1995年。娘の誕生と同時期に、劇団ベッカーズアクトの旗揚げをしました。入場者400人。勿論、上演はこの市民会館。
地方からの文化発信を旗頭に、この陸前高田市民会館から、多くのオリジナル作品を発信しました。宮城県、気仙沼市での公演。盛岡劇場での公演。劇団員のテレビドラマ出演。一つの文化の足跡を残すことができたのは、我々の活動を支える地域の人々、そして、この会館があったからに他ありません。
陸前高田を去った後も、陸前高田市内の田村ピアノ教室の発表会、構成台本を手掛け、2010年まで、9本のオリジナル作品を、毎年この市民会館で上演していただいていました。
15年間、途切れずに私の作品が上演され続けた会館というわけです。
2011年3月11日。我らが看板役者熊谷裕之とともに、会館は現在の姿となってしまい、それから時は止まっていました。
3.11の悲劇、そしてその日この世を去った仲間たちのことを忘れかけても、陸前高田に足を運んで、この会館の前に立てば、『忘れてはいけない。』と、思い起こさせてもらえます。
この会館の解体作業が始まろうとしています。
ありがとう、陸前高田市民会館。今の自分を創ってくれた場所。
私も、新たな一歩を踏み出さなければいけないです。