明治45年(1912年)2月14日横浜港より12種類6040本の桜の苗木を積んだ「阿波丸」が出航した。一ヵ月後の3月13日ワシントンについた。
実は3年前明治42年ワシントンへ送った2000本の桜の苗木から害虫が多数発生、すべてが焼却処分になりました。
二度目の桜は米国農務省の検査官が荷物を広げたところ「素晴らしい害虫の姿が見えない」「病気にかかっている木は一本もない」昆虫局長ハーワード博士も、「私は今までこのような完全な輸入植物は見たことがない」と驚いたそうです。
この桜の苗はワシントンポトマック公園に植えられ、半数はニューヨークのハドソン河河川敷に植えられました。これはハドソン河開発100周年記念式に贈られたものでした。
3月27日ポトマック公園での植樹式が行われた、今年2012年は100年の節目の年として盛大なイベントが計画されています。
100年前2度目の桜の輸出に携わった業者は現在創業120年を迎える「横浜植木」です。ハワード博士を感嘆させた桜の苗木は「横浜植木」による丹念な燻蒸と消毒によるところが大きかったのでしょう。
さくら並木ネットワークは東北の各地で津波到達地点への桜並木の造成、桜並木が100年先まで津波の災害を伝え続ける役割を担う。
このような活動をする組織が100年前にワシントンへ桜を無事送り届けた「横浜植木」という会社に挨拶をしておくことは当然の礼儀であると思っていた。
横浜植木の渡辺社長と面会する事ができた。忙しい中一時間を越える時間を頂き、さくら並木ネットワークを御支持頂き、長いお付き合いができるのではないかとの感触を得た。
そしてニュヨークから1通のメールが届いた。ニュヨーク在中の日本の方が,「桜太鼓」という子供の太鼓の組織を中心に大掛かりな震災支援に取り組んでおられる。
今まで赤十字に支援金を贈っていたが支援金の行く先がわからない「桜太鼓」の名前の通り、さくら並木ネットワークへ支援金を贈り桜の木に変えたいとの申し出がありました。
桜並木が津波の到達地点来年は2kmにわたる桜並木の植樹などの依頼も届いています。今後このような計画も多数出てくる状況です。
ポットマックにさくらが植えられ100年。ニューヨークの善意が最大の被害を出した宮城県石巻の津波到達地点に2kmにわたるさくら並木に変わったら、米国だけに止まらず世界中が勇気づけられます。
さくらは10m間隔(成長した時に必要な幅)で植えていきます、ですから2kmといっても200本です。200本一本1万円で200万円のプロジェクトです。
たった200万円という表現が正しいかどうかは別にして、どれだけの人がこのことで勇気や希望を持てることが出来るでしょう。まだ復旧復興は緒についたばかりです。この桜並木が出来たなら何千何万の人に大きな力を与える事は必至です。
ニュヨークと日本が同じ夢を共有出来たなら私たち自身にも大きな幸せが訪れるような気がしています。
この会の代表は私と細沼社長、海外を中心に多くの働きかけをしていただいている細沼弘良氏、3人の年齢を合計すると200歳を超える。
しかしこの3人は青春を生きている実感を味わっている。アメリカのサミュエル・ウルマンの詩を思い出した「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相を言うのだ。・・・年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる。・・・」
実は3年前明治42年ワシントンへ送った2000本の桜の苗木から害虫が多数発生、すべてが焼却処分になりました。
二度目の桜は米国農務省の検査官が荷物を広げたところ「素晴らしい害虫の姿が見えない」「病気にかかっている木は一本もない」昆虫局長ハーワード博士も、「私は今までこのような完全な輸入植物は見たことがない」と驚いたそうです。
この桜の苗はワシントンポトマック公園に植えられ、半数はニューヨークのハドソン河河川敷に植えられました。これはハドソン河開発100周年記念式に贈られたものでした。
3月27日ポトマック公園での植樹式が行われた、今年2012年は100年の節目の年として盛大なイベントが計画されています。
100年前2度目の桜の輸出に携わった業者は現在創業120年を迎える「横浜植木」です。ハワード博士を感嘆させた桜の苗木は「横浜植木」による丹念な燻蒸と消毒によるところが大きかったのでしょう。
さくら並木ネットワークは東北の各地で津波到達地点への桜並木の造成、桜並木が100年先まで津波の災害を伝え続ける役割を担う。
このような活動をする組織が100年前にワシントンへ桜を無事送り届けた「横浜植木」という会社に挨拶をしておくことは当然の礼儀であると思っていた。
横浜植木の渡辺社長と面会する事ができた。忙しい中一時間を越える時間を頂き、さくら並木ネットワークを御支持頂き、長いお付き合いができるのではないかとの感触を得た。
そしてニュヨークから1通のメールが届いた。ニュヨーク在中の日本の方が,「桜太鼓」という子供の太鼓の組織を中心に大掛かりな震災支援に取り組んでおられる。
今まで赤十字に支援金を贈っていたが支援金の行く先がわからない「桜太鼓」の名前の通り、さくら並木ネットワークへ支援金を贈り桜の木に変えたいとの申し出がありました。
桜並木が津波の到達地点来年は2kmにわたる桜並木の植樹などの依頼も届いています。今後このような計画も多数出てくる状況です。
ポットマックにさくらが植えられ100年。ニューヨークの善意が最大の被害を出した宮城県石巻の津波到達地点に2kmにわたるさくら並木に変わったら、米国だけに止まらず世界中が勇気づけられます。
さくらは10m間隔(成長した時に必要な幅)で植えていきます、ですから2kmといっても200本です。200本一本1万円で200万円のプロジェクトです。
たった200万円という表現が正しいかどうかは別にして、どれだけの人がこのことで勇気や希望を持てることが出来るでしょう。まだ復旧復興は緒についたばかりです。この桜並木が出来たなら何千何万の人に大きな力を与える事は必至です。
ニュヨークと日本が同じ夢を共有出来たなら私たち自身にも大きな幸せが訪れるような気がしています。
この会の代表は私と細沼社長、海外を中心に多くの働きかけをしていただいている細沼弘良氏、3人の年齢を合計すると200歳を超える。
しかしこの3人は青春を生きている実感を味わっている。アメリカのサミュエル・ウルマンの詩を思い出した「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相を言うのだ。・・・年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる。・・・」