紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

『三酔人経綸問答』を再読する

2005-08-18 09:31:45 | 政治・外交

ジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』を『民約訳解』として翻訳し、「東洋のルソー」と称された明治時代の社会思想家でジャーナリストの中江兆民(1847~1901)の伝記『TN君の伝記』を読んだのはたしか中学1年の夏休みのことだったと思う。夏休みの読書日記のようなものをつけていて、その一冊として取り上げたように記憶している。

「よしやシビル(=市民権)は不自由でも、ポリティカル(=参政権)さえ自由なら」という「よしや節」を作詞し、土佐・高知の自由民権運動に深く携わっていた人物が自分の先祖だと聞かされていたので、土佐の民権思想家・兆民には自然と興味をもっていた。それに、なだいなだ氏の文章も平易で読みやすく、兆民の柔軟な思想と時として矛盾に満ちた人生も興味深かったので、小学校で読まされた他の教訓めいた伝記とは違って楽しく読了したことを覚えている。

中江兆民の著作の中で今日の国家戦略を語る場合もしばしば引用される本に『三酔人経綸問答』がある。岩波文庫で平易な現代語訳が添えられて出ている小著で読まれた方も多いと思うが、大日本帝国憲法発布直前の明治20年(1887)に出版されたもので、遅れて文明国入りしたアジアの小国・日本の将来について、西欧啓蒙主義的な議論を展開する「洋学紳士」と、大陸侵略も辞さない膨張主義を主張する「豪傑君」の二名が、現実主義的自由主義者の「南海先生」宅を訪問し、ブランデーやビールを酌み交わしながら議論を交わすという設定である。西洋哲学を学んだ兆民らしく、プラトンの『国家』のような対話形式で思想を展開するスタイルとなっている。今回、実家への帰省を期に久しぶりに一読してみたが、世界情勢を考える場合に依然としてこの19世紀の本が示唆する所が多いように感じた。

例えば国内における民主制の確立、軍縮・平和主義を主張する「洋学紳士」は、世界の国々が民主制を採用することにより戦争が起こらない状態を作るという、今で言う「デモクラティック・ピース(民主的平和)」論を信奉しているのだが、「豪傑君」がもし非武装につけ込んで、凶暴な国がわが国に侵攻したらどうするのかと問うたのに対して、「洋学紳士」はまずは説得して、それがダメなら「弾に当たって死ぬだけのこと。別に妙策があるわけではありません」(岩波文庫版、現代語訳、60頁)と答えている。戦後日本の非武装中立論に近い洋学紳士であるが、攻撃された場合に玉砕するとはっきり言っていた革新系の論者はほとんどいなかっただろう。その意味でこの絶対平和主義の主張は潔く、むしろインドのマハトマ・ガンジーのラジカルな「無抵抗・非暴力不服従主義」に近いかもしれない。

これに対して富国強兵主義の「豪傑君」が失笑しているのは言うまでもないが、彼もただの軍事優先主義ではなく、内政において守旧派と改革派の対立が不可避である現実を踏まえながら、、対外戦争によって国論をまとめ発展させ、守旧派の一掃をはかろうとしている点で近代史の前例を踏まえた現実主義的な主張を行なっている。

洋学紳士と豪傑君のアイディアリズムとリアリズムを折衷しているのが、南海先生で、彼はプロシアとフランスの軍拡競争により、かえって両者が武力行使に踏み切れなくなっているという、今日の「抑止論」に近い見方を示した上で、「もし軍事侵攻されたらどうするのか」という二人からの問いに対して、国民全員が兵士になり、ゲリラ的に抵抗すべきだと主張している。ベトナム戦争時のアメリカ軍に対するベトコンの抵抗を想起すると、この南海先生のゲリラ戦論は説得力を帯びて聞こえてくる。

もっとも洋学紳士も理想論一辺倒ではなく、そもそも戦争が起こるのは、君主が自己の領土にこだわるからであり、いつの時代でもどこの国でもいざ戦場となれば被害を蒙るのは民衆なので、民衆は領土や国境線には拘らず、総じて戦争に反対するはずであり、君主制を廃止すれば、戦争が起こる可能性は著しく減少するはずだと主張している。ナショナリズムの衝突が戦争の原因となり得ることや、主権概念や民族自決論に固執することが紛争対立の可能性を高めること、内政と外交の連関などに鋭い見方を示していると言えるだろう。また国際法が結局のところ、限定的な拘束力しか持たない「道徳」の域を超えないといったリアリズム的な見方も示している点も印象的である。

南海先生の議論で興味深いのは、彼が洋学紳士の「民主的平和論」を批判し、

「政治の本質とはなにか。国民の意向にしたがい、国民の知的水準にちょうど見あいつつ、平穏な楽しみを維持させ、福祉の利益を得させることです。もし国民の意向になかなかしたがわず、その知的水準に見合わない制度を採用するならば、平穏な楽しみ、福祉の利益をどうして獲得することができましょう、かりに今日、トルコ、ペルシアなどの国で民主制度をうち建てたとすれば、大衆はびっくり仰天して、騒動し、挙句の果ては動乱をかきたて、国じゅう流血騒ぎになる。たちまちそうなるに決まっています」(現代語訳、97-98頁)

と述べている点である。当時のペルシアはまさに今日のイラクだが、民主的平和論を盾にした、アメリカの「中東民主化」論を批判し、イラクでの選挙や民主政体の樹立の可能性を否定的に捉える今日の論者たちの主張になんと似通っていることだろうか。


豪傑君が上海に行き、洋学紳士がアメリカに渡り、南海先生は相変わらず酒ばかり飲んでいると言う結末は象徴的だが、日中戦争に至る道のりは豪傑君の、戦後民主主義の成立は洋学紳士の主張をなぞったかに見える。しかし戦後の日本政治に欠けていたのは、政治と軍事をバランスよく、リアルに捉えた南海先生の視点なのかもしれない。120年前の本だが、今読んでも示唆の多い大変興味深い小論であるが、同時に政治外交論があまり進歩せず、今日でも同じような議論反論を繰り返し、また戦争が依然として世界ではやまない不毛を改めて実感させられた。



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