「縦横無尽」 フローレ21社長のコラム

花の仲卸フローレ21社長小池潔がつれづれに語ります 快調に更新中

「津波てんでんこ」

2012-04-14 13:11:39 | Weblog
南三陸町波伝谷、先々週植樹を行った上山神社の対岸に位置する地。津波で流された家屋を見下ろすとそこは谷の様でもあった。
南三陸の語り部、後藤一磨さんはこう言った「昔の人は伝え続けなければならないものは地名として残したところは数多くある」
波伝谷地区は全ての家屋が津波で流され、15人の尊い命を失った。
津波で大きな犠牲を出したこの谷は後世まで伝え続けなければならない。きっと昔の人の思いが「波伝谷」と言う地名となって伝えられていた。
家を流され、高台に移転しようとしてみれば、そこは縄文時代の遺跡や館跡であった。
現代に生きる人間は自然とどのように向き合い生きてきたのか?便利さや意味のない豊かさを求め自然を人間の力で封じ込めようとしていたとさえ思える。一磨さんはこう語った。

一磨さんは戸倉中学校で、翌日の卒業式の後に開かれる同窓会入会式の準備をしていた。経験したことのない大きな揺れ。
「必ず津波が来る」と直感した。急いで帰宅し、妻子を連れて自宅裏の高台に逃げて間もなく大津波が押し寄せた。
自宅は大丈夫だと思った。しかし、かやぶき屋根が引き波に乗って島の向こうに消えていくのをぼうぜんと眺めた。
「なぜか、幼いころにアリの巣を壊した時のことを思い出した。アリたちは卵を運び出したり巣を直したり、右往左往していた。自分たちも同じだ」
縄文時代の遺跡や古い神社が「不思議と津波の被害に遭っていない」ことに気付いた。
「先人たちは津波にやられたり、生き延びたりしながら、安全な場所を定めてきたのでしょう。それが人間の生活と自然との関係だったはず。
私たちに「自然を操れる」というおごりや慢心がなかっただろうか、植樹の前夜、三陸の語り部後藤一磨さんに皆でお話を伺った。

古くから「津波てんでんこ」と言う言葉がある。津波が来て生死を分けるもの、それは自分の事だけを考え、一目散に逃げる事。
他人のことは一切考えるな自分の命は、自分の責任で守れという意味も含みます。
さらには「他人を助けられなかったとしても、それを非難しない」という暗黙の約束事にもなっているのです。
あの時、津波によって亡くなったのは、せっかく避難をしたのに身内を心配して家に戻った、貴重品などをとりに行き引き波でさらわれる。

「てんでんこ」とは、「てんでんばらばらに」を表し「人にかまわず1人で高台へ逃げろ」という意味。
上山神社の目の前に南三陸町防災センターがさび付いた鉄骨だけを残し痛々しく建っている。町の職員が最後までこの防災センターで大津波警報と避難を呼びかけていた。
避難された人は「緊迫した呼びかけは危機が迫っている事を感じさせてくれた」「呼びかけに背中を押されるように逃げて助かった」
しかし26名の防災担当職員は命を失った。多くの消防団員や職員の大切な命、大切な職務、答えは「てんでんこ」だと思う。

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