東日本大震災から8年が経ちました。
あの日のことは、今でも思い返すと、あの時のあの何とも表現できない感情を心に感じることが出来るのですが、やはり年月が経ち、日々の生活で思い出すことはなくなってきました。
こういう節目の時には、しっかり思い返して、命の大切さ、今生きていることへの感謝など、心に刻みたいと思います。
大切な人をなくした悲しみは、一生癒えることなどないと思いますが、せめてほんのひと時でも、その方々に安らぎの時がありますようにと、願うばかりです。
ムスメが産んだちびくま君も、9か月になりました。
チャイルドシートが大嫌いで、いつも車に乗せると泣いていたので、なかなかムスメはうちに来られませんでしたが、最近は大人しく乗っているので、週に1回は遊びに来てくれます。
来るたびに出来ることが増えてくるちびくま君に会うのは、楽しみで仕方がありません。先日うちに来た時は、ご飯の時に「まんま!」と言えるようになりました。
一方、年老いた両親は、なんとか二人で生活をしていますが、何か細い糸がぷつっと切れたら、もう生活が出来ないのではないかと思うほど、危ういです。様子を見に行くたびに、少し認知が入ってきた母の、出来ることがひとつづつ減っていくような気がします。
同じ命でありながら、両極端にある命のありかたを見ながら、色々考えさせられます。
自分が子供を産んだとき、親のありがたみを感じて、親の気持ちはもう自分もわかったような気がしていました。
でも、今、ムスメの子を見ていると、私が子供を産んだときに父や母がしてくれたことの意味とか、その時分からなかったありがたさとかをしみじみと感じます。決してすべてをわかってなんかいなかったんだなあ~って思います。
父はまだまだしっかりしていますが、母はもう、私を気遣うことは全くなく、子供のように私が実家に行ってすることに対して、「ありがとね、ありがとね。」と繰り返すだけです。
でも、私が今の母の歳になった時、今ではわからない母の気持ちに気づくのだろうと、そんな気がします。
一生、親は超えられないということですね。
そんなことを日々感じながら、家族の大切さを思いながら、このところ生活しています。
与えられた命を大切に、毎日を精いっぱい生きたいと、そう強く思います。
あの日のことは、今でも思い返すと、あの時のあの何とも表現できない感情を心に感じることが出来るのですが、やはり年月が経ち、日々の生活で思い出すことはなくなってきました。
こういう節目の時には、しっかり思い返して、命の大切さ、今生きていることへの感謝など、心に刻みたいと思います。
大切な人をなくした悲しみは、一生癒えることなどないと思いますが、せめてほんのひと時でも、その方々に安らぎの時がありますようにと、願うばかりです。
ムスメが産んだちびくま君も、9か月になりました。
チャイルドシートが大嫌いで、いつも車に乗せると泣いていたので、なかなかムスメはうちに来られませんでしたが、最近は大人しく乗っているので、週に1回は遊びに来てくれます。
来るたびに出来ることが増えてくるちびくま君に会うのは、楽しみで仕方がありません。先日うちに来た時は、ご飯の時に「まんま!」と言えるようになりました。
一方、年老いた両親は、なんとか二人で生活をしていますが、何か細い糸がぷつっと切れたら、もう生活が出来ないのではないかと思うほど、危ういです。様子を見に行くたびに、少し認知が入ってきた母の、出来ることがひとつづつ減っていくような気がします。
同じ命でありながら、両極端にある命のありかたを見ながら、色々考えさせられます。
自分が子供を産んだとき、親のありがたみを感じて、親の気持ちはもう自分もわかったような気がしていました。
でも、今、ムスメの子を見ていると、私が子供を産んだときに父や母がしてくれたことの意味とか、その時分からなかったありがたさとかをしみじみと感じます。決してすべてをわかってなんかいなかったんだなあ~って思います。
父はまだまだしっかりしていますが、母はもう、私を気遣うことは全くなく、子供のように私が実家に行ってすることに対して、「ありがとね、ありがとね。」と繰り返すだけです。
でも、私が今の母の歳になった時、今ではわからない母の気持ちに気づくのだろうと、そんな気がします。
一生、親は超えられないということですね。
そんなことを日々感じながら、家族の大切さを思いながら、このところ生活しています。
与えられた命を大切に、毎日を精いっぱい生きたいと、そう強く思います。