R45演劇海道

文化の力で岩手沿岸の復興を願う。
演劇で国道45号線沿いの各街をつないでいきたいという願いを込めたブログ。

苦手な作業

2007-11-30 23:09:13 | インポート

 今日は、風邪気味で鼻水がジュルジュルしながら、釜石の舞台装置の設計図と、模型作りをしました。実は、きちんと図って計算して定規を使ってしっかりと描く作業って、苦手なことだということに今日、気がつきました。来週まで作る約束をしたので、頑張ります。

 また、昨日の会議で私以外の人がみんなタバコを吸っていたことが最悪の結果になりました。喉が痛いし、咳が止らず戻してしまいました。最近は、禁煙が世の中で浸透していたので忘れていましたが、タバコ吸いの会議室に一時間詰め込まれれば、私は二日酔いよりもひどい状況になることも思い出しました。

 そして、何より指先が割れて血がにじむ季節になって来たことが、問題です。あぁ、パソコン打っても指が痛い。痛さをこらえて作業をするって、本当に血のにじむ思いです。

 日曜は、山形で稽古です。山形もプラトー状態で、伸びません。これは、参加者のせいではありません。全て演出の指示とテンションにかかっているのです。移動時間が長いとやっぱり疲れてテンションあがりませんね。がんばれ自分!


誠実に生きるって難しい

2007-11-29 22:48:01 | インポート

 今回の『憑鬼の杜』の中での台詞。

『あぁぁ、いらいらするな。その、何でもわかっていますっていう口調。腹が立ってしょうがねぇ。』

 鬼が、そんな話をします。

 今、まさにそう言われている気分です。

 誠実にこつこつこなして生きているつもりですが、その誠実さが気に食わない人もいるのだと、今日、気がつきました。失敗のないように準備を重ねて事をなすのも、用意周到で気に食わない人には面白くないことなのでしょう。ちゃらんぽらんにやっていればそれも気に食わない人がいますし…。

 要は、人の目や意見に左右されないことが大事なんですね。

 すみません。自分でふっておいて、自分で答えを見つけちゃいました。文章を書くって、いいですね。こうして答えが見つかることもあるんですから。

 今日は、一人芝居でした。


芝居どっぷりの日々

2007-11-28 20:53:30 | インポート

 今日は、久慈の脚本を直し、直しが多かった子役の子に直接あがった台本を郵送し、チラシのデザインをし、脚本を入稿に印刷所に行きました。参加者にはきれいに製本された脚本が渡されますし、一般の方にもお分けすることができるようにします。

 久慈の舞台美術は、今のところ大御所にあたりをつけています。うまく交渉が成立したらお知らせします。(かなり、私の美術的テンションが落ちているので…。)

 山田に戻って、釜石の舞台美術の模型作りをしています。やっぱり採用される見込みの無い仕事は、意欲が沸きませんね。でも、やると仲間たちと約束をしたので、とりあえずは説明できるようなものを作ります。

 それから、久慈の子どもたちと約束をしたので、家で読みの練習ができるように、これから『音読カード』を作ります。釜石にも…。いや、余計なトラブルの基になるのででしゃばったことはやめましょう。

 釜石の人たちは可愛そうです。本当に芝居が好きな人たちが集まっているのに、芝居以外の面でかなりのエネルギーを使わなければなりません。そのエネルギーを全て芝居作りの内容に向けられたらどんなに素敵なことでしょう。

 去年の釜石の舞台は、かなり芝居そのものに集中して取り組めました。余計な気苦労はせず、芝居の中身で悩んだり考えたりするのは辛い面もあっても充実感があったと思います。今年の舞台もそうなることを願っています。

 久慈の舞台がそうなるかどうかは、私の力にかかっています。

 稲刈りと種まきを同時にやっているところですが、さそってもらえるうちは、働きたいと思います。


ミッション遂行

2007-11-24 22:25:56 | インポート

 多くの街を歩き、多くの人たちと共に芝居をつくりあげているのだが、自分のミッションはとてつもなく孤独だ。戦闘の只中にいつも一人で入り込んでいく。そして、気がつくと最前線にいる。その、それぞれの戦いの中では圧倒的な強さで勝たねばならない。それが、私に課せられたミッション。それぞれの街には一緒に行動してくれる素敵な仲間たちがいる。しかし、トータルで渡り歩いているのは、勿論自分だけなのである。そして、それは、誰から依頼されたのでもなく、自分の意志で突き進んでゆこうと決めたことである。。ここまで負荷をかけるのは、自分の成長を実感したいためだろう。いや、成長という年でもないので、進化とでも言おうか。

 自分は確実に進化を遂げているのだろう。なぜならば、友好的に微笑みかけても、私を怖がる人がでてきてるからだ。私という道具をうまく使ってくれればいいのに、使いこなせない人にとっては、いつ暴発するかわからない核兵器にしか見えないのだろう。