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地下鉄5号線 「鍾路3街」 駅から乗車し、降りた駅は 「光化門」 駅です。
改札口の一番端に、子ども専用の出入り口がありました。
こいう遊び心はいいですね~
「私もこっちから通りたい!」 と言ってみたかったけれど、駅員さん見当たらず…
「光化門」 駅の5番出口から地上に出ました。
ここで待ち合わせをしています。
この頃は、真夏で日差しも厳しかったので、木陰で待ちます。
すると、 『CHANNEL A』 のスタジオ前でなにやら始まりました。
『CHANNEL A』 は、大手新聞社 「東亜日報」 系列のケーブル&衛星テレビチャンネルです。
このスタジオで公開放送を実際に撮っている場面に何度か遭遇したことがあります。
のれんに 「ロッテリア」 と書いてありますね。
遠巻きに、その様子を見ているとオーストラリア産牛肉をのプルコギバーガーや
国産韓牛の韓牛プルコギバーガーのPR会が行われようとしているところでした。
私たちが待っているのは、ソウル文化観光解説ボランティアの方です。
そう、この日もソウルウォーキングツアーに参加すべく、事前にネットから予約しておきました。
待ち合わせ場所は、地下鉄5号線光化門駅5番出口辺り
担当して下さるのは、文化観光解説ボランティアの郭さん で、
今回予約したコースは 【生態復元 清渓川コース1】 です。
コースの紹介にはこう記されていました。
「噴水や滝、清渓川(チョンゲチョン)のミニチュアなどで幻想的な空間を演出する清渓広場をはじめ、
95年ぶりに復元された朝鮮時代の代表的な石橋の広通橋(クァントンギョ)、正祖(チョンジョ)が
母の恵慶宮(ヘギョングン)洪(ホン)氏とともに華城(ファソン)と顕隆園(ヒョンリュンウォン)へ行く姿を描いた
正祖班次図(チョンジョバンチャド)、洗濯場、希望の壁、空の水広場、ボドゥル(柳)湿地から成る
「清渓川8景」を鑑賞することができます」
郭さんとも無事お会いできて、ウォーキングツアーが始まりました。
清渓川は、その昔ソウルの中心部を西から東に流れていた全長約8kmの川だったそうです。
仁王山や白岳山南部、南山北部の山麓に端を発し、東大門を過ぎた辺りから南下して中浪川と一緒になり
漢江へ流れていたとか。 この川によって、李氏朝鮮時代には北側と南側とで政治や文化を分ける
意味のある川だったそうです。 今でも三清洞辺りを 「北村」 と聞きますよね。
何度か、このウォーキングツアーに参加させてもらっていますが、
いつも感心するのは、みなさんとても研究熱心で、いかに私たちに分かりやすいように
伝えるかで、いろんな工夫や努力をなさってらっしゃること。
今回も昔のソウルの地図を見せて下さり、市内の中心部をどうやって川が流れていたかを
説明して下さいました。
そして、いつもは遠くから清渓川のシンボルとしか見ていない 「スプリング」 のモニュメントから
解説が始まりました。
中までのぞいたことがなかったので、「へえ~、こうなってたんだぁ」 と
3号と顔を見合わせました。
機会があったら、顔を突っ込んで中をのぞき込んでくださいね。 新しい発見があるかも…
ポチっと押して頂くと皆さんには何もありませんが、しゃかしゃか母がHappyになります 人気ブログランキングへ
地下鉄5号線 「鍾路3街」 駅から乗車し、降りた駅は 「光化門」 駅です。
改札口の一番端に、子ども専用の出入り口がありました。
こいう遊び心はいいですね~
「私もこっちから通りたい!」 と言ってみたかったけれど、駅員さん見当たらず…
「光化門」 駅の5番出口から地上に出ました。
ここで待ち合わせをしています。
この頃は、真夏で日差しも厳しかったので、木陰で待ちます。
すると、 『CHANNEL A』 のスタジオ前でなにやら始まりました。
『CHANNEL A』 は、大手新聞社 「東亜日報」 系列のケーブル&衛星テレビチャンネルです。
このスタジオで公開放送を実際に撮っている場面に何度か遭遇したことがあります。
のれんに 「ロッテリア」 と書いてありますね。
遠巻きに、その様子を見ているとオーストラリア産牛肉をのプルコギバーガーや
国産韓牛の韓牛プルコギバーガーのPR会が行われようとしているところでした。
私たちが待っているのは、ソウル文化観光解説ボランティアの方です。
そう、この日もソウルウォーキングツアーに参加すべく、事前にネットから予約しておきました。
待ち合わせ場所は、地下鉄5号線光化門駅5番出口辺り
担当して下さるのは、文化観光解説ボランティアの郭さん で、
今回予約したコースは 【生態復元 清渓川コース1】 です。
コースの紹介にはこう記されていました。
「噴水や滝、清渓川(チョンゲチョン)のミニチュアなどで幻想的な空間を演出する清渓広場をはじめ、
95年ぶりに復元された朝鮮時代の代表的な石橋の広通橋(クァントンギョ)、正祖(チョンジョ)が
母の恵慶宮(ヘギョングン)洪(ホン)氏とともに華城(ファソン)と顕隆園(ヒョンリュンウォン)へ行く姿を描いた
正祖班次図(チョンジョバンチャド)、洗濯場、希望の壁、空の水広場、ボドゥル(柳)湿地から成る
「清渓川8景」を鑑賞することができます」
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清渓川は、その昔ソウルの中心部を西から東に流れていた全長約8kmの川だったそうです。
仁王山や白岳山南部、南山北部の山麓に端を発し、東大門を過ぎた辺りから南下して中浪川と一緒になり
漢江へ流れていたとか。 この川によって、李氏朝鮮時代には北側と南側とで政治や文化を分ける
意味のある川だったそうです。 今でも三清洞辺りを 「北村」 と聞きますよね。
何度か、このウォーキングツアーに参加させてもらっていますが、
いつも感心するのは、みなさんとても研究熱心で、いかに私たちに分かりやすいように
伝えるかで、いろんな工夫や努力をなさってらっしゃること。
今回も昔のソウルの地図を見せて下さり、市内の中心部をどうやって川が流れていたかを
説明して下さいました。
そして、いつもは遠くから清渓川のシンボルとしか見ていない 「スプリング」 のモニュメントから
解説が始まりました。
中までのぞいたことがなかったので、「へえ~、こうなってたんだぁ」 と
3号と顔を見合わせました。
機会があったら、顔を突っ込んで中をのぞき込んでくださいね。 新しい発見があるかも…
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