クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

女先生とドジョウ(2)

2007年01月15日 | ブンガク部屋
ところが釣り糸を垂らし、
どんなに待っても一向に釣れる気配はありませんでした。
赤い玉浮きはピクリとも動かず、魚影すら見えません。
「入れ食いじゃないんかい?」
と、ぼくはスズヤンに文句を言います。
「おかしいなぁ。この前はよく釣れたんだに」
彼は首を傾げました。
何度かポイントを変え、エサを付け替えるのですが、
玉浮きは沈黙を続けます。
「本当に魚がいるん?」
「そりゃいるさ。ほかに釣っている人もいたったんだに」
そうは言っても、釣れないものは釣れないのです。
ぼくは粘り強く釣り糸を垂らし続けましたが、
玉浮きはときどき波立つ水面にユラユラ揺られるだけで、
引くことはありませんでした。
エサのドジョウも無傷のままぐったりしています。

釣りは短気な人が向いているとよく言います。
ぼくにその自覚はありませんが依怙地になるのは否めなく、
一匹釣るまでは帰らないと、だんだん意地になっていきました。
浮きの深さを変え、ほんの少しポイントをずらします。
もしそこで諦めて、家でテスト勉強をしていたら、
散々な点数を取ることはなかったかもしれません。
しかし、ぼくは釣り竿を握りしめ、長期戦に突入してしまうのでした。

やがて日は傾き、西日が水面に反射しました。
魚は一匹も釣れないままです。
そんなぼくたちを嘲笑うかのように鯉らしき魚が何度か跳びはねましたが、
玉浮きはやはり動く気配はありません。
「なあ、ゴルフ場でジュース買ってこねえ?」
スズヤンがそう言ったのは、その日の見切りをつけたからだと思います。
立ち上がって大きく背伸びをしたあと、尻をはたきました。
ぼくも釣り竿をそのままにして立ち上がります。
関節が鳴り、ずっと長い間座っていたせいか尻が痛みます。
「じゃあ、行ぐべ」
ぼくたちは再びフェンスによじ登り、ゴルフ場まで歩いていきました。
わきの狭い道は舗装されておらず、
ぼくたちが釣りをはじめてから誰一人として通らなかった道です。
すぐそばのゴミ焼却場の煙突からは、相変わらず白い煙が立ち上り、
やや東へたなびいていました。

スズヤンは堂々とゴルフ場のドアを開け、中に入っていきます。
そして勝手知ったる様子で自動販売機まで行くと、
悩む間もなくファンタグレープを買うのでした。
ぼくもそのあとに続き、ひと通り品を見てからお金を投入します。
そして、ファンタオレンジのボタンを押そうとしたとき、
突然背後から聞き覚えのある声がしました。
「あなたたち、こんなところで何やってるの」
スズヤンは飲んでいたファンタを吹きこぼしました。
ぼくは恐る恐る後ろを振り返ります。
するとそこには、つい数時間前に学校で会ったばかりの立花先生が立っていました。
「せ、先生」
「いま、テスト期間中でしょう。どうしてここにいるの?」
立花先生はぼくとスズヤンを交互に見ながら言います。
しかし、怒っている様子ではなく、その目元は笑っていました。
「先生こそこんなところで何やってるん?」
スズヤンは口の周りのファンタを拭います。
「打ちっ放しに来たのよ」
「ゴルフやるんかい?」
「たまにね」
立花先生はそう言って微笑みました。
漫画ならば、背後で花が咲き乱れるような笑顔です。

先生はその年に大学を卒業したばかりの新人教師でした。
色白で髪は長く、知的で艶っぽい雰囲気を漂わす彼女は、
当然のごとく男子生徒の人気の的でした。
中学生のぼくたちにとって立花先生はとても大人の女に見えましたし、
それに彼女は当時人気を博していた清純派女優に似ているとの噂が立つほど、
美人先生だったのです。
「あなたたちも打ちっ放しに来たの?」
先生は耳をくすぐるような声でそう言います。
「ううん、釣りしにきたんだ」
「釣り?」
先生は小首を傾げました。
長い黒髪がサラサラと流れ、柔らかくていい匂いが鼻先を掠めます。
「ここでずっと釣りしてたの?」
「この場所じゃあ怒られるがね。ゴルフ場の端っこだよ」
「何が釣れるの?」
「ブラックバス」
「へえ、お魚がいるんだ。今日は釣れた?」
「全然駄目。ちっとも釣れねえんだに」
スズヤンは少し照れくさそうに言いました。
その顔は心なしか赤くなっています。
彼もまた立花先生に憧れる男子生徒のひとりでした。

すると先生は突然ぼくに顔を向けました。
「テスト勉強はしなくて大丈夫なの?」
ぼくは脈拍がどんどん上がっていくのを感じます。
先生とまともに顔を合わせたのは初めてのことでした。
しかもそこは学校の外。
ぼくの頬はみるみる赤くなっていったと思います。
「だ、だいじゅぶです」
「ずいぶん余裕ね。明日は国語よ」
「国語、大好きです」
先生はクスクス笑いました。
彼女が担当している教科は国語でした。
男子生徒の間で国語の授業が一番人気だったことは言うまでもありません。
国語テストのクラス平均点数がほかの教科より上だったのは、
先生の影響のほかならないでしょう。
「先生はいつからここに居たったん?」と、スズヤンが訊きます。
彼女の視線がぼくから離れます。
その途端ぼくは金縛りが解けたみたいに、ようやく息をつけるのでした。
「いま来たばかりよ」
「よくここには来るんかい?」
「嫌なことがあったら打ちにくるの」
「それでストレス解消になるん?」
「気持ちいいわよ。あなたも打ってみる?」
そのとき自動販売機からお金が落ちる音がしました。
いつまでもボタンを押さずにいたからお金が戻ってしまったようです。
「うん、打つ打つ。前からやってみたかったんだ」
スズヤンは途端に目を輝かせました。
先生は可笑しそうに微笑み、再びぼくを見ました。
「あなたも打ってごらんなさい。すごく気持ちいいから」
彼女の声は官能的に響き、ぼくはボーッとしてしまうのでした。

先生に促され、スズヤンはクラブを持ちます。
そして彼女の言うとおりにゴルフボールを見つめ、
不器用な格好でスイングしました。
鈍い音と共にボールは力なく飛んでいき、
ぼくたちから近い水の上へ落ちていきました。
「ね、気持ちいいでしょう?」
先生はそう言います。
「もう1回打っていい?」
「いいわよ。好きなだけ打って」
スズヤンは続けざまにフルスイングします。
しかし、ゴルフボールは鈍い魚のようにひょろひょろ飛んでいくだけで、
飛距離は全く伸びないのでした。
「そうだ、嫌いな人のことを思って打ってごらん。意外と遠くまで飛ぶかもしれないわよ」
先生はそうアドバイスをします。
「嫌いな人?」
「嫌なことでもいいの。例えば明日のテストとか……」
スズヤンは少し考えてからスイングします。
しかし、やはりボールはすぐ手前に落ちてしまうのでした。
「手本見せてよ」と、スズヤンは先生にクラブを渡します。

立花先生とクラブ。
その組み合わせは違和感の何ものでもありませんでした。
立花先生と言えば運動が苦手で、部屋で静かに本を読んでいるイメージです。
まさか水上ゴルフ場にいるなんて誰も知らないだろうし、想像もしていないでしょう。
例えばこう思って打つの、と先生は言います。
「へえ、どんな?」
「あのハゲ教頭、あたしをエロい目で見てんじゃねぇ!」
目の覚めるような語気に、神がかり的なスイング。
乾いた音が一瞬響いたかと思うと、
ゴルフボールはあっと言う間に遠くへ飛んでいってしまいました。
「どう?」
ぼくは口を半開きにして先生を見ます。
一瞬何が起こったのかわかりませんでした。
ハゲ教頭? エロい目……?
そのときぼくたちは、2人揃って間の抜けた顔をしていたと思います。
「教頭先生ってエロいの?」と、スズヤンは訊ねました。
落ち武者のように髪が薄く、脂ぎった教頭先生の顔が思い浮かびます。
「私が言ったって内緒よ」
先生はいつもの口調に戻り、花のように微笑むのでした。
(「女先生とドジョウ(3)」に続く)
コメント (6)
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羽生城はなぜ東谷に築かれたのか? ―論文(9)―

2007年01月15日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
〈なぜ東谷か〉
最後に、羽生城がなぜ簑沢・東谷に築城されたのか検討したいと思う。
『武蔵野の城館址』(小室栄一著)によると、
城を築くにあたって適した条件は五つあるという。

1 支配地一円に対し交通が便利であること。
2 背後地が産業経済の利息をもつこと。
3 戦略上の要地であること。
4 敵の奇襲を防ぐのに適した地形であること。
5 有力な支持勢力が付近に存在すること。

前稿で木戸氏が小松神社・小松寺を拠点としていたと述べたが、
小松と簑沢・東谷の立地条件はどのように異なるのか。
それらを比較しながら検討してみたいと思う。
1の「支配地一円に対し交通が便利であること」だが、
ここで言う交通とは陸路・水路の2つが挙げられる。
『武蔵国郡村誌』によると、羽生町、小松村に記された道路は、
 羽生町→栗橋大越道、行田道、館林道
 小松村→羽生町道
がある。羽生城域は上羽生も含まれていたから「騎西道」も前者に入り、
現在の妻沼往還にあたる「妻沼道」も加えられる。
小松の「羽生町道」は羽生城の忍口に向かって伸びており、
両町村に共通した道路と言えよう。
これらの道路が羽生城時代に存在していたかはわからないが、
いずれにしても城下町である羽生町は館林、忍、鴻巣、騎西、栗橋に通じ、
交通の要衝であったことが考えられる。
つまり、羽生町は交通の要衝にできた集落であり、木戸氏がそれを総構えで囲み、
天然要害地である東谷へ城を拡張したとしてもおかしくはない。

水路は、古利根川が流れていた小松に利便性があったと思われる。
須影には「渡川」の小字があり、『夫木集』にある「岩瀬の渡し」や
「古江の浦」が小松付近を指すものであるとしたら、
水路の発達した地域であったのかもしれない。
しかし、注意しなければならないのは、洪水の問題である。
利根川は関東屈指の暴れ川であり、
そのため城は洪水に耐えられる場所に築かれなくてはならない。
その意味において小松は利根川に近く、洪水の被害を最も受けやすい。
そのことは昭和54年に発見された小松埋没古墳にも表れていよう。

埋没した要因として、関東造盆地運動による地盤沈下と
古利根川の氾濫土の蓄積が考えられ、いかに洪水の脅威にさらされていたかが窺える。
その点、簑沢・東谷は利根川に近すぎず離れすぎてもいない。
例え洪水が起きても小松ほどの被害は被らず、
充分耐えうることができたと考えられる。
ちなみに水路の活用としては、
妻沼の住人と推測される玉井豊前が敵国の忍を隔てて
羽生城主と共に北条氏と敵対していたことから、
利根川を使って羽生―妻沼間の連絡をとっていたものと思われる。
このように、簑沢・東谷は交通の利便性があり、
利根川の洪水からも耐えられる場所であったと言える。
(「論文10」に続く)
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山本勘助(内野聖陽)はルパン三世に勝てるか?―風林火山―

2007年01月15日 | レビュー部屋
周知のように、2007年の大河ドラマ「風林火山」の主人公は、
山本勘助という軍師です。
“軍師”というとどんなイメージでしょうか?
緻密な作戦を練り、かつアイディアマンで、
あっと驚く戦法で味方を勝利に導く……。
ゲームや漫画の影響からか、そんなイメージを禁じ得ません。

しかし、実際の軍師は知略家というよりも、
陰陽師・占い師的な側面の方が強かったようです。
当時の武将たちは合戦へ出向く前は神経質なほどに縁起を担ぎ、
かついろいろなタブーが信じられていました。
このとき軍師は、味方が合戦に勝利するかを“占う”立場にあったのです。
出陣の日取りは吉日か?
天気は晴れか雨か?
兵を進める方角は悪くないか?
など、大将たちはそれらの知識・情報を重く捉えていました。
「吉」と出たおみくじを理由に、合戦に赴くことも珍しくありません。
まさに勝負は時の運。
“武運”という言葉が重く感じられます。
その運を占う軍師(軍配者)として、山本勘助もここに含まれるのです。

ところで、軍師というわけではありませんが、
知略家と言ったら右に出る者はいないくらい、
華麗でひょうきんな男の顔が思い浮かびます。
実在する人物ではありません。
それに彼が使う知略はとても人に誉められたものではないし、
現実にはありえないでしょう。
この記事のタイトルにあるとおり、その男の名は“ルパン三世”です。

ありとあらゆる出来事を想定し、“お宝”を狙いに行きます。
「狙った獲物は逃がさない」のキャッチフレーズのとおりにお宝を奪っていきますが、
最後に峰不二子に一杯くわされるのは、計算外というより彼の愛嬌でしょう。
もしルパンが戦国時代に生まれ、どこかの軍師として活躍したら、
これほど怖ろしいものはありません。
(軍師としての器があるかどうかは別ですが……)
ましてや次元大介や石川五右衛門がいたら鬼に金棒です。
彼らさえいれば、地方の小さな城でしかなかった羽生城でさえも、
天下に君臨するような城になっていたでしょう。

さて、そんなルパン三世と山本勘助が対決したら、
軍配はどちらに上がるでしょうか?
前者は緻密な計算を練り、後者は日取りや天気を見る……。
もちろん山本勘助は陰陽師的なものだけでは留まりませんでしたが、
さすがの彼もアニメのキャラには手を焼きそうです。
コメント (8)
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1月15日生まれの人物は?(いちごの日)

2007年01月15日 | 誕生日部屋
1月15日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

モリエール (劇作家・俳優『人間嫌い』)
西條八十 (詩人・作詞家)
マーティン・ルーサー・キング (牧師・黒人運動指導者)
コシノヒロコ (服飾デザイナー)
鶴橋康夫 (テレビディレクター)
高橋元太郎 (俳優・歌手(スリーファンキーズ))
落合恵子 (小説家・エッセイスト)
さとう一声 (レポーター)
井口成人 (レポーター・俳優)
田中真弓 (声優)
宮崎緑 (ジャーナリスト・ニュースキャスター)
石原良純 (俳優)
町田康(町田町蔵) (小説家『きれぎれ』・ミュージシャン)
MC BOSE (ミュージシャン(スチャダラパー))
森田童子(シンガーソングライター)

ちなみに、この日起きた事件は以下のとおりです。

平忠盛 (武将)死去(1153)
田沼意次が老中に就任 (1772)
坂下門外の変 (1862)
東京警視庁(現在の警視庁)創設(1874)
雑誌『中央公論』創刊(1899)
松竹大船撮影所が開所 (1936)
双葉山69連勝で連勝記録ストップ(1939)
釧路沖地震(M7.8)(1993)
三和銀行と東海銀行が合併してUFJ銀行に(2002)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“ヒーローに憧れる人”とのことです。
誕生花は「ファレノプシス」、花言葉は「清純」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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