くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

てんぷくトリオ?

2007-08-13 05:42:33 | ノンジャンル

残暑お見舞い申し上げますぅ~
m(_"_)m

それにしても、37度とか普通になっちゃった日本ってどうよ?とか思う今日この頃、皆様くれぐれもご自愛くださいませ。


ほんの20年ぐらい前、体温より高い気温をアンダルシアで初めて体験したとき、自分の体で何が起こってるのか良く把握できなかったですなぁ。
木陰はからっと涼しくて心地よいのに、知らぬ間に奪われる体力。
そんな中、昼下がりに歩いてるトンチキは、観光客だけだったねぇ。
地元民はみんなシェスタ(昼寝)の最中だよ。
そうじゃなきゃぁ、体が持たないって。

日本は、スペインの夏なんか目じゃない、殺人的な湿度も加わる。
比熱がぐぐっと高くなるから、体にかかる負担は「アンダルシアのフライパン」の異名を取るスペインも裸足で逃げ出すほどだ。


クールビズ?
呑気なこと言ってると、死人が出るよ!
この国も、とっととシェスタを導入するべきざますっっっ!!

なんて、去年も書いたような気がするのだが、ついに今年はこの炎天にジョギング何かして熱中症で死んだ御仁まで出ましたねぇ。
ボランティアの最中に死んだ人も。
このままだと、勤勉の日本人は死滅するね。
どんどん淘汰されて、アシタマニアワ~ナ的(それを言うならアスタマニアーナ?)な国民性の進化を遂げるのも遠くなさそうな気がしている。
みんな社会保険庁なみのぐうたら集団になりさがってしまふ。
すわっ、日本の一大事!!
政府の方々には、早急に対策を練って実行していただきたい今日この頃でR(あ~る)。

ところで、憶えてるかなぁ?
てんぷくトリオ」なんてさぁ。
はじめは「ぐうたらトリオ」だったんだねぇ。

ちょっと抜粋

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三波伸介(みなみ しんすけ、1930年6月28日 - 1982年12月8日)
戸塚睦夫(とつか むつお、1931年4月20日 - 1973年5月12日)
伊東四朗(いとう しろう、1937年6月15日 - )
「ぐうたらトリオ」を結成(戸塚がリーダー)。翌年「てんぷくトリオ」と改名した。この名前は当時人気だった「脱線トリオ」(由利徹・南利明・八波むと志)をもじったものである。ちなみに、「ぐうたらトリオ」から「てんぷくトリオ」に改名した理由は、日劇の舞台に出演することが決まり、「『ぐうたら - 』では好ましくない」という事務所の意向。
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キチガイじみた日本の夏。
勤勉なんてかなぐり捨てて「ぐうたら」でやり過ごさないと、国家も「てんぷく」するんでないかい?
A(^_^;

さて、これから書きたいことは、もちろんこんな話しとは関係がない。
もう、皆さん慣れっこですよね?





いえね、こんな暑い日には、川遊びに限るって事で、甥っ子たちとカヌーに乗ってきたんですよ。
川面に漂っていても、炎天下は地獄の暑さ。


もちろん、木陰なら幾分過ごしやすいんですけどね。
それでも、ライフジャケットがたまらなくむさ苦しい。
でだ、てんぷくの練習をおっぱじめた訳なのだ。


指導員が着いて、転覆したときの起き上がり方を教えてくれる。
いえね、これが涼しくってねぇ。
A(^_^;
って、僕は写真斑でしたから、甥っ子たちだけで頑張ってましたけどね。
そう、あの忌々しいS●NYの水中カメラは、メンテに出してしまっておいたのを箱から出してみると、液晶が表示できなくなってたんで怒って捨てたっきりなんですのよ。
電源入れなくても、S●NYタイマーは稼働するのね?
余計なことを思い出してしまった。
あぁ忌々しい!
水中カメラが健在だったら、もちろん僕だって転覆の練習を楽しんだのにさっ!



ほどよい運動のあとは、もちろんおカルチャーよ。
おちゃらけて、挟み染めに挑戦してみました。


木型がすり減っていて隙間が気になっていたけど、案の定、輪郭がぼやけてました。
そう思って、わざと藍染めにしてみたんですよ。


どう?
渋さとおちゃらけの同居。
俳句の世界にも通ずる可笑し味があるんじゃないかと.....自己評価高すぎ。
2回目の二丁目浴衣祭りには参加できなかったから、3回目はこれを持って出掛けようかなって思ってるのだ。
......なんだかねぇ。


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