くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

ああ、生命生命生命!

2005-03-08 11:07:02 | ノンジャンル
館野泉のピアノを聞きに行って、彼の歩き方に惚れ込んでしまった。 ピアノまでのほんの数歩で、彼は木の間隠れにフィヨルドの煌めきが見える春の林をつれてきてしまった。 いつもの林の中を散歩している、そんな何気ない弾きはじめも、ふっと梢からふってくる儚い歌を唇にとらえて、鼻歌交じりに歩く作曲家を思い起こさせた。 あぁ、フィンランドに行きたい。 さっそく彼の本を買い込んだりなんかしてね。



「北欧の夏と言えば、まず野菜だろうか。一年のほぼ半分が冬といってもよい北国に、生命の塊のような新鮮な野菜が出まわりはじめる時の鮮烈な感動は、雪と氷と冬の闇をくぐってきた人間にしかわからないだろう。新じゃが、新キャベツ、新玉葱、新人参と何にでも新がつく。そして色彩である。市場の屋台はトマトの赤、キャベツやきゅうりや葱の緑、茄子や蕪、唐辛子などの様々な色彩で溢れこぼれるようである。白と黒しかなかった半年の冬のあとで、それはまさに生命の氾濫としかいいようのないものだ。
中略
とびきり美味しいものをごちそうするからというので、いそいそ出掛けたら、ただ新じゃがにディルの葉をいれて茹で、それにバターをつける、本当にそれだけしか出てこなかったこともある。それでも夏の光の中で食べていると、こんなに美味しいものはどこにもない、なんて幸せでよい時が流れていくのだろうと思ってしまうから不思議だ。」
「つかの間の夏の輝き 館野泉」から抜粋
のべつ幕なしというのは、エントロピーの増大に他ならず、それは生よりもむしろ死に近いもののように思われる。
冬を知らない野菜を食べ、窓の外にも目をやらずゲームにいそしみ、やり部屋でセックスにどっぷりつかる、それって、僕には生きてないような気がするのだ。
春が来ないのは困るけど、来るなら遅い春が良い。
待ち望んで待ち望んで、さらに待ち望んで、やっと訪れる雪解け。
心の雪解けに涙してみたいの、などと言ってみたい今日この頃であった。
そう、氷河期も良いものだよとかなんとか。
ははは


ハナモゲラの系譜

2005-03-08 10:35:46 | ノンジャンル
「椿事」を検索していて見つけたのだ。
なんで椿なのかと思って調べたら、そういうことだったのか。

ちんじ
【椿事】
○思いがけない出来事。意外な事件。
◎「椿(チン)」は「闖(チン)」の誤用。

それはさておき以下抜粋

 プーランクは早熟の作曲家でした。子供の頃からピアノには才能を発揮していましたが、8歳の時にドビュッシーの「神聖な舞曲と世俗の舞曲」に熱狂し、12~3歳頃にはストラヴィンスキーのバレエ3部作への熱病に感染します。このあたりは芥川也寸志の少年時のストラヴィンスキーとの出会いとも共通するエピソードですが、芥川が父龍之介所蔵のSPレコードを聞いて感染したのと違って、幸いにも1910年代にパリっ子であったプーランクは、当然ながら全て実演によって感染するのですが。
 1917年18歳のときに、「黒人の狂詩曲」"Rapsodie Negre"という曲がコンサートで演奏されたのが、楽壇への実質的なデビューです。この「黒人の狂詩曲」は、当時流行していた異国趣味を反映した、デタラメの「黒人語?」の詩集を歌詞とした曲です。演奏会本番では歌手がこのデタラメな歌詞のあまりの恥ずかしさに、当日突然逃げ出してしまうという椿事に、プーランク本人が歌ってしのぎます。兵役に付くことが決まって既に入営済みだったため、なんと彼は軍服を着たまま舞台にあがり「データラーメ、データラーメ!」と歌ったのです。

中略

実際に作曲を本格的に勉強し始めたのは、4年後の1921年にミヨーの薦めでシャルル・ケクランに師事してから
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「黒人の狂詩曲」ねぇ、聞いてみたいかも。
そういえばラヴェルも、「ハラキリ、セッシュウ、ハヤカワ....」なんてのに歌をつけてたっけねぇ。
ケケケケケスクサ~? イラカカカカカカカ~ジ?
なななななぁ~に~? それかかかかかかか~ご?

なんてのも、ネコ語だけのデュエットも、洒落がきついよね。
すっきやわぁ~

http://www.shinkyo.com/concerts/p180-2.html



あたりまえのことに

2005-03-08 10:34:41 | ノンジャンル
あたりまえのことに感動する今日この頃。
昨日の夜、僕のそっくりさんとすれ違って、いつものように挨拶をしたら、
なぁ~んと、ちゃんと挨拶をしかえしてくれたのだ。
しかも短い会話付き。 A(@。@;
以前ここでくさしたのを読んでたのだとすると、それはそれでうれしいような。
これからもよろしくね。
うふ。W