箪笥の中から、仕立ての良いスーツを一着見つけました。買った覚えも無く、誰かからもらったものかと思いながらも、自分にしつらえたように体にぴったりだったので何の違和感も無く着て、出張に出かけました。
車の運転をしているときに、内ポケットに入れた手帳を取り出すと、一緒に紙切れが出てきました。
信号で止ったときに良く見ると、 昭和41年10月3日付けの領収書…。その瞬間、今着ているスーツの本当の持ち主が判明し、私の意識は一瞬で40年以上前の時代に遡ってしまいました。
スーツは昭和42年4月に30歳ちょっとで胃癌で亡くなった、私の父親のものでした。
亡くなる半年前、たぶん最後の出張で仙台に3泊した時の受領書がそのままポケットに入っていたのでしょう。
この受領書を見ながら、知らず知らず自分より十歳も若い父親に話しかけていました。
『一泊350円安いなぁ。今の10分の1じゃない。…おいおい、もう発病してんだろう。胃が痛かったりするんだろう。酒飲んでる場合じゃないでしょう。6歳と1歳の子もいるんだからさぁ。』
白黒の写真でしか見たことのない、私のイメージでは芥川龍之介似の父が語りかけてきます。
『そう思うんなら。自分も同じことをするなよ。』
40年以上経って、父の死の悲しみを初めて感じ涙してしまいました。
私は今日、娘たちに嫌われようが何だろうが、迷惑をかけるくらい生き続けてやろうと思いました。火葬のときはちょっと泣いてもらっても構わないけれども、『やっと逝ってくれたよ。』と、残された人たちが笑顔で語り合える状態で、この世を去りたいです。
父の形見のスーツ、これからは勝負服として愛用します。