第一章 一九四五年八月九日。釜石市内
幕が上がる前、一人の老婆が頭(こうべ)を垂(た)れうずくまっている姿が、スポットライトに映し出される。明かりと共に老婆は、息を吹き返したかのように頭をもたげ、目を見開いて語り出す。
ハル 昭和二十年八月九日。太平洋戦争末期(まっき)のその日は、蝉の声が響き渡る熱い夏の日でした。前の月の七月十四日。アメリカ軍の海からの攻撃を受けた釜石の町は、傷跡(きずあと)がまだ生々しく、あちらこちらに細く煙がたなびいているのが見えました。それは、体(てい)よく言えば、艦砲射撃で亡くなった人を火葬(かそう)しているのですが、本当の目的は、生きている人々のため、身元も確認できない、暑さで腐(くさ)ってきた死体を広い場所で処理(しょり)するという作業だったのです。焼け焦(こ)げる臭(にお)いが、細くたなびく煙とともに切り立った山々の間を流れていきました。大人たちは沈(しず)んだ顔で、黙々(もくもく)と死体を焼いていました。
この日に、釜石が、もう一度アメリカ艦隊の総攻撃である艦砲射撃を受けることも、同じ日に人類史上最悪の化学兵器、原子爆弾が長崎に落とされることも、誰も知る由(よし)も無かったことです。
『タイトルバック』 たなびく想い
大人たちが沈(しず)んだ顔で、黙々(もくもく)と死体を焼いている中を、子どもたち二人が駆(か)け回り、はしゃいでいる。
義一 敵は幾(いく)万(まん)ありとても…。
信一 ややっ。前方に敵の兵器を発見。
義一 伏(ふ)せ。
二人、地面に伏せる。
信一 白浜上等兵、どうするでありますか。
義一 橋野一等兵。ここは思案(しあん)のしどきですぞ。
信一 むむっ。そうですな。
そこに、義一の母、白浜ミワが現れる。
ミワ ちょっとあんたたち、そんなところで軍隊ごっこ?
信一 ややっ。あんなところに、白浜上等兵の母君、母親軍曹(ぐんそう)がおられる。
義一 あいわかった。
ミワ あなたたちはまだ小さいんだから、軍隊なんてまだまだよ。
信一 軍曹が危ない。
義一 ここは足の速い自分が…。おまえは、ここに残り、軍曹をお守りせよ。
信一 上等兵は優しいですね。かっこいいです。
義一 白浜上等兵、行きます!
二人、立ち上がる。
信一 ご武運(ぶうん)を!
信一、敬礼をする。義一、棒きれをもって、不発弾に近づく。
ミワ ほんとにもう。何やってるの…って、義一、それ本物よ!危ない。
義一、不発弾を棒でつつくと同時に爆発が起きる。
義一、吹き飛ばされる。信一、茫然(ぼうぜん)とその場に立ち尽くす。
信一 …義一…くん。
ミワ 義一…! 義一…!義一!………。
号泣する女。近くを通りかかった男たち(佐野勲・平田倫太郎)が、義一を運び出す。一人の女性(栗林)が、ミワの背中をさすりながら連れてゆく。
信一 人って…。簡単に死ぬんだね…。
信一の母、平田昭子が現れて、信一を抱きかかえ、連れていく。信一は、なすがままふらふらと昭子と共に去ってゆく。
入れ替わるように、かばんを肩から提げ、頭巾(ずきん)をかぶった女(松川甲子)がその様子をうかがいながら歩いてくる。
二人の男(小川、大橋)が、反対の方向から事件の様子を気にしながら現れる。小川は足を引きずって、大橋に支えられるようにやってくる。
甲子、爆発の有った方向を見ながら、男たちに尋(たず)ねる。
甲子 あのぉ。何かあったンですか?
小川 暴発(ぼうはつ)だ。
大橋、甲子だとわかると笑顔になる。
大橋 あぁ、どうも、甲子さん。
甲子 あ、はい。大橋さんでしたっけ。
大橋 そんな、他人行儀な。良平さんって呼んで下さいよ。
甲子 …先ほどの爆発は。何かあったんですか。
小川 子どもが不発弾をいじって爆発させたらしい。
甲子 …それで。
小川 …一緒に居た子は大丈夫だったようです。
甲子 一緒に居た子?
小川 不発弾に直接ふれなかった子は、生きているらしいです。
甲子 『触れなかった子』って…。触った子どもはだめだったんですね。
小川、無言のままうなずく。
甲子 一緒に居た子は、手当てを受けられるんですか。
大橋 どうだろう。手当が十分できないのが本当のところです。
甲子 負傷者は、まだまだ沢山いますからね。
大橋 それで、戦地から引き揚げてきた小川さんも治療を受けられなくなって引き返すところなんです。
甲子 それは、お気の毒に。
小川 …生きて帰ってきただけでありがたい。
大橋 しんみりさせちゃってすみません。…甲子さん。今度、製鉄所で握(にぎ)り飯が
配給(はいきゅう)になったら、持ってきてあげますから。
甲子 …え、えぇ。
大橋 それじゃぁ。
甲子 は、はい。
甲子、引きつった笑顔で二人を見送る。
代わりに野田がやってくる。野田がやってくると、一瞬引き締(し)まった表情の後、優しい笑みを浮かべる。
野田 あっ。どうも。
甲子 あっ。巌(いわお)さん。
野田 …配給(はいきゅう)はいただけましたか。
甲子 えぇ。久しぶりに…今日は食べました。
野田 それは良かった。
甲子 戦地(せんち)で食べるものもままならない方々に申し訳ありません。
野田 生きるためです。遠慮なさることはありません。
甲子、うつむき加減(かげん)に顔を伏(ふ)せて尋(たず)ねる。
甲子 今日も、高射台へ行くのですね。
野田 あぁ。
甲子 …今日は行かないというわけには…。
野田 そうはいかないでしょう。
甲子 それはそうですよね。大日本(だいにっぽん)帝国(ていこく)のために敵を倒(たお)さねばなりませんからね。でも…。
野田 でも?
甲子 今日だけは行って欲しくないんです。
野田 どうしてです。
甲子 心配なのです。
野田 私に行くなと…。
甲子 すみません。非国民(ひこくみん)のような発言をしました。誰にも話さないでください。
野田 あぁ。
甲子 もし敵が攻めてきたならば、刺(さ)し違(ちが)えてもお国のためにこの土地をお守りいたします。お許しください。
野田 沖縄(おきなわ)のひめゆり学徒隊(がくとたい)のように…ですか?
甲子 そう。彼女たちはお国をまもったのですよ。お国をまもって死ねるのであれば本望(ほんもう)ではありませんか。
野田 死ぬとういことは、そんなにきれいなものじゃない。
甲子 えっ。
野田 あなたは家族や友人の死に立ち会ったことはないのですね。
甲子 は、はい。
野田 それはうらやむべきことです。十四日の攻撃で、私は目の前で友人を失いました。
甲子 すみません。いやなことを思い出させてしまいました。
野田、天を仰(あお)ぎ。大きくひとつ息を吸い込む。
野田 さぁ、行くか。上に居る男に、芋(いも)を食わせる時間をあげたい。
甲子 高射砲はこの街を守るかなめですからね。よろしくお願いいたします。
野田 (不敵(ふてき)な笑み)…高射砲で、敵の戦闘機を打ち落とすことはできないんだ。
甲子 えっ。
野田 (あきらめの笑み)届かないんだよ。
甲子 ……。
野田 爆撃機からこっちは攻撃できても、爆撃機に弾(たま)は届かないんだ。
甲子 ……嘘(うそ)…。
野田 (さとりの表情)本当だ。
野田は、一旦目を閉じその後、甲子に鋭い眼差(まなざ)しを投げかける。
野田 …誰にも話すな。
甲子 は、はい。
気まずい間が生じる。別の話題を切り出そうと甲子は焦(あせ)る。
甲子 先月の十四日の空襲は…。
野田 空襲じゃない。
甲子 空襲じゃない?
野田 爆撃機は飛んでいなかった。
甲子 どこからの攻撃ですか。
野田 軍ではくわしいことは話してはくれないのです。
再び気まずい間が生じる。今度は、その静寂(せいじゃく)を破ったのは野田の方だ。
野田 …そういえば年寄りが言っていたよ。海から弾が飛んできたので、あれは真珠(しんじゅ)湾(わん)から日本に向けて撃って来たんだと…。
甲子 本当ですか。
野田 わからん。届くとは到底思えないが…。亜米(アメ)利(リ)加(カ)ならやりかねない。
甲子 恐ろしいです。
野田 一番恐ろしいことは、本当のこととは何かがわからないことだ。
野田、天を仰(あお)ぎ大きく息を吸い込んで話し始める。
野田 自分は何のために戦っているのだろうか。
甲子 お国のため…では無いのですか。
野田 …本当に国を護(まも)るつもりで戦っているのだろうか。
甲子 そうなのではないんですか。
野田 街を、そして、あなたを護(まも)ろうという気持ちはあります。
甲子 ……。
野田 しかし、大日本帝国を護(まも)ろうとして戦っている実感はありません。
甲子 そんな話は、やめてください。誰に聞かれているかわかりません。
野田 あなたは私に、お国のために死んで欲しいのですか。
甲子 お国のためなら。
野田 それは、本当の気持ちですか。
甲子 …は、はい。(本当は違いますという表情)
野田 いつか、戦争をしようとする人が、つかまる時代が来るかもしれない。
甲子 えっ。
野田 そんな時代を生きてみたいもんだな。
暗雲(あんうん)が立ち込める中、空襲警報のサイレンが鳴り響きだす。
空虚(くうきょ)な瓦礫(がれき)の空間の間を大きく反響しながら、サイレンの音が木霊(こだま)する。
甲子 また、攻撃ですか?
野田 それでは行きます。…楽しいひと時でした。
甲子 ありきたりの言葉ですが…、頑張ってください。
甲子、野田に礼をする。
野田 もし、あなたがこの戦が終わっても生き続けることができたならば、私のような男がいたことを、みんなに面白おかしく話してください。
甲子 冗談でも、そんな話はよしてください。
野田、甲子に対して敬礼をする。
甲子 できれば…。
野田 できれば?
甲子 また、明日お会いいたしましょう。
野田 …できれば、また、明日。
甲子 約束ですよ。
野田 できれば…。
野田、去ってゆく。甲子、警報(けいほう)が響く中、いつまでも男を見送っている。
第二章 高射砲
野田が、高射台へ駆け寄ろうとすると、二機の戦闘機が近づいてくる。野田のそばを飛び去りながら機銃(きじゅう)掃射(そうしゃ)が行われる。野田は、身を屈(かが)めて弾(たま)をよけながら、高台へと向かう。
高台へつくと、一人の男が、高射台の側で倒れている。もう一人の男は、高射台の陰で身を潜めている。
野田 佐野!大丈夫か!
佐野 腕をやられた。もう砲は撃てない。後は頼む。
野田 倫太郎はだいじょうぶか。
平田 私は、大丈夫です。
野田 では。指示を!
平田 は、はい。
野田、高射砲を操作して、戦闘機に照準を合わせる。
平田 左舷四十五度。
野田 左舷四十五度。
平田 打て。
野田 打て!
ダン!
野田 くそう。当たれ!
平田 右弦三十五度。
野田 右弦三十五度。
平田 打て。
野田 打て!
男たちは無我夢中で高射砲を撃ち続ける。
『ブーン』という旋回(せんかい)音とともに、戦闘機は海へ去って行く。
佐野 助かった。ありがとう。奴ら我等の勇猛さに恐れをなして尻尾(しっぽ)を巻いて逃
げ出したな。へなちょこめ!
平田 逃げたのではありません。
佐野 えっ。
平田 先月のあの日と同じです。
佐野 あの日?
野田 戦闘機は海へ飛んでいった。
佐野 海へ!
野田 …あの日と同じだ。
佐野 …空母が居るということか。
佐野と平田、静かにひとつ頷(うなず)く。
佐野 この町を散々(さんざん)破壊(はかい)したのにまだ来るか。
平田 勝つまで徹底(てってい)抗戦(こうせん)は、敵とて同じことです。
野田 迎撃(げいげき)の用意をする。
佐野 俺は何を…。
野田、懐(ふところ)から芋を取りだし、佐野に渡す。
野田 まずは、食え。それが仕事だ。
佐野 すまん。
かすかに空気を切り裂(さ)く音がする。
平田 来ます。
軍事工場に数発の弾が着弾する。コンクリートが炸裂(さくれつ)する鈍(にぶ)い爆発音が聞こえる。
佐野 やはり工場か!
野田 いや。もう、工場への攻撃は止んだぞ。今日のねらいは違うぞ。
再び、キーンという空気を切り裂(さ)く音が聞こえ始める。砲弾は、工場を越えて山手に飛んでゆく。
佐野 どこを狙(ねら)ってるんだ。へなちょこめ。
次々に山手で建物が破壊(はかい)される音が聞こえる。次々に砲弾(ほうだん)は打ち込まれる。その光景を見ながら、男たちはわなわなと震(ふる)えだす。
平田 住宅をねらっています。
野田 打ち落とせないか!くそう!
平田 民間人を殺してどうするっていうんです。奴(やつ)らは日本人を皆殺しするために、またやって来たんです。
男たち、砲弾(ほうだん)に向けて高射砲を撃(う)ち続ける。
一旦、砲弾の飛来(ひらい)が止む。
佐野 今日は終わりか。
平田 だといいのですが…。
佐野 攻撃(こうげき)目標を変えたか?
野田 来るか。
野田、海に向かって砲身を向ける。
野田 芋(いも)は食ったか。
佐野 流石(さすが)の俺も、攻撃を受けているさなかに芋(いも)を食うほど肝(きも)が据(す)わっては居ないさ。
野田 そりゃぁそうだ。
佐野 お前たちとともに戦えて嬉(うれ)しかった。
平田 何を言ってるんですか。あきらめないでください。
佐野 万歳(ばんざい)でも三唱(さんしょう)するか。
野田 そんな格好(かっこう)をつける暇があったら、最後の瞬間(しゅんかん)まで戦うだけだ!
三度、風を切る金属音が聞こえる。
佐野 来た!
高射台の傍(そば)に着弾(ちゃくだん)し、爆発が起きる。佐野と平田が吹(ふ)き飛ぶ。
野田 …佐野!…倫太郎!
野田、高射砲を空に向かって闇雲(やみくも)に撃ち続ける。
野田 まだまだ!まだまだ!まだまだぁぁぁぁぁ!!!!!
眩(まばゆ)い閃光(せんこう)が迸(ほとば)る。高射砲直撃(ちょくげき)とわかる、ひときわ大きな爆発音が響き渡る。
暗 転
第三章 防空壕での誓い
空気を切りつけるような音が鳴り響く。
甲子、近くの防空壕に入ろうとするが、入り口の戸が閉められて開かない。甲子は、戸を殴りつけるように叩く。
甲子 開けてください。私です。松川です。ここは私が掘った壕です。入れてください。
中から、平田昭子の低い声が聞こえる。子ども(信一)がその奥にいて膝(ひざ)を抱(かか)えてうずくまっている。
昭子 入る隙はないよ。悪いけど死にたくないんだ。よそに行ってくれよ。
甲子 私が掘った壕ですよ。
昭子 分かってるよ。
信一 母ちゃん。怖いよぉ。
甲子 攻撃が始まっているんですよ。
昭子 だから開けられないんだよ。
信一 母ちゃん。おれも死ぬの?
昭子 母ちゃんが守るからだいじょうぶだよ。
甲子 弾が飛んできます!怖いんです!
昭子 中には、子どもがいるんだ。もう入りきれないんだ。せっかく助かった命なんだ。お願いだから他に行ってくれよ。子どもを守りたいんだ。
甲子 そんな…。
甲子、諦(あきら)めて立ち去る。着弾(ちゃくだん)と爆発音が響き渡る。腰(こし)を抜(ぬ)かしてふらふらしながらもしばし歩くと、近くで壕(ごう)の扉(とびら)が開いているところを見つけ、走り出す。
甲子 ここに入れていただいても…。
そのとき、大きく風を切る音がして、付近(ふきん)で爆発が起こる。甲子が、後ろを振り向くと、先ほどの壕が吹き飛ばされている。
甲子 あ~。
勢津子 あそこに入っていたら、あんたも死んだね。死にたくなければ、早く入って閉めな。
甲子、ためらいがちに破壊された壕の方をちらりと見やり、壕の中に入って急いで戸を閉める。
暗 転
第四章 防空壕の中
暗闇の中で男の子どもの声が聞こえる。
かあちゃん。足が痛いよ。
寿子 我慢(がまん)おしよ。
治郎 だって、…右足が痛いんだよ。
寿子 右足って…。
治郎 痛いよ。痛いよ。
寿子 痛いって…。お前…、………右足は無いだろう。
治郎 でも、痛いんだよ。
爆発音は遠くなる。どうやら攻撃対象が変わったらしい。キーンという風を切る音だけが妙に響き渡る。
仄(ほの)かに壕の中が明るくなる。明かりがついたというよりは、暗い壕の中で目が慣れてきたという感じだ。壕の中には、数人の女と子どもたちが居た。寿子が、ささやくように息子の治郎に話しかける。
寿子 ごめんよ。あたしはお前の苦しみをわかってあげられない。お前の苦しさを感じてあげることしかできないんだよ。
その様子をいらいらした様子で、一番奥に陣(じん)取っている勢津子が横目で見る。
勢津子 あんたは、苦しみを分かち合える子どもが生きていただけ良いよ。そんなに悲しいんなら一緒に外へ出て死んじまえば。
聖子、清書を持ったまま、すっくと立ち上がって語り出す。
聖子 主よ我らを救い給え。アーメン。
聖子、讃美歌(さんびか)を歌い始める。
勢津子 うるさい。歌なんか歌っていたら、敵に知られて攻撃されるよ。
聖子、讃美歌を歌うのをやめる。
勢津子 おや、よくみたら男が居るじゃないの。男のくせに、のこのこと防空壕の中に入って震(ふる)えているのかい。
一弥 来年には戦えるんだ。弱虫扱いするな。
勢津子 それだけ体格がよければ、もう戦場にやってもいいのにね。今、出て行って戦ってきたら?
一弥、握りこぶしを震わせながら立ち上がる。
一弥 俺も戦いたいんだよ。出て行って戦えばいいんだろう!。
寿子 およしよ。訓練(くんれん)もろくに受けていないお前が出て行ったって足手まといだ。ここにいておくれ。
勢津子 非国民!戦おうっていう男をとめるのかい。
寿子 勘弁しておくれよ。うちの息子はまだ徴兵(ちょうへい)されていないんだよ。
一弥、防空壕を飛び出そうとしかける。甲子その腕をつかんで止める。
甲子 待って!この国であなたが必要になるときが絶対きます。今はその時ではありません。今は戦わないことも大事な務(つと)めです。
一弥、甲子の腕(うで)を振(ふ)り解(ほど)くがその場にどっかりと腰(こし)を下ろす。
甲子は、勢津子の傍(そば)に近寄り話し出す。
甲子 悲しいことが有ったんですね。わかります。
勢津子、カッとなって甲子を殴(なぐ)る。甲子、突然(とつぜん)のことで驚(おどろ)いてしまう。
勢津子 わかるって?何がわかるんだい。あんたになんか私の気持ちがわかってたまるかい。
甲子 …すみません。
勢津子 自分が一番だと思って偽善者(ぎぜんしゃ)ぶるんじゃないよ。苦しんじゃいるけれど、苦しみながらも精一杯(せいいっぱい)に生きているんだ。同情されるくらい不愉快(ふゆかい)なことはないね。
治郎、地面を這(は)いながら勢津子の側に近づく。
治郎 おばちゃん。怒ったって政男は帰ってこないよ。
勢津子 えっ。
治郎 おばちゃん。政男のかあちゃんだろ。
勢津子 政男のことを知っているのかい。
治郎 空襲(くうしゅう)のとき、一緒に遊んでいたんだ。その時、撃たれて…。俺、脚はなくなったけど、政男の分も一生懸命生きるよ。だから、怒らないでおくれよ。
勢津子、俯(うつむ)いてすすり泣き始める。
治郎 政男の代わりに俺が死ねばよかったのかな。そうすれば、おばちゃんは怒らなくて済(す)んだもん。
勢津子 いや…。
勢津子、治郎の頭をなでる。
勢津子 生きていてくれてよかったよ。ひとつ教えておくれよ。…政男の最後はどうだったんだい。
治郎 ちっちゃい子を家の陰(かげ)に隠(かく)れさせたんだ。その時…。
勢津子 ありがとう。政男は最後まで男だったんだね。
治郎 男だった。
聖子、寿子に向かって話しかける。
聖子 あなたの息子さんはすばらしい力を持っています。人の心を癒す力は何者にも勝る宝
です。
静寂(せいじゃく)が防空壕の中を包み込む。
第五章 戦火の跡で
一弥 …音が止んだ。
寿子 爆撃は終わったのだろうか。
甲子 外に出てみるかい。
一弥 俺が行ってみる。
一弥、外へ出て行くが、落胆(らくたん)して壕の中に顔を出す。
一弥 どうやら、攻撃は終了したようだけど…。
寿子 どうしたんだい。
一弥 悔しいよ…。
一弥はその場に座り込み泣きじゃくる。
防空壕の中の人たちは、恐る恐る外に出てみる。眩しい光が、人々を包み込む。
勢津子 あぁぁ。みんな焼けちまってるよ。
聖子 主(しゅ)よ、我らを救い給え。
治郎 人がいっぱい寝(ね)てる。
寿子 寝ているんじゃないよ。みんな死んでるんだよ。
聖子 自分達が生きていることに感謝しましょう。
治郎 これでも、戦争に勝てるの。
寿子 めったなことを話すんじゃないよ。
ふらふらと、一弥も防空壕から出てくる。
甲子 自分には…負けないことよ。
一弥 えっ。
甲子 誰が負けても、何が負けても、自分は自分に勝たなくちゃ。
一弥 負けても勝つ?
甲子 もうだめだって思う自分の気持ちに負けちゃいけない。
寿子 そうね。自分に負けたらお仕舞いね。
治郎 母ちゃん、山の上の大砲が燃えている。
寿子 えっ。
治郎 やられる前の工場の煙突から煙が上がっているのと同じようだよ。
甲子、高射砲のほうを見つめて立ち尽くす。
甲子 あれは自分の想いとは裏腹(うらはら)に、お国のために亡(な)くなった人が、正しく天の国へ行きなさる道筋(みちすじ)となる煙なのよ。
治郎 そうなんだ。
治郎、煙に向かって敬礼(けいれい)をする。
甲子 さっきはあんなこと言ったけど。…自分の気持ちに負けてしまいそうだわ…。
一弥 負けるな。
甲子 そうね。自分に負けるな。
甲子、もう一度、高射砲の方をしっかりと見据(す)える。
甲子 できれば…。
甲子の頬(ほお)を一筋(ひとすじ)に涙が伝う。
甲子 できれば、もう一度お会いしたかった。
甲子も、敬礼をし、高射砲から立ち上る煙を見つめ続ける。いつまでも、いつまでも…。
終 焉 (しゅうえん)
幕が上がる前、一人の老婆が頭(こうべ)を垂(た)れうずくまっている姿が、スポットライトに映し出される。明かりと共に老婆は、息を吹き返したかのように頭をもたげ、目を見開いて語り出す。
ハル 昭和二十年八月九日。太平洋戦争末期(まっき)のその日は、蝉の声が響き渡る熱い夏の日でした。前の月の七月十四日。アメリカ軍の海からの攻撃を受けた釜石の町は、傷跡(きずあと)がまだ生々しく、あちらこちらに細く煙がたなびいているのが見えました。それは、体(てい)よく言えば、艦砲射撃で亡くなった人を火葬(かそう)しているのですが、本当の目的は、生きている人々のため、身元も確認できない、暑さで腐(くさ)ってきた死体を広い場所で処理(しょり)するという作業だったのです。焼け焦(こ)げる臭(にお)いが、細くたなびく煙とともに切り立った山々の間を流れていきました。大人たちは沈(しず)んだ顔で、黙々(もくもく)と死体を焼いていました。
この日に、釜石が、もう一度アメリカ艦隊の総攻撃である艦砲射撃を受けることも、同じ日に人類史上最悪の化学兵器、原子爆弾が長崎に落とされることも、誰も知る由(よし)も無かったことです。
『タイトルバック』 たなびく想い
大人たちが沈(しず)んだ顔で、黙々(もくもく)と死体を焼いている中を、子どもたち二人が駆(か)け回り、はしゃいでいる。
義一 敵は幾(いく)万(まん)ありとても…。
信一 ややっ。前方に敵の兵器を発見。
義一 伏(ふ)せ。
二人、地面に伏せる。
信一 白浜上等兵、どうするでありますか。
義一 橋野一等兵。ここは思案(しあん)のしどきですぞ。
信一 むむっ。そうですな。
そこに、義一の母、白浜ミワが現れる。
ミワ ちょっとあんたたち、そんなところで軍隊ごっこ?
信一 ややっ。あんなところに、白浜上等兵の母君、母親軍曹(ぐんそう)がおられる。
義一 あいわかった。
ミワ あなたたちはまだ小さいんだから、軍隊なんてまだまだよ。
信一 軍曹が危ない。
義一 ここは足の速い自分が…。おまえは、ここに残り、軍曹をお守りせよ。
信一 上等兵は優しいですね。かっこいいです。
義一 白浜上等兵、行きます!
二人、立ち上がる。
信一 ご武運(ぶうん)を!
信一、敬礼をする。義一、棒きれをもって、不発弾に近づく。
ミワ ほんとにもう。何やってるの…って、義一、それ本物よ!危ない。
義一、不発弾を棒でつつくと同時に爆発が起きる。
義一、吹き飛ばされる。信一、茫然(ぼうぜん)とその場に立ち尽くす。
信一 …義一…くん。
ミワ 義一…! 義一…!義一!………。
号泣する女。近くを通りかかった男たち(佐野勲・平田倫太郎)が、義一を運び出す。一人の女性(栗林)が、ミワの背中をさすりながら連れてゆく。
信一 人って…。簡単に死ぬんだね…。
信一の母、平田昭子が現れて、信一を抱きかかえ、連れていく。信一は、なすがままふらふらと昭子と共に去ってゆく。
入れ替わるように、かばんを肩から提げ、頭巾(ずきん)をかぶった女(松川甲子)がその様子をうかがいながら歩いてくる。
二人の男(小川、大橋)が、反対の方向から事件の様子を気にしながら現れる。小川は足を引きずって、大橋に支えられるようにやってくる。
甲子、爆発の有った方向を見ながら、男たちに尋(たず)ねる。
甲子 あのぉ。何かあったンですか?
小川 暴発(ぼうはつ)だ。
大橋、甲子だとわかると笑顔になる。
大橋 あぁ、どうも、甲子さん。
甲子 あ、はい。大橋さんでしたっけ。
大橋 そんな、他人行儀な。良平さんって呼んで下さいよ。
甲子 …先ほどの爆発は。何かあったんですか。
小川 子どもが不発弾をいじって爆発させたらしい。
甲子 …それで。
小川 …一緒に居た子は大丈夫だったようです。
甲子 一緒に居た子?
小川 不発弾に直接ふれなかった子は、生きているらしいです。
甲子 『触れなかった子』って…。触った子どもはだめだったんですね。
小川、無言のままうなずく。
甲子 一緒に居た子は、手当てを受けられるんですか。
大橋 どうだろう。手当が十分できないのが本当のところです。
甲子 負傷者は、まだまだ沢山いますからね。
大橋 それで、戦地から引き揚げてきた小川さんも治療を受けられなくなって引き返すところなんです。
甲子 それは、お気の毒に。
小川 …生きて帰ってきただけでありがたい。
大橋 しんみりさせちゃってすみません。…甲子さん。今度、製鉄所で握(にぎ)り飯が
配給(はいきゅう)になったら、持ってきてあげますから。
甲子 …え、えぇ。
大橋 それじゃぁ。
甲子 は、はい。
甲子、引きつった笑顔で二人を見送る。
代わりに野田がやってくる。野田がやってくると、一瞬引き締(し)まった表情の後、優しい笑みを浮かべる。
野田 あっ。どうも。
甲子 あっ。巌(いわお)さん。
野田 …配給(はいきゅう)はいただけましたか。
甲子 えぇ。久しぶりに…今日は食べました。
野田 それは良かった。
甲子 戦地(せんち)で食べるものもままならない方々に申し訳ありません。
野田 生きるためです。遠慮なさることはありません。
甲子、うつむき加減(かげん)に顔を伏(ふ)せて尋(たず)ねる。
甲子 今日も、高射台へ行くのですね。
野田 あぁ。
甲子 …今日は行かないというわけには…。
野田 そうはいかないでしょう。
甲子 それはそうですよね。大日本(だいにっぽん)帝国(ていこく)のために敵を倒(たお)さねばなりませんからね。でも…。
野田 でも?
甲子 今日だけは行って欲しくないんです。
野田 どうしてです。
甲子 心配なのです。
野田 私に行くなと…。
甲子 すみません。非国民(ひこくみん)のような発言をしました。誰にも話さないでください。
野田 あぁ。
甲子 もし敵が攻めてきたならば、刺(さ)し違(ちが)えてもお国のためにこの土地をお守りいたします。お許しください。
野田 沖縄(おきなわ)のひめゆり学徒隊(がくとたい)のように…ですか?
甲子 そう。彼女たちはお国をまもったのですよ。お国をまもって死ねるのであれば本望(ほんもう)ではありませんか。
野田 死ぬとういことは、そんなにきれいなものじゃない。
甲子 えっ。
野田 あなたは家族や友人の死に立ち会ったことはないのですね。
甲子 は、はい。
野田 それはうらやむべきことです。十四日の攻撃で、私は目の前で友人を失いました。
甲子 すみません。いやなことを思い出させてしまいました。
野田、天を仰(あお)ぎ。大きくひとつ息を吸い込む。
野田 さぁ、行くか。上に居る男に、芋(いも)を食わせる時間をあげたい。
甲子 高射砲はこの街を守るかなめですからね。よろしくお願いいたします。
野田 (不敵(ふてき)な笑み)…高射砲で、敵の戦闘機を打ち落とすことはできないんだ。
甲子 えっ。
野田 (あきらめの笑み)届かないんだよ。
甲子 ……。
野田 爆撃機からこっちは攻撃できても、爆撃機に弾(たま)は届かないんだ。
甲子 ……嘘(うそ)…。
野田 (さとりの表情)本当だ。
野田は、一旦目を閉じその後、甲子に鋭い眼差(まなざ)しを投げかける。
野田 …誰にも話すな。
甲子 は、はい。
気まずい間が生じる。別の話題を切り出そうと甲子は焦(あせ)る。
甲子 先月の十四日の空襲は…。
野田 空襲じゃない。
甲子 空襲じゃない?
野田 爆撃機は飛んでいなかった。
甲子 どこからの攻撃ですか。
野田 軍ではくわしいことは話してはくれないのです。
再び気まずい間が生じる。今度は、その静寂(せいじゃく)を破ったのは野田の方だ。
野田 …そういえば年寄りが言っていたよ。海から弾が飛んできたので、あれは真珠(しんじゅ)湾(わん)から日本に向けて撃って来たんだと…。
甲子 本当ですか。
野田 わからん。届くとは到底思えないが…。亜米(アメ)利(リ)加(カ)ならやりかねない。
甲子 恐ろしいです。
野田 一番恐ろしいことは、本当のこととは何かがわからないことだ。
野田、天を仰(あお)ぎ大きく息を吸い込んで話し始める。
野田 自分は何のために戦っているのだろうか。
甲子 お国のため…では無いのですか。
野田 …本当に国を護(まも)るつもりで戦っているのだろうか。
甲子 そうなのではないんですか。
野田 街を、そして、あなたを護(まも)ろうという気持ちはあります。
甲子 ……。
野田 しかし、大日本帝国を護(まも)ろうとして戦っている実感はありません。
甲子 そんな話は、やめてください。誰に聞かれているかわかりません。
野田 あなたは私に、お国のために死んで欲しいのですか。
甲子 お国のためなら。
野田 それは、本当の気持ちですか。
甲子 …は、はい。(本当は違いますという表情)
野田 いつか、戦争をしようとする人が、つかまる時代が来るかもしれない。
甲子 えっ。
野田 そんな時代を生きてみたいもんだな。
暗雲(あんうん)が立ち込める中、空襲警報のサイレンが鳴り響きだす。
空虚(くうきょ)な瓦礫(がれき)の空間の間を大きく反響しながら、サイレンの音が木霊(こだま)する。
甲子 また、攻撃ですか?
野田 それでは行きます。…楽しいひと時でした。
甲子 ありきたりの言葉ですが…、頑張ってください。
甲子、野田に礼をする。
野田 もし、あなたがこの戦が終わっても生き続けることができたならば、私のような男がいたことを、みんなに面白おかしく話してください。
甲子 冗談でも、そんな話はよしてください。
野田、甲子に対して敬礼をする。
甲子 できれば…。
野田 できれば?
甲子 また、明日お会いいたしましょう。
野田 …できれば、また、明日。
甲子 約束ですよ。
野田 できれば…。
野田、去ってゆく。甲子、警報(けいほう)が響く中、いつまでも男を見送っている。
第二章 高射砲
野田が、高射台へ駆け寄ろうとすると、二機の戦闘機が近づいてくる。野田のそばを飛び去りながら機銃(きじゅう)掃射(そうしゃ)が行われる。野田は、身を屈(かが)めて弾(たま)をよけながら、高台へと向かう。
高台へつくと、一人の男が、高射台の側で倒れている。もう一人の男は、高射台の陰で身を潜めている。
野田 佐野!大丈夫か!
佐野 腕をやられた。もう砲は撃てない。後は頼む。
野田 倫太郎はだいじょうぶか。
平田 私は、大丈夫です。
野田 では。指示を!
平田 は、はい。
野田、高射砲を操作して、戦闘機に照準を合わせる。
平田 左舷四十五度。
野田 左舷四十五度。
平田 打て。
野田 打て!
ダン!
野田 くそう。当たれ!
平田 右弦三十五度。
野田 右弦三十五度。
平田 打て。
野田 打て!
男たちは無我夢中で高射砲を撃ち続ける。
『ブーン』という旋回(せんかい)音とともに、戦闘機は海へ去って行く。
佐野 助かった。ありがとう。奴ら我等の勇猛さに恐れをなして尻尾(しっぽ)を巻いて逃
げ出したな。へなちょこめ!
平田 逃げたのではありません。
佐野 えっ。
平田 先月のあの日と同じです。
佐野 あの日?
野田 戦闘機は海へ飛んでいった。
佐野 海へ!
野田 …あの日と同じだ。
佐野 …空母が居るということか。
佐野と平田、静かにひとつ頷(うなず)く。
佐野 この町を散々(さんざん)破壊(はかい)したのにまだ来るか。
平田 勝つまで徹底(てってい)抗戦(こうせん)は、敵とて同じことです。
野田 迎撃(げいげき)の用意をする。
佐野 俺は何を…。
野田、懐(ふところ)から芋を取りだし、佐野に渡す。
野田 まずは、食え。それが仕事だ。
佐野 すまん。
かすかに空気を切り裂(さ)く音がする。
平田 来ます。
軍事工場に数発の弾が着弾する。コンクリートが炸裂(さくれつ)する鈍(にぶ)い爆発音が聞こえる。
佐野 やはり工場か!
野田 いや。もう、工場への攻撃は止んだぞ。今日のねらいは違うぞ。
再び、キーンという空気を切り裂(さ)く音が聞こえ始める。砲弾は、工場を越えて山手に飛んでゆく。
佐野 どこを狙(ねら)ってるんだ。へなちょこめ。
次々に山手で建物が破壊(はかい)される音が聞こえる。次々に砲弾(ほうだん)は打ち込まれる。その光景を見ながら、男たちはわなわなと震(ふる)えだす。
平田 住宅をねらっています。
野田 打ち落とせないか!くそう!
平田 民間人を殺してどうするっていうんです。奴(やつ)らは日本人を皆殺しするために、またやって来たんです。
男たち、砲弾(ほうだん)に向けて高射砲を撃(う)ち続ける。
一旦、砲弾の飛来(ひらい)が止む。
佐野 今日は終わりか。
平田 だといいのですが…。
佐野 攻撃(こうげき)目標を変えたか?
野田 来るか。
野田、海に向かって砲身を向ける。
野田 芋(いも)は食ったか。
佐野 流石(さすが)の俺も、攻撃を受けているさなかに芋(いも)を食うほど肝(きも)が据(す)わっては居ないさ。
野田 そりゃぁそうだ。
佐野 お前たちとともに戦えて嬉(うれ)しかった。
平田 何を言ってるんですか。あきらめないでください。
佐野 万歳(ばんざい)でも三唱(さんしょう)するか。
野田 そんな格好(かっこう)をつける暇があったら、最後の瞬間(しゅんかん)まで戦うだけだ!
三度、風を切る金属音が聞こえる。
佐野 来た!
高射台の傍(そば)に着弾(ちゃくだん)し、爆発が起きる。佐野と平田が吹(ふ)き飛ぶ。
野田 …佐野!…倫太郎!
野田、高射砲を空に向かって闇雲(やみくも)に撃ち続ける。
野田 まだまだ!まだまだ!まだまだぁぁぁぁぁ!!!!!
眩(まばゆ)い閃光(せんこう)が迸(ほとば)る。高射砲直撃(ちょくげき)とわかる、ひときわ大きな爆発音が響き渡る。
暗 転
第三章 防空壕での誓い
空気を切りつけるような音が鳴り響く。
甲子、近くの防空壕に入ろうとするが、入り口の戸が閉められて開かない。甲子は、戸を殴りつけるように叩く。
甲子 開けてください。私です。松川です。ここは私が掘った壕です。入れてください。
中から、平田昭子の低い声が聞こえる。子ども(信一)がその奥にいて膝(ひざ)を抱(かか)えてうずくまっている。
昭子 入る隙はないよ。悪いけど死にたくないんだ。よそに行ってくれよ。
甲子 私が掘った壕ですよ。
昭子 分かってるよ。
信一 母ちゃん。怖いよぉ。
甲子 攻撃が始まっているんですよ。
昭子 だから開けられないんだよ。
信一 母ちゃん。おれも死ぬの?
昭子 母ちゃんが守るからだいじょうぶだよ。
甲子 弾が飛んできます!怖いんです!
昭子 中には、子どもがいるんだ。もう入りきれないんだ。せっかく助かった命なんだ。お願いだから他に行ってくれよ。子どもを守りたいんだ。
甲子 そんな…。
甲子、諦(あきら)めて立ち去る。着弾(ちゃくだん)と爆発音が響き渡る。腰(こし)を抜(ぬ)かしてふらふらしながらもしばし歩くと、近くで壕(ごう)の扉(とびら)が開いているところを見つけ、走り出す。
甲子 ここに入れていただいても…。
そのとき、大きく風を切る音がして、付近(ふきん)で爆発が起こる。甲子が、後ろを振り向くと、先ほどの壕が吹き飛ばされている。
甲子 あ~。
勢津子 あそこに入っていたら、あんたも死んだね。死にたくなければ、早く入って閉めな。
甲子、ためらいがちに破壊された壕の方をちらりと見やり、壕の中に入って急いで戸を閉める。
暗 転
第四章 防空壕の中
暗闇の中で男の子どもの声が聞こえる。
かあちゃん。足が痛いよ。
寿子 我慢(がまん)おしよ。
治郎 だって、…右足が痛いんだよ。
寿子 右足って…。
治郎 痛いよ。痛いよ。
寿子 痛いって…。お前…、………右足は無いだろう。
治郎 でも、痛いんだよ。
爆発音は遠くなる。どうやら攻撃対象が変わったらしい。キーンという風を切る音だけが妙に響き渡る。
仄(ほの)かに壕の中が明るくなる。明かりがついたというよりは、暗い壕の中で目が慣れてきたという感じだ。壕の中には、数人の女と子どもたちが居た。寿子が、ささやくように息子の治郎に話しかける。
寿子 ごめんよ。あたしはお前の苦しみをわかってあげられない。お前の苦しさを感じてあげることしかできないんだよ。
その様子をいらいらした様子で、一番奥に陣(じん)取っている勢津子が横目で見る。
勢津子 あんたは、苦しみを分かち合える子どもが生きていただけ良いよ。そんなに悲しいんなら一緒に外へ出て死んじまえば。
聖子、清書を持ったまま、すっくと立ち上がって語り出す。
聖子 主よ我らを救い給え。アーメン。
聖子、讃美歌(さんびか)を歌い始める。
勢津子 うるさい。歌なんか歌っていたら、敵に知られて攻撃されるよ。
聖子、讃美歌を歌うのをやめる。
勢津子 おや、よくみたら男が居るじゃないの。男のくせに、のこのこと防空壕の中に入って震(ふる)えているのかい。
一弥 来年には戦えるんだ。弱虫扱いするな。
勢津子 それだけ体格がよければ、もう戦場にやってもいいのにね。今、出て行って戦ってきたら?
一弥、握りこぶしを震わせながら立ち上がる。
一弥 俺も戦いたいんだよ。出て行って戦えばいいんだろう!。
寿子 およしよ。訓練(くんれん)もろくに受けていないお前が出て行ったって足手まといだ。ここにいておくれ。
勢津子 非国民!戦おうっていう男をとめるのかい。
寿子 勘弁しておくれよ。うちの息子はまだ徴兵(ちょうへい)されていないんだよ。
一弥、防空壕を飛び出そうとしかける。甲子その腕をつかんで止める。
甲子 待って!この国であなたが必要になるときが絶対きます。今はその時ではありません。今は戦わないことも大事な務(つと)めです。
一弥、甲子の腕(うで)を振(ふ)り解(ほど)くがその場にどっかりと腰(こし)を下ろす。
甲子は、勢津子の傍(そば)に近寄り話し出す。
甲子 悲しいことが有ったんですね。わかります。
勢津子、カッとなって甲子を殴(なぐ)る。甲子、突然(とつぜん)のことで驚(おどろ)いてしまう。
勢津子 わかるって?何がわかるんだい。あんたになんか私の気持ちがわかってたまるかい。
甲子 …すみません。
勢津子 自分が一番だと思って偽善者(ぎぜんしゃ)ぶるんじゃないよ。苦しんじゃいるけれど、苦しみながらも精一杯(せいいっぱい)に生きているんだ。同情されるくらい不愉快(ふゆかい)なことはないね。
治郎、地面を這(は)いながら勢津子の側に近づく。
治郎 おばちゃん。怒ったって政男は帰ってこないよ。
勢津子 えっ。
治郎 おばちゃん。政男のかあちゃんだろ。
勢津子 政男のことを知っているのかい。
治郎 空襲(くうしゅう)のとき、一緒に遊んでいたんだ。その時、撃たれて…。俺、脚はなくなったけど、政男の分も一生懸命生きるよ。だから、怒らないでおくれよ。
勢津子、俯(うつむ)いてすすり泣き始める。
治郎 政男の代わりに俺が死ねばよかったのかな。そうすれば、おばちゃんは怒らなくて済(す)んだもん。
勢津子 いや…。
勢津子、治郎の頭をなでる。
勢津子 生きていてくれてよかったよ。ひとつ教えておくれよ。…政男の最後はどうだったんだい。
治郎 ちっちゃい子を家の陰(かげ)に隠(かく)れさせたんだ。その時…。
勢津子 ありがとう。政男は最後まで男だったんだね。
治郎 男だった。
聖子、寿子に向かって話しかける。
聖子 あなたの息子さんはすばらしい力を持っています。人の心を癒す力は何者にも勝る宝
です。
静寂(せいじゃく)が防空壕の中を包み込む。
第五章 戦火の跡で
一弥 …音が止んだ。
寿子 爆撃は終わったのだろうか。
甲子 外に出てみるかい。
一弥 俺が行ってみる。
一弥、外へ出て行くが、落胆(らくたん)して壕の中に顔を出す。
一弥 どうやら、攻撃は終了したようだけど…。
寿子 どうしたんだい。
一弥 悔しいよ…。
一弥はその場に座り込み泣きじゃくる。
防空壕の中の人たちは、恐る恐る外に出てみる。眩しい光が、人々を包み込む。
勢津子 あぁぁ。みんな焼けちまってるよ。
聖子 主(しゅ)よ、我らを救い給え。
治郎 人がいっぱい寝(ね)てる。
寿子 寝ているんじゃないよ。みんな死んでるんだよ。
聖子 自分達が生きていることに感謝しましょう。
治郎 これでも、戦争に勝てるの。
寿子 めったなことを話すんじゃないよ。
ふらふらと、一弥も防空壕から出てくる。
甲子 自分には…負けないことよ。
一弥 えっ。
甲子 誰が負けても、何が負けても、自分は自分に勝たなくちゃ。
一弥 負けても勝つ?
甲子 もうだめだって思う自分の気持ちに負けちゃいけない。
寿子 そうね。自分に負けたらお仕舞いね。
治郎 母ちゃん、山の上の大砲が燃えている。
寿子 えっ。
治郎 やられる前の工場の煙突から煙が上がっているのと同じようだよ。
甲子、高射砲のほうを見つめて立ち尽くす。
甲子 あれは自分の想いとは裏腹(うらはら)に、お国のために亡(な)くなった人が、正しく天の国へ行きなさる道筋(みちすじ)となる煙なのよ。
治郎 そうなんだ。
治郎、煙に向かって敬礼(けいれい)をする。
甲子 さっきはあんなこと言ったけど。…自分の気持ちに負けてしまいそうだわ…。
一弥 負けるな。
甲子 そうね。自分に負けるな。
甲子、もう一度、高射砲の方をしっかりと見据(す)える。
甲子 できれば…。
甲子の頬(ほお)を一筋(ひとすじ)に涙が伝う。
甲子 できれば、もう一度お会いしたかった。
甲子も、敬礼をし、高射砲から立ち上る煙を見つめ続ける。いつまでも、いつまでも…。
終 焉 (しゅうえん)