ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

字母歌に仕組まれた暗号 「たゐに」 2

2009-11-02 06:33:50 | 日本文化・文学・歴史
字母歌「たゐに」を三つに分けたcブロックの訳詞を大矢透は

   もはほせよ      藻は干せよ
   えふねかけぬ     え舟繋けぬ

としているが、意味不明で難解である。
しかし「たゐに」が詞である以上その言葉には意味が込められているはずである。
訳詞を検討してみたい。

  大矢透訳「たゐに」     意味

  田居に出て         田舎で菜をつんでいる私を
  菜摘む我をぞ        君(大君や身分の高いひと)なる人が求婚し
  君召すと          お召しになると(いっては)
  求食り追ひ行く       女を漁り追いかける
  山城の           山城の
  打酔へる子ら        (栄華?・酒?に)酔いしれる子らよ
  藻は干せよ         藻は干しなさい
  え舟繋けぬ         舟をつないだよ

やはり後半二行は前半の内容とつながらない。この二行の訳が「たゐに」の意図と
違っているのではと思った。全体的には風刺の詞と思われるが「君の威を借りて女
漁りをし、(栄華・酒)に酔いしれている山城の子ら」に対して怒りつつ「もはほ
せよ」「えふねかけぬ」と告げているように思われる。

この詞のキーワード「山城の子ら」といえば、私には思い当たる人たちがいる。
このシリーズを読んでくださったあなたにも察しがついたでしょう。「たゐに」も
私の推量した『古代からの暗号』と同根の暗号らしいと。

山城国風土記逸文として伝わる「伏見稲荷縁起」を調べるうちに出合った「伏見稲
荷神符」の絵解きが前回のテーマでしたが、この縁起に登場するのが<山城の秦氏
>でした。そして「倭国」から「日本国」誕生にいたるまでに大きく関与したのが
秦氏であろうと結論しました。

『日本書紀』によると秦氏は応神天皇のころ、弓月君(秦氏の祖先)が120県の民
をひきいて伽耶より渡来したと記す。また雄略天皇は秦氏を重用し秦酒公(はたの
さけのきみ)に㝢豆麻佐(うずまさ)の姓を賜った。欽明天皇即位前紀には、欽明
天皇がまだ若い時に秦大津父(はだのおおつち)という者を登用すれば、壮年にい
たってから天下を治めることができるであろう、という夢をみた。そこで秦大津父
なる人物を探させると、はたして山城国紀郡深草里にいることがわかった。欽明は
珍しいこともあるものだと喜んで、大津父を呼びよせた。そして「お前の方には何
か特別なことは起こらなかったか」と尋ねたところ、次のように答えた。「特に霊
夢は見ませんでしたが、私が伊勢に商売に出かけたとき、山中で二匹の狼が殺し合
いをしているのに出くわしました。そこで私は二匹の狼にむかって、あなた達は貴
い神といわれる存在なのに、互いに殺し合いをしていては、猟師にうまうま捕らえ
られてしまいますよ。」といって両者をなだめ、解放を加え、逃してあげました。
この話を聞いて、欽明はその見返りはきっとあるであろう、といって大津父を側近
くに仕えさせた。大津父は欽明の優遇をうけて富裕となり、欽明が即位した後は「
大蔵省」に就任した、という話である。

この説話の二匹の狼とは何を意味するか興味あるが、欽明の父の継体天皇の没年
は、527年説と531年説があり明確でないうへ、その一方を採ると次代の安閑朝まで
二年の空位が出来てしまう。また『日本書紀』が引く『百済本記』に「又聞く、日
本の天皇及び太子・皇子、俱に崩御りましぬ」とあり、継体・安閑・宣化の三人が
同時に亡くなったことを記している。これを「継体・欽明朝の内乱」があったとす
る説もある。欽明の母は仁賢天皇の娘、安閑・宣化の母は尾張連の娘であるが、前
者の畿内の豪族の勢力と、後者の尾張という旧伽耶系の勢力との対立を経て、欽明
朝が成立し、この時期の欽明を秦大津父が支えていたとしたら大いに感謝されたろう。

古代の山背(山城)は秦氏と賀茂氏の二大勢力が繁栄していたと思われているが、
秦氏はいつ頃かは定かでないが本来は出雲系の加茂神社(鴨氏)や松尾神社まで手
中に納めたし、雄略天皇は出雲系葛城氏(鴨氏)宗家や加也系吉備氏をも滅ぼして
いる。出雲系(国つ神)にとって秦氏は苦々しい存在であったろう。

このような状況を考慮すれば「たゐに」のcブロックの語句で何を伝えたいかが分
かってきた。

 もはほせよ→藻・茂・mo(狛系民族)は穂・秀ぜよ

  この藻は古今伝授「三木三鳥」のひとつ「川菜草」にあたる。
  なぜなら川菜草は淡水産の藻類の呼称と伝えられているのである。これらは
  「秋の七草」の「葛」と対応し、葛城氏、賀茂氏系の氏族を指し、出雲系(地
  祇)であるが、葛城宗家は雄略天皇に滅ぼされており、さらに雄略天皇に寵愛
  された秦酒公(天神)は山城を本拠地とし、地祇系の加茂神社・松尾神社・稲
  荷神社をも手中に納め繁栄したと思われる。その秦氏に対して
  「我々の方が(日本の)先住者だ」あるいは「我々の方が優秀だ」
  と主張している。

えふねかけぬ→絵符(伏見稲荷神符)根かけぬ
        (詞としての正しい読み方)

 しかしもうひとつ暗号読みが隠れている。

   よえふね→(逆さ読み)ねふえよ→根増えよ

 根とは伏見稲荷神符の「ねずみ→根住み」と「きつね→木つ根」の根を指し

  「根の民の増えよ」と願っている。

 かけぬ→掛けぬ

  これは暗号解読の方法を示す暗号。
  「掛けてあります」と教えている。

これで「たゐに」の解読は終了です。
字母を使ってこれだけのメッセージを作るのは至難の業でしょう。
  













          
 









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