発起人の権限についてもう少し考えてみます。
発起人の権限をいうとき、設立中の会社の権限も述べるものもありますが、私は同一と解し、発起人の権限のみを論ずる立場を採っています。
まず、同一性説から。
原則として、設立中の会社は本来権利能力を有しないが、設立中であってもその実体は存在し、発起人を機関として行為をなし得る。
よって、設立中の会社は権利能力なき社団と解し、発起人がした行為は、形式的には発起人に帰属し、実質的には設立中の会社に帰属する。
そして、会社が設立すると、形式的にも何ら手続きを要せず、設立前にした発起人の行為は設立後の会社に帰属する。
しかし、発起人がした行為は、発起人がなし得る権限内の行為でなくてはならない。
では、その権限内の行為はいかなるものと解すべきか。
設立中の会社は、発起人を介して行動しうるのであるから、発起人の権限は、設立中の会社の権限と同じと解する。
設立中の会社は、成立を目的とするものであるが、直接的な行為のみとするのでは、設立が困難になる場合もあり得る。
しかし、広く開業準備行為まで及ぶとするのでは、成立を目的とする以上のものになり、妥当でない。
定款に記載する変態設立事項(28条各号)は、会社の財産的基礎を確保し、健全な会社設立を目的とするものである。
そこで、成立のために法律上のみならず事実上、経済上必要な行為まで及ぶと解する。
そして、発起人が権限外の行為をした場合、発起人に帰属し、会社には帰属しないのが原則である。
では、会社は発起人がした権限外の行為を追認し得るか。
28条を規定した趣旨が会社の財産的基礎を確保し、健全な会社設立を目的としたものと解する以上、現物出資を潜脱する行為は追認(民法116条を類推)を認めるべきでない。
もっとも、その後、事後設立を新たに行うのであれば、認められるというべきである。
一方、相手方の保護は、発起人が行った行為は、無権代表行為というべきであるから、民法117条1項を類推し、善意無重過失である限り、相手方が保護され、発起人が責任を負うべきである。
発起人の権限をいうとき、設立中の会社の権限も述べるものもありますが、私は同一と解し、発起人の権限のみを論ずる立場を採っています。
まず、同一性説から。
原則として、設立中の会社は本来権利能力を有しないが、設立中であってもその実体は存在し、発起人を機関として行為をなし得る。
よって、設立中の会社は権利能力なき社団と解し、発起人がした行為は、形式的には発起人に帰属し、実質的には設立中の会社に帰属する。
そして、会社が設立すると、形式的にも何ら手続きを要せず、設立前にした発起人の行為は設立後の会社に帰属する。
しかし、発起人がした行為は、発起人がなし得る権限内の行為でなくてはならない。
では、その権限内の行為はいかなるものと解すべきか。
設立中の会社は、発起人を介して行動しうるのであるから、発起人の権限は、設立中の会社の権限と同じと解する。
設立中の会社は、成立を目的とするものであるが、直接的な行為のみとするのでは、設立が困難になる場合もあり得る。
しかし、広く開業準備行為まで及ぶとするのでは、成立を目的とする以上のものになり、妥当でない。
定款に記載する変態設立事項(28条各号)は、会社の財産的基礎を確保し、健全な会社設立を目的とするものである。
そこで、成立のために法律上のみならず事実上、経済上必要な行為まで及ぶと解する。
そして、発起人が権限外の行為をした場合、発起人に帰属し、会社には帰属しないのが原則である。
では、会社は発起人がした権限外の行為を追認し得るか。
28条を規定した趣旨が会社の財産的基礎を確保し、健全な会社設立を目的としたものと解する以上、現物出資を潜脱する行為は追認(民法116条を類推)を認めるべきでない。
もっとも、その後、事後設立を新たに行うのであれば、認められるというべきである。
一方、相手方の保護は、発起人が行った行為は、無権代表行為というべきであるから、民法117条1項を類推し、善意無重過失である限り、相手方が保護され、発起人が責任を負うべきである。