館野泉のピアノを聞きに行って、彼の歩き方に惚れ込んでしまった。 ピアノまでのほんの数歩で、彼は木の間隠れにフィヨルドの煌めきが見える春の林をつれてきてしまった。 いつもの林の中を散歩している、そんな何気ない弾きはじめも、ふっと梢からふってくる儚い歌を唇にとらえて、鼻歌交じりに歩く作曲家を思い起こさせた。 あぁ、フィンランドに行きたい。 さっそく彼の本を買い込んだりなんかしてね。
「北欧の夏と言えば、まず野菜だろうか。一年のほぼ半分が冬といってもよい北国に、生命の塊のような新鮮な野菜が出まわりはじめる時の鮮烈な感動は、雪と氷と冬の闇をくぐってきた人間にしかわからないだろう。新じゃが、新キャベツ、新玉葱、新人参と何にでも新がつく。そして色彩である。市場の屋台はトマトの赤、キャベツやきゅうりや葱の緑、茄子や蕪、唐辛子などの様々な色彩で溢れこぼれるようである。白と黒しかなかった半年の冬のあとで、それはまさに生命の氾濫としかいいようのないものだ。
中略
とびきり美味しいものをごちそうするからというので、いそいそ出掛けたら、ただ新じゃがにディルの葉をいれて茹で、それにバターをつける、本当にそれだけしか出てこなかったこともある。それでも夏の光の中で食べていると、こんなに美味しいものはどこにもない、なんて幸せでよい時が流れていくのだろうと思ってしまうから不思議だ。」
「つかの間の夏の輝き 館野泉」から抜粋
のべつ幕なしというのは、エントロピーの増大に他ならず、それは生よりもむしろ死に近いもののように思われる。
冬を知らない野菜を食べ、窓の外にも目をやらずゲームにいそしみ、やり部屋でセックスにどっぷりつかる、それって、僕には生きてないような気がするのだ。
春が来ないのは困るけど、来るなら遅い春が良い。
待ち望んで待ち望んで、さらに待ち望んで、やっと訪れる雪解け。
心の雪解けに涙してみたいの、などと言ってみたい今日この頃であった。
そう、氷河期も良いものだよとかなんとか。
ははは
「北欧の夏と言えば、まず野菜だろうか。一年のほぼ半分が冬といってもよい北国に、生命の塊のような新鮮な野菜が出まわりはじめる時の鮮烈な感動は、雪と氷と冬の闇をくぐってきた人間にしかわからないだろう。新じゃが、新キャベツ、新玉葱、新人参と何にでも新がつく。そして色彩である。市場の屋台はトマトの赤、キャベツやきゅうりや葱の緑、茄子や蕪、唐辛子などの様々な色彩で溢れこぼれるようである。白と黒しかなかった半年の冬のあとで、それはまさに生命の氾濫としかいいようのないものだ。
中略
とびきり美味しいものをごちそうするからというので、いそいそ出掛けたら、ただ新じゃがにディルの葉をいれて茹で、それにバターをつける、本当にそれだけしか出てこなかったこともある。それでも夏の光の中で食べていると、こんなに美味しいものはどこにもない、なんて幸せでよい時が流れていくのだろうと思ってしまうから不思議だ。」
「つかの間の夏の輝き 館野泉」から抜粋
のべつ幕なしというのは、エントロピーの増大に他ならず、それは生よりもむしろ死に近いもののように思われる。
冬を知らない野菜を食べ、窓の外にも目をやらずゲームにいそしみ、やり部屋でセックスにどっぷりつかる、それって、僕には生きてないような気がするのだ。
春が来ないのは困るけど、来るなら遅い春が良い。
待ち望んで待ち望んで、さらに待ち望んで、やっと訪れる雪解け。
心の雪解けに涙してみたいの、などと言ってみたい今日この頃であった。
そう、氷河期も良いものだよとかなんとか。
ははは