。
「なんでもない」と慌てて目をそらすぼくの顔は真っ赤になっていただろうし、
先生のクスクス笑う声に耳までが熱くなるのを感じるのでした。

結局その日、魚は一匹も釣れませんでした。
スズヤンの「入れ食い」の言葉に反して散々な結果です。
ただ、浮きはずっと沈黙を続けていたかというとそうではなく、
たった1度だけ反応しました。
魚も人を選んだのかもしれません。
先生の持つ竿の先、赤い玉浮きはピクピクと動き始めたのです。
「来たっ!」と、スズヤンはすかさず反応し、
教師さながらの顔に変わっていきました。
「オレがいいって言うまで上げちゃなんねえぞ」の言葉に、
「はい」と返事をする先生。
彼女の横顔も真剣そのもので、固唾を呑んで浮きを見守ります。
すると次の瞬間、玉浮きは一気に水の中へ引き込まれていきました。
「いまだ!」とスズヤンは叫びます。
「え、どうするの?」
「竿を上げて! 早く!」
先生は慌てて釣り糸を引き上げようとします。
ぼくたち3人は同時に立ち上がり、釣り糸の先を視線で追いかけます。
竿が大きくしなり、確かな手応えです。
おそらくこれが最後のチャンスに違いありません。
「早く! 早く!」と、ぼくも思わず声を上げていました。

ところが、あともう少しで魚が見えるというところで、
糸が切れたみたいに魚の引っ張る力が消えてしまったのです。
ドジョウがいなくなった釣り針が宙を舞います。
糸が切れたのではなく、針が魚から外れてしまったようでした。
大きくしなっていた竿は元に戻り、
引き上げられた赤い玉浮きが宙に揺れます。
一気に襲ってくる脱力感とため息。
「惜しかったね」とぼくが言おうとすると、
それより先に立花先生が口を開きます。
「あともうちょっとだったのに!」
“地団駄を踏む”というのはそのときの先生のことを言うのかもしれません。
心底悔しそうな表情で、両足を踏みならすのでした。
その音が、夕日色に染まった釣り場に響いていたのを覚えています。

その魚の引きを最後に、ぼくたちは釣りをやめることにしました。
日は沈み、どんどん暗くなっていく一方です。
「ねえ、あのドジョウはどうするの?」と、先生は最後にぼくたちに訊ねました。
それは思い出した感じではなく、
ずっと頭の片隅にあったような口調でした。
「どうするべ?」と、スズヤンはぼくの顔を見ます。
その日初めてドジョウを使ったぼくに答えられるはずもありません。
「いつもはどうしてるん?」
「逃がしてやるんさ」
「じゃあ、逃がすべ」
ぼくがそう言うと、先生は突然手で遮りました。
「逃がすんだったら私にくれないかしら?」
ぼくたちはキョトンとした顔で先生を見上げます。
「貰ってどうするん?」
「だって勿体ないじゃない」
「ドジョウが?」
そうよ、と先生は微笑みます。
ぼくとスズヤンは再び顔を見合わせました。
先生の言っていることがいまいち理解できません。
理科の教師ならともかく立花先生は国語です。
教材に使うわけではないでしょう。
結局、「ね、いいでしょ?」と先生のやや強引な口調に流される形で、
大量のドジョウが手渡されます。
袋の中でウネウネと動いていました。
「あとでやっぱり返すってのはなしだかんね」
スズヤンはやや警戒気味に言います。
先生は人さし指でドジョウをつつきながら、
「そんなことしないからだいじゅ」と、
初めて羽生弁で答えるのでした。

立花先生とはその場で別れました。
「明日学校でね」と言った彼女は再びフェンスを跳び越え、
来た道を戻っていきます。
ぼくたちはその姿が見えなくなるまで突っ立っていました。
テスト期間中に水上ゴルフ場でばったり会い、
一緒にゴルフと釣りをしてドジョウをお土産に去っていく先生。
その後ろ姿は学校で見るときとは全く違っているのでした。
まるで近所のお姉さんと遊んだような感覚です。
「おもしろい先生だな」とスズヤンは言います。
先生の姿が見えなくなったあと、ぼくたちは釣り具の片付けを始めました。
「人は見掛けによらないって本当だ」
「あのドジョウ、どうするんだんべ?」
「あの先生なら飼うんじゃねえ?」
「金魚みたいにか?」
片付けをしている間も、釣り場を出るときも、
ぼくたちの話題は先生のことばかりです。
それほどインパクトがあったのは確かでした。
「ぼっとすっと(もしかすると)先生はオレのことが好きなのかもしんねえよ」と、
しばらくしてスズヤンはそんなことを言い出します。
「なんでよ?」
「よく目が合っていたんだに。ずっとオレの顔見てるしさ」
「フナみたいな顔が珍しかったんじゃないん?」
「先生はああ見えて羽生育ちだがね。フナなんか珍しくないで」
「フナ似の人間はそうはいないだろうで」
「いや、あれはオレにホの字だな」
思いこみの激しさは中学生そのものだったと思います。
ぼくはそんな彼の言葉が面白くありません。
先生をとられてしまうような感覚に似ていました。
「目だったらオレもよく合ってた」とか、
「優しい目で見てた」などと、
こじつけに等しい言葉を返しても彼は聞く耳持たず、
ぼくが言葉を重ねるほど、自分に惚れているのだと思い込んでいくのでした。

そんな水上ゴルフ場で芽生えたスズヤンの恋は、
そのまま釣り場から真っ直ぐ家に帰っていれば続いていたかもしれません。
少なくとも、立花先生と一緒に釣りをしたという記憶で完結したはずです。
しかし、ぼくたちはその日もう1度先生を見掛けてしまうのです。
帰り道の途中、小さな料理屋で……
(「女先生とドジョウ(6)」に続く)
コメント (2)
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羽生築城説、あとがきにかえて ―論文(12)―

2007年01月18日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
〈終わりに〉
羽生城築城説を考察する上でポイントとなるのは、
どの時点を「城」と呼ぶかであろう。
羽生城は「小松神社→竹の内館→東谷」の過程を経て
永禄3年(1560)の上杉謙信の関東出陣を迎える。
「城」を東谷に限定するならば、
築城者と城主は広田直繁と木戸忠朝であり、山内上杉氏説は除外される。
しかし、天文5年(1536)以前に山内上杉氏が木戸氏を配置し、
小松神社を「城」とすれば、山内上杉氏説もあながち否定できない。
確たる証拠がなく、推測の域を出ない現状において、
両築城説はどちらも成り立つと言えるだろう。
ただ山内上杉氏説の記述を見てもわかるように、羽生城は東谷を指すのが一般的だ。
また木戸氏が武将的な性格として登場するのも、
永禄3年11月の上杉謙信判物以降であり、東谷を舞台に羽生城は本格的に機能していく。
このことから、直繁・忠朝の築城とするのが適切ではないだろうか。
いままでの検討をここにまとめると、

 天文5年以前、木戸氏羽生へ移住(山内上杉氏によるものか)
      ↓
 小松神社を拠点とし、在地的基盤を固める。
      ↓
 天文12年頃、簑沢に竹の内館を築く。
      ↓
 天文14年、河越合戦を機に東谷への拡張を開始。
      ↓
 永禄3年、上杉謙信に属する。以後、天正2年閏11月の自落まで忠節を尽くす。

となる。
また天文5年以降、羽生城の中心的役割を担っていたのは、
広田直繁・木戸忠朝であったことをここで改めて強調しておきたい。
以上、長々と羽生城築城について検討してみたが、
御教示、御指導を頂けると幸いである。

鳥邦仁

(参考文献)
冨田勝治著『羽生城―上杉謙信の属城―』『冨田勝治論文集』私家版
鷲宮町役場『鷲宮町史 通史上』『鷲宮町史 史料三』
羽生市史編集委員会編『羽生市史 上』
川里村教育委員会編『川里村史 資料編1』
平凡社地方資料センター編『埼玉県の地名』平凡社
利根川文化研究会編『利根川荒川事典』国書刊行会
蘆田伊人編『新編武蔵風土記稿』雄山閣
埼玉県『武蔵国郡村誌』
田村治子・堀越美恵子著『羽生昔がたり 第四巻』羽生市役所秘書広報課
小室栄一著『武蔵野の城館址』名著出版
埼玉県立文書館編「北武蔵の戦国武将文書展」
「羽生市遺跡地名表」
小嶋英一著「羽生町場の生成」私家版
羽生市立図書館・郷土資料館「羽生城展」
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「今週、妻が浮気します」の妻は“だいたひかる”か? ~一木蘆洲~

2007年01月18日 | 恋部屋
gooニュースによると、
お笑い芸人の“だいたひかる”が離婚したそうです。
彼女の浮気が原因らしいということが報じられていました。
ドラマ「今週、妻が浮気します」がスタートしたばかりの離婚報道。
“妻”はなぜ浮気をするのでしょう?
前日の記事「「今週、妻が浮気します」の“妻”に当てはまる女は?」の続きで、
不倫小説ベスト10の後半を紹介したいと思います。

6位 外科室(泉鏡花)
7位 それから(夏目漱石)
8位 恋(小池真理子)
9位 美徳のよろめき(三島由紀夫)
10位 テニスボーイの憂鬱(村上龍)

この中で女性は“小池真理子”のひとりだけ。
ただ、『美徳のよろめき』は“妻”の視点で書かれており、
男性が女性の主人公を描くという点ではほかの作品と一線を画すでしょう。
ちなみに、11位には三島由紀夫の『禁色』がランクインしています。

ところで、つい最近郷土史関係で、妻に浮気された男の逸話を目にしました。
その男とは“一木蘆洲”。
慶応3年(1867)、「東谷の絵図」と呼ばれる羽生城跡の絵図を描いた男です。
(絵図については記事「140年前の羽生城跡の景観―『東谷の絵図』について―」(06.7.8)参照)
一木蘆洲は慶応年間に現在の埼玉県熊谷市に居住し、同地にて没しました。
生前、彼は妻の浮気を経験しています。
相手は同じ屋根の下で暮らしていた書生。
蘆洲が遊歴から帰ってくると、妻と書生の密通が露見したのです。
烈火の如く怒る蘆洲は書生を放逐し、妻にこう言います。
――貴様のような了見の腐った奴は俺の女房にしておくわけにはいかぬ。
  女郎に売ってやる!

蘆洲は本当に妻を八王子の妓楼に売り渡してしまいます。
現代なら人権・女性問題に絡みますが、あくまでも非があるのは妻。
彼は妻を妓楼に売った金を手にして去ろうとしました。
するとそのとき、妻は「待って下さい」と声を掛けます。
――いまさら俺を引き留めたところで何の用はあるまい。
蘆洲はすげなくそう答えます。
しかし妻は毅然とした態度でこう言うのです。
――あなたは女房を売った金を何に使うおつもりですか?
 それをイケシャアシャと持って帰るようではあなたも底が知れた人。
 いっそのこと、ここで綺麗さっぱりお使いになったらどうです?

これをお読みになっている読者様なら、このときどの選択肢を採るでしょうか?
確かに妻の浮気が発端とはいえ、
妓楼に売り渡してしまった自分もいささかバツが悪い。
生活に困って売ったわけでもないし、
自分を裏切った妻を引き替えに手にした金です。
決して綺麗な金とは言えません。
そこで使い切るか、妻の言葉を無視して持ち帰るか……。

一木蘆洲はというと、「それもそうだ」とその場で頷いたそうです。
そして女郎たちと一緒に呑めや歌えやのドンチャン騒ぎ。
遊びに遊びまくって金を使い切ると、澄ました顔で去っていったそうです。
蘆洲という男は豪傑肌だったのかもしれません。
女性よりも男性の方が過去を引きずると言いますが、
蘆洲の場合別れた妻への未練はなかったのだと思います。

だいたひかるも夫から突きつけられた離婚とのこと。
まさか女郎に売り飛ばされることはないと思いますが、
「どうでもいいですよ」のひと言では片付けられないでしょう。
何かとスピード化が求められている現代ですが、
私生活にまでその波が押し寄せている気がします。

※画像は「東谷の絵図」に描かれた羽生市の“城橋”です。

参照文献
ダ・ヴィンチ編集部『ダ・ヴィンチ読者7万人が選んだこの一冊』メディアファクトリー
林有章著『幽嶂閑話』国書刊行会
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1月18日生まれの人物は?(振袖火事の日)

2007年01月18日 | 誕生日部屋
1月18日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

醍醐天皇(60代天皇)
モンテスキュー (啓蒙思想家・法律家『法の精神』)
A.A.ミルン (作家『くまのプーさん』)
モハメド・アリ(ボクシング)
ケイリー・グラント (俳優『北北西に進路を取れ』)
ジル・ドゥルーズ (哲学者・思想家)
ケビン・コスナー (俳優)
石原莞爾 (陸軍軍人)
磯田光一 (文藝評論家)
衣笠祥雄 (野球)
小椋佳 (歌手)
森山良子 (フォーク歌手)
秋野暢子 (俳優)
笑福亭鶴光 (落語家)
石川サブロウ (漫画家『北の土竜』)
クニ(拙文書き・郷土史家)
片桐はいり (俳優)
宮沢和史 (ミュージシャン(THE BOOM))
山崎まさや (お笑い芸人(ジョーダンズ))
くま井ゆう子 (歌手)
NAHOMI (歌手(キーヤキッスぱにっく))
おすぎ (映画評論家)
ピーコ (服飾評論家)
ビートたけし (タレント・映画監督)

※偉人たちの中に私らしき人物が紛れ込んでいますが、御了承下さい^^;

ちなみに、この日起きた事件は以下のとおりです。

足利義持 (4代室町幕府将軍) 死去 (1428)
応仁の乱始まる(1467)
「薔薇戦争」終結 (1486)
江戸で明暦の大火(振袖火事)。死者10万人以上。江戸城天守閣が焼失(1657)
富山市で米騒動。以後全国各地に拡大(1890)
大逆事件で逮捕された幸徳秋水ら24人に死刑判決(1911)
東京で市営バス(現在の都バス)が運行開始 (1924)年
牧野富太郎 (植物学者『日本植物志図篇』)死去(1957)
東大・安田講堂の学生占拠に機動隊が出動 (1969)
天皇の戦争責任発言で長崎市長が狙撃される(1990)
土居まさる (司会者)死去 (1999)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“無邪気な空想にふける人”とのことです。
誕生花は「パンジー」、花言葉は「もの思い」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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