RUNNING BEAR Ⅱ

くまこの日記です。コメントは承認制とさせていただきます。

明けましておめでとうございます。

2019-01-01 21:24:26 | 航平君
明けましておめでとうございますヽ(^。^)ノ。

何かと、「平成最後の」という言葉が付いて回ります。
平成最後のお正月ですね。

元旦から記事が上がりましたヽ(^。^)ノ。

平成の「30年」と「長老」内村航平 体操競技進化の時代のその先へこちら

体操界のキングこと内村航平(リンガーハット)は1月3日に30歳の誕生日を迎える。その歩みは「平成」と共にあった。産声をあげた5日後の1月8日、日本は昭和から平成に改元した。自身と同じく歳月を重ねた元号が、もうすぐ終わる。

「平成は進化した時代。すごく変化がめまぐるしかった時代じゃないかな。スマートフォンも以前はなかったんだよなと思いますしね」

 確かに、そうかもしれない。この30年の間にベルリンの壁は崩壊し、冷戦が終結。AI(人工知能)はチェスや将棋のトップ棋士に勝つまでになった。

体操界では平成18年に「10点満点」の採点が廃止され、技の難しさを示す「演技価値点」と、実施の正確さを反映した「演技実施点」の合計で点数が決まる方式が導入された。実施点は上限の10点から減点されるが、演技価値点は青天井だ。高難度の技が次々と生まれるのは必然の流れだった。

 そんな転換直後に表舞台に出てきた内村は、個人総合で世界選手権6連覇(21、22、23、25、26、27年)、五輪も24年ロンドン、28年リオデジャネイロと2連覇。リオでは悲願の団体総合制覇も成し遂げた。

世界が難度偏重になりがちな中、全6種目において難度と精度をハイレベルに両立させ、「体操は6種目できてこそ」「難しいことを美しく」との信念を演技で発信し続けてきた。

 その進化する姿は国内外の選手たちを刺激し、レベルアップを加速させた。特に近年、日本だけでなく中国やロシアにも優秀なオールラウンダーが育ってきたのは、内村が道標になったからだと指摘する関係者は少なくない。「体操界を引っ張れている自負はある」という本人の言葉に異論を挟む余地はないだろう。

30歳という年齢は体操選手として、決してもう若くはない。地味な基礎練習と長時間のケアなくして現状維持すらままならない。それでも内村は、妥協なき時間を積み重ねていけば、まだやれるとの手応えを30年シーズンでつかんだという。

 まったく同じメニューを毎日繰り返し、ほんのわずかな体や感覚の変化を見いだす。故障に細心の注意を払う。どうしたら体操の魅力がより伝わるか思案する。リオ五輪の後、プロ選手として新たな扉を開いたことで、体操界や日本のスポーツ界を俯瞰するような発言も増えてきた。

ここ数年は「楽しい」と語る姿が印象的だ。本人に聞くと、こんな答えが返ってきた。

 「少しでも楽しいというワードを発したいんで。実際、楽しいと思っているんですけど」

 それは、いかに体を操ることが爽快かという世間へのメッセージであり、栄光を極めてなお、しんどい練習に自分を正対させる秘訣でもあり、まだまだ体操の世界で表現したいことが残っている喜びでもある。

 懸命にトップに踏みとどまりながら己を深めていく。自分のことを体操界の「長老」と称するようになった最近の内村には、進化よりも深化という言葉が合う。

 「あと2年、(東京五輪まで)引っ張っていけたらいい。『(次の元号の)序盤を引っ張っていたのは、あいつ』みたいな存在になれたら」

 平成は4月に終止符を打つが、希代のジムナストは時代をまたぐ。キャリアの終着点は、まだ先だ。




1月3日、航平君、30歳になるんですね~。
ロンドン五輪のころ、あの頃でもなぜか若いのに色っぽさを漂わせていましたが、30歳くらいのもっと大人の男性になったら、どれだけカッコよくなるんでしょ~って思っていましたが、期待を裏切ることなく、年々カッコよさを増していますね

長崎新聞には、航平君の特集がどーんと出ていたようで、Twitterで拝見しました。

若いころに、メディア対応はやりたくないと思っていた自分をすごく反省しているということが記事の中に書いてありましたが。

そこをやり直したい、みたいなことを言っていましたが、いつも言っていますが、そんな航平君がとても魅力的だったんですよね(*^。^*)。
尖がって、不愛想で、そして、むちゃくちゃ強い。
たった数日しかなかった「昭和」生まれだったという航平君。そこに、ものすごく運命っぽいものを感じます。
ものすごく特別な。

今はもう、五輪金メダリストとして、体操界だけでなく日本のスポーツ界を背負った発言が多いですけど、それでも時々ちらっと出てくるちょっと尖がった発言とか、超テンション低いインタビューとか、そんなのを見ると、来たね、来たねって妙にキャッキャしちゃいます(笑)。

航平君の昭和64年生まれに関する記事も。

亀田大毅、内村航平、元AKBの梅田彩佳も “昭和64年生まれ”の不都合な真実こちら

「結局、生まれ年はどっちでもいいんです。だけど、ただ、昭和64年生まれは貴重だよね。昭和64年生まれの世界チャンピオンって僕と(体操の)内村航平選手ぐらいかもしれないですね」

 その内村航平さんは、昭和64年1月3日生まれ。母親の周子さんは、30年前をこう振り返る。

「予定日は昭和63年の12月31日でした。出産したとき、まさか、天皇陛下がお亡くなりになるなんて思わなかった。今思えば貴重な昭和64年生まれになりましたね。次の元号に、航平の『平』の文字がついたのは、偶然なんですよ」


航平君は、7日しかない昭和64年生まれだということを気に入ってるって言ってましたよね(*^。^*)。





さて、今年も航平君をいっぱい応援していきたいと思います。
私の個人的な今年の目標としては、「とことんやり抜く。」
私、100%やり切る前に、手を緩めちゃうところがあるんですよね。
ここまでやれば問題ない、というところまで達すると、そこでやめてしまう傾向にあるというか。
自分の都合だけでは動けない事情が色々増えてきて、まあいいや、明日やろう、と思っていると、翌日予定が急に入れられてしまってそれが出来なくなる、ということが昨年は多くなりました。
今日出来ることは、今日やる。
航平君の試合を見に行くという楽しみのために、ますます頑張りますよ~ヽ(^。^)ノ。

今年もどうぞよろしくお願いいたします