ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

伏見稲荷神符21  「身逃神事」と「爪剥祭」

2009-10-02 11:34:07 | 日本文化・文学・歴史
出雲大社で行われる祭祀は、年間72度に及ぶというが、由緒が古く学者にも注目
されながら明確な説明がつかない「身逃神事(みにげのしんじ)」と「爪剥祭(つ
まむぎさい)」があるという。
この神事に注目したのは「今は<つまむぎ>と読むが、古くは<つまむき・つま向
>と書き、<き>は濁音ではなく常に清音であった」との『出雲大社』の記述と、
『古事記』の国譲り神話で、大国主命が葦原中国を献上する段に登場する櫛八玉神
に係わっていたからだ。

明治以前は陰暦七月四日深更に身逃神事、翌五日に爪剥祭が行われたが、今は八月
に行う。この祭祀は櫛八玉神の末裔である別火氏(べっかし・大社家上官)が、大
国主の神幸にあたって、大社の聖火で調理した斎食をし、稲佐の浜の海で身を清め
た後、八月十四日の身逃神事のための「道見(下検分)」を前夜行う。道見は禰宜
らが献鐉物を持ち湊社(みなとのやしろ・祭神は櫛八玉神)と赤人社(あかひとし
ゃ・祭神は別火氏の祖)へ詣で白幣、洗米を供えて拝礼する。次に、稲佐の浜の塩
塩掻(しおかきじま)で四方を拝し、前二社と同じ祭事を行い斎館に帰る。
翌十四日の午前一時禰宜(当日は大国主の神幸の供奉である)は狩衣を着け、右に
青竹の杖を左に真菰で造った苞(しぼ)と火縄筒を持ち、素足に足半(あしなか)
草履の出で立ちで、大社本殿の大前で祝詞を奏し、その後前夜の道見の通りに二社
に行き、塩掻島で塩を掻く。帰路出雲国造館大社本殿に向いて設けた斎場を拝し、
本殿大前に帰り再拝拍手して神事は終了する。

興味深いのはこの祭事中、出雲国造が神幸に先立ち国造館を出て一族の家に一宿し
儀式が済み次第帰館するが、国造の留守の間に国造館では大広間を清め、荒菰を敷
き八足机をそろえ、大国主神を迎える用意をする。またこの神幸の途中に人に会う
と汚れたとして、大社に戻り神幸の出直しをするという。翌十五日の爪剥祭は神幸
祭に塩掻島で掻いた塩・根付稲穂・瓜・茄子・根芋・大角豆(ささげ)・御水の七
種の神鐉を供えるのが古来からの習わしであるという。

この神事の主役は大国主神。脇役は櫛八玉神の子孫という別火氏と出雲国造である
。 が、大国主は隠身なので別火氏が供奉として代行している。
この神事を通じて何を伝えようとしているかを考えると、キーワードは櫛八玉神で
あろう。『古事記』の国譲りの段で、櫛八玉神は膳夫となって奉仕せよと命じられ
ているが、その火は熊野神社の神火であり、富氏の言う久那戸大神の神火なのだ。
そして、この神事の塩掻きは『古事記』の櫛八玉神が鵜になって、海の底からはに
を咋い出す場面であり、爪剥祭は八十びらか(平たい皿)を作り神鐉を献る場面を
あらわしていると思われる。
しかし、国造はなぜ国造館を出て、しかも一晩留守にしなければいけないのか?
それはこの神事が先祖の霊が帰ってくるという、お盆の時期に行われる事と関係す
るように思われる。

爪剥祭は古くは<つま向き>であったというが、稲佐の浜で<対馬(つま)向き>
の神事を行い、<交い矛を副葬された対馬の祖霊>を迎えるか、<大国主が対馬
の祖霊の元に里帰り>するかのどちらかであろう。

神幸とは神様が旅をすることであり、町や村のお祭りでは神様を神輿に乗せて巡行
するが、神様の休憩するところをお旅所という所以である。ならば<身逃神事>は
文字どおり大国主が出雲大社を抜け出して、先祖の地・対馬に里帰りすると考えた
い。だから出雲の大神になりかわる出雲国造も、国造館を出て他所に一宿する必要
があったのだろう。












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