さて、久慈の舞台も釜石の舞台もひと段落着いたところで、陸前高田のベッカーズアクト再始動の息吹が感じられるので、今日はベッカーズの歴史を紐解いてみましょう。
青年会活動が盛んだった1994年の陸前高田市。青年会の芸能祭というものが行われていましたが、(今もやっているのかな)そこで、竹駒地区の青年会のメンバーで地元の民話劇をしてみませんかというところがスタートでした。
1995年その青年会メンバーを軸に、陸前高田青年会の全面サポートのもと、劇団ベッカーズアクトが旗揚げされました。
その後、活動の幅を広げ民話劇だけでなく『テレビより面白い生ドラマ』を掲げ、現代劇も上演。代表作として『ドラマのように眠りたい』等がある。(『ドラマ~』は、劇団カゼにより、久慈のアンバーホールでも上演されました。)
本吉町劇団パルプンテや、気仙沼市青年会の演劇大会出演者、高田高校とユニットを組む活動も展開し、宮城県本吉町のハマナスホール(『気仙奇伝』)、大船渡市、盛岡劇場八時の芝居小屋(『陸奥の再生』)でも、公演を行いました。ベッカーズプロデュースで、高田高校演劇部が初演した『ロケッティ』は、作者もよくしらないまま、全国でかなり上演されています。(『ロケッティ』で、検索すると、かなり上演されていて驚きました。)
2003年、こむろが陸前高田を去ってからは、シュールな作品に方向が移り、毎年上演を重ねてきましたが、2005年の上演を最後に、現在は休止中というところです。
さて、ベッカーズアクトは、いったいどんな展開で再生を果たすのか、今後の活動にご期待ください。