先日、浜田市内のR寺さまへお聴聞にお参りしました。
ご講師は、福山市の北山祐章先生。
「お浄土があるかないか」というところを、楽しい例話を交えて
お取次ぎして下さいました。
それにしても、お聴聞というものはよいものです。
一時ですが、普段の忙しさを離れて、仏さまのお話に浸る
というのは、本当によいひと時です。
仏教は私の生活や喜怒哀楽から離れた所には存在しませんから
お話を聞きながらいろんなことを考えてしまいます。
しかし、そうであるからこそ
私の日暮しになぞらえながらお聴聞するということは、大切なことなのでしょう。
光善寺のご法座にも、もっともっとたくさん
お参りしていただきたいなあと思いました。
ご講師は、福山市の北山祐章先生。
「お浄土があるかないか」というところを、楽しい例話を交えて
お取次ぎして下さいました。
それにしても、お聴聞というものはよいものです。
一時ですが、普段の忙しさを離れて、仏さまのお話に浸る
というのは、本当によいひと時です。
仏教は私の生活や喜怒哀楽から離れた所には存在しませんから
お話を聞きながらいろんなことを考えてしまいます。
しかし、そうであるからこそ
私の日暮しになぞらえながらお聴聞するということは、大切なことなのでしょう。
光善寺のご法座にも、もっともっとたくさん
お参りしていただきたいなあと思いました。
カセットテ-プで聞いた法話ですが、福井の米沢英雄さんというお医者さんが、言われたそうです。「あんたの話は 痛い!!」と。
よく法話で笑う人がいますが、話の中に登場する人や事柄を自分に引き当ててみると、とても笑えないことが多いですね。心に グサッと刺さるようなことばかりです。
この痛い話をもっとたくさんの方々にきいて欲しいですね。お寺の本堂はそのために広いスペ-スが確保されているのですから・・・
「私のこととして」聞かせていただくのが
大事なのですが、そのことは一番難しいのですよね。
隣のあの人の話としてなら「そうそう」と共感できるのですが…。