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新疆ウイグル自治区代理主席にヌル・ベクリ(努爾・白克力)またの名を王ベクリ、 維を以って維を制す

2007-12-30 00:35:42 | ニュース

ウイグル人権プロジェクトの記述より

ヌル・ベクリは彼自身はウイグル族であるが強力にウイグル人への教育の全ての段階においての漢語の普及を唱導している。
前ウルムチ市長である彼は、東トルキスタン在住のそして亡命しているウイグル人から相当の軽蔑をもってみなされている。
地方行政で上級の地位を握っているウイグル人の中の多数派の一人として、ベクリは多くの東トルキスタンのウイグル人と他の非漢族の多くから「協力者」あるいは蔑んだ言い方で
「王ベクリ」として知られている。(注、王とは新疆土皇帝、王楽泉のことであろう)
彼は中国姓を与えられている。

選ばれた小数のウイグル人が東トルキスタンの上級の政治、行政上の地位を得ている。公的な統計は明らかに民族幹部の高い割合が東トルキスタン固有の民族の住民からの実際の認可の程度を反映していないことを示している。上級職を与えられているウイグル人はウイグル人にとって不評な政策、実践をやり遂げることが課されている場合が往々にしてある。計画生育が適切な例である、それはウイグル族の政府職員がウイグル人から支持の基盤を打ち立てることは絶対にありえないことにしてしまうのである。

07年12月28日午後、ヌル・ベクリ(努爾・白克力)が10期第35回の新疆ウイグル自治区人民代表大会常務委員会で自治区代理主席に任命された。

Nuribakri

ヌル代理自治区主席、おそらくはすぐに「代理」が外れるものと予想される。
この新主席、ラビア・カーディルさんが公安に逮捕されたときのウルムチ市長である。

1961年生まれ、ボルタラ出身、新疆大で政治理論を専攻し卒業後に共青団の新疆大学の副書記などを務め、その間党中央学校などで政治理論の研究に努めたようである。
1993年にカシュガル地区の行署助理として政府入りしてからはエリート街道まっしぐらに進んできた。
1995年カシュガル地区行署副専員、1996年自治区人民政府副秘書長、1998年ウルムチ市副市長、市長
2000年に自治区党委員会常務委員入り、2003年に党委員会副書記に

この人はいわゆる双語教育、計画生育、宗教政策等を自治区共産党委員会の先頭にたって、処理してきたのではないか。

参考

更なる人口抑制策
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20060217

ラビアさん米議会での証言
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20060424

全人大新疆代表団記者会見
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20070313

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