Uyghur Historian Given 7 Years.
RFA 3月6日
一人のウイグル人歴史家が人気のウェブサイトを運営していたが、秘密裁判の後、刑を宣告された。問題を抱え込む中国の西北部新疆地域の2009年7月の民族暴動の後に収監された一番最近のインターネット上の活動家となった。
トゥルスンジャン・ヘズム氏
情報筋によると、トゥルスンジャン・ヘズム氏、38歳はアクス地区の裁判所で、家族が傍聴を許されなかった一回の裁判後、7年の収監刑を宣告された。
彼の家族は昨年の7月に課されたその判決について知らされていたが、へズム氏を知る合衆国在住のウイグル人学者エリキン・シディク氏によると彼に烙印を押された容疑については知らされなかったという。
匿名であることを要請されたある情報筋が言うには、高校の歴史教師であった、また人気のウイグル語ウェブサイト「オルホン」のオーナーであるへズム氏の所在は警察が2009年7月5日に勃発した民族暴動の2,3日後にアクスの彼の自宅彼を逮捕して以来、杳としてわからない。
情報筋によると警察は彼のコンピュータと他の備品を持ち出していったという。
へズム氏は流血の暴力のあとに当局に捉えられたにもかかわらず、彼の収監や判決の知らせは最近まで公には知らされていなかった、と情報筋は語る。
RFAに連絡のついたへズム氏の家族の一員はこの事件に関してコメントすることを避けた。へズム氏が教えていた学校の校長もまたコメントを拒否した、しかし事実上へズム氏が監獄の中にいることを確証した。
ウェブサイトの閉鎖
ウェブサイト「オルホン」は2009年7月に閉鎖された、中国当局が新疆ウイグル自治区のインターネットを首都ウルムチでの民族暴動の後の10ヶ月遮断したように。
ウェブサイト「オルホン」はウイグル民族のトルコ系祖先の故郷にちなんで命名されたが、ほとんどウイグル文化や歴史についての学問的な記事が発表されていた。
このサイトは閉鎖されたままである、しかし運営されていた三年の間、新疆と海外で最も人気のあるウイグル語ウェブサイトのうちの一つであった。検閲管理にも係わらず、ウイグル人学者、知識人そして学生はこのウェブサイトを訪問しコメントを残していた。
他の人気のあったウイグル語ウェブサイト、シャブナム、ディヤリム、セルキンの管理者もまた「国家安全危害」容疑で2010年7月にウルムチの裁判所で様々な期間の刑期での懲役刑を受けている。
加えて、ウェブサイト、ウイグルオンライン(Uyghurbiz)の編集者ギャレット(ハイラット)・ニヤズ氏は北京の厳しい支配や大規模な漢族中国人移住者の流入に対してウイグル人が憤激した結果の2009年の暴力についてインタビューを受けたとして15年の懲役刑を言い渡された。
歴史家
へズム氏は新疆大学歴史学部で1991年から1996年に学んだ。卒業後に故郷アクスに帰りウイグル語教育の高等学校で歴史を教えた。
「へズム氏の学校の指導部は2006年から彼が歴史を教えることを禁止した、そして彼の地位を学校の玄関係に換えた。」2007年にアクスを訪れへズム氏に会ったシディク氏は語った。
「へズム氏は知識が十分にあり徳のある人間でよきウイグル人知識人だ、、、彼はウイグルの歴史を調査している若いウイグル人学者の一人だ。彼はウイグルの歴史と地方史に関する多くの記事を発表しまた用意していた。」シディク氏は語った。
研究活動のほかにも、へズム氏はウイグルオンラインやボスタンなどのウイグル語ウェブサイトで「ヤウズ」のペンネームでインターネット上の議論に参加していた。