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ウイグル人ジャーナリストでウェブ管理者のガイラット・ニヤズ氏が昨日懲役15年を宣告さる。

2010-07-25 13:56:45 | ニュース

Uyghur journalist and webmaster Gheyret Niyaz sentenced to 15 years.
在米ウイグル人協会 7月23日

Gheyretniyaz
報道によると、ウイグル人ジャーナリストでウェブサイト管理者のガイラット・ニヤズ氏が本日(7月23日)外国人ジャーナリストと話したことが国家安全に危害を及ぼしたということで懲役15年の刑を宣告されたという。
ニヤズ氏は東トルキスタンの区都ウルムチでの2009年7月5日に起こった騒乱に先立ってウェブ上に投稿されたデモの計画について政府官員に通告し、その後に自治区政府の騒乱への処置について批判した、と報道されている。
在米ウイグル人協会(UAA)はこの過酷な判決が、中国政府はいかなるウイグル人の異論派に対しても寛容さをもたないという政策、同様に情報の流出を厳しく管理し公的政策の一般からの批判を阻止するための政府の組織的運動を象徴していることを確信する。

「中国によるガイレット・ニヤズ氏への過酷な判決は政府と結びついているウイグル人であってさえも公式な政府方針に異議を称える意見を表明することは許されていないことを示しています。」

ウイグル人の民主指導者ラビア・カーディルさんは語った。

「ニヤズ氏でさえ15年の刑期の判決を言い渡されたことにより、私は多くの7月5日以後に拘束されていまだ裁判も判決も受けていない、他のウイグル人ブロガーやジャーナリストたちの運命を危惧しています。」
「ウェブサイトのサルキンに勤務していた若い女性のグルミア・イミンさんはネット上で自分の意見を表現したことで2010年4月に終身刑を宣告されました。言論の自由を行使しただけで監獄の独房で悩み暮らす他の多くのウイグル人に何が起ころうとしているのでしょうか。」

ニヤズ氏はウルムチでのたった一日の裁判の後、刑を宣告されたと報道されたが、ただ一人の家族、妻のリサレットさんだけが傍聴することを許可された。
リサレットさんは報道でニヤズ氏がいかなる法律も破っていないと主張し、本当に一人の市民、ジャーナリストとして行動していたと語った。
またリサレットさんはニヤズ氏の裁判の間、検事は国家安全に危害を加えたことのニヤズ氏の有罪の証拠として彼が書き表した論文を提出し、また2009年7月直後に外国メディアに対しての彼のインタビューを用いた、と語った。
ニヤズ氏が逮捕されたのはただ香港の雑誌、亞洲週刊で政府官員の騒乱への処置を批判したインタビューの為だと信じる評者もいる。

「中国当局は2009年7月の騒乱の間ウルムチでウイグル人デモ参加者の殺害の詳細について沈黙しつづけているままです。」
カーディルさんは語った。
「当局は7月騒乱を導いた政府の政策の検証までも犯罪化しています。」
「中国政府は全面的そして公開で起こった騒乱の検証を許可しなければなりませんし、それは7月騒乱の全ての目撃者の報告を含んだものです。」
「この検証が許可されるまでは、この地域の緊張は悪化するばかりでありましょう。」

ニヤズ氏は彼自身の弁護士を選ぶことは許されなかった。中国の法律によると、彼は自身への評決に反論する権利を持つ、しかし彼がその権利を行使するであろうかどうかは不明である。

2009年9月の彼の逮捕と拘束以前、ニヤズ氏は新疆経済日報の上級記者として勤務しウェブサイト"ウイグルオンライン(Uighurbiz)"の一人の管理者であった。
"ウイグルオンライン"はウイグル人経済学者でブロガーのイリハム・トフティ氏によって設立されたが、ニュースに対しての、そしてウイグル人と漢人また他の少数民族の間の民族問題や他の話題についての対話の為の多言語のフォーラムとして創られた。このウェブサイトは中国政府当局により何度も閉鎖の憂き目に会い、現在はアメリカ合衆国内のサーバー上で主催されている。

トフティ氏とニヤズ氏は公式の経済政策と東トルキスタンのウイグル人に対する公式諸政策を公然と批判していた、しかしニヤズ氏はおおむね親政府的な意見を持っていると広くにみなされていた。ニヤズ氏の著述は特に政府のウイグル語を東トルキスタンの学校での指導言語として除去するという政策に向けられていた、そして若いウイグル人女性を東中国の劣った条件下の労働に送り込むという政府の運動へも同様だった。トフティ氏は彼の活発な批判ゆえに2009年全期、そして2010年の上半期何度も拘束され抑圧され、また最近に学会に出席するためにトルコに旅行することを禁じられた。

AP通信の2008年のインタビューで、ニヤズ氏は当時の王楽泉新疆共産党書記を批判した彼の書いたある記事のせいで新疆経済日報での職を半引退に追い込まれたと語った。ニヤズ氏はAPに東トルキスタンにおいては安定が他の何よりも上のものとされると語った。

「安定に貢献したとして賞賛されまたは昇進を受けるか、安定を侵害したとして逮捕されるかどちらかしかない。」ニヤズ氏はAPに語った。
「愛情か嫌悪かどちらかで、曖昧さの余地はない、第三の道はないのだ。」

ニヤズ氏は2009年7月騒乱直後に拘束された多くのウイグル人ジャーナリスト、ウェブ管理者の一人である。多くのウイグル人ウェブサイトの主催者とスタッフは政府により「分離主義」あるいは「分割主義」を助長したとして非難された。

中国政府官員はウイグルオンライン他、サリキンやディヤリムなどを含むウイグル人が運営するウェブサイトを2009年7月5日の抗議と暴力を扇動したとして非難した、なぜなら7月5日に先立つ日々にそれらのウェブサイトは人民広場で行なわれた7月5日の平和的デモの計画を告知していたからである。
2009年7月6日のテレビ演説で、自治区主席のヌリ・ベキリはウイグルオンラインを具体的に名をあげて「流言を広める」ことにより扇動し続けたと言い、7月5日の暴力への触媒となったと非難した。

2010年4月1日32歳のウェブサイト管理者グルミア・イミンさんは、不法なデモと「分割主義を」を組織したとして「国家機密を暴露」した罪で終身刑を宣告された。イミンさんは同じ日に秘密裁判にかけられ判決を受けたのである。
イミンさんは、いろいろなウイグルのウェブサイトに多くの詩を発表して後に、ウェブサイトのサリキンに招聘された。イミンさんは2009年7月14日に逮捕されたが、彼女の家族は拘束に関していかなる公式の書類を受け取ることはなかった。

ウェブサイト、サリキンの創設者はヌレリ氏という名で通っているが、2009年7月5日の後拘束されいまだ囚われのうちにある、以下のウェブサイトスタッフやブロガーも同様である。

メメト・トゥルグン・アブドゥラ氏、6月26日に広東省韶関市で起こったウイグル人への襲撃の記事をウェブ上で発表した写真家。
ディリシャット・パルハット氏、ウェブサイト、ディヤリムの共同創設者。
オブルカシム氏、ディヤリム社員。
ムハメット氏、ウェブサイト監督者。

これらの個人についていかなる容疑が訴追されたのかに関して報告は公になっていない。そして彼らがどこに拘束されているのかも明らかでない。

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