久しぶりの更新です、白ひげ社長の「1000分の1構想は、今」このブログに刺激を受け自分の現在の考えを綴りたくなりました。
今の社会の中で花の需要が減る、停滞する、花に携わっているものの一人として寂しく、悲しく、悔しく思っています。
食べるものは一人が消費するものは限度があります、年をとれば食が細くなります、しかし花の消費は限度が有りません。
消費者に買ってみようという動機が生まれるかどうかです、勿論経済行為ですから景気不景気も影響するでしょう、しかし10人の内4人しか花を買わない現状は、景気不景気を通り越している何とかしなければならない問題です。
その為にはどうしてもプロモーションや教育が必要で、実際には専門的分野の人材が行わなくては成らないし、その効果についても把握する必要が有ります。
白ひげ社長の言う通り「継続的、定期的」に行うことが必要です。
花を見る、花を頂く、花を活ける、花で季節を感じる、これらの行為が人々を癒し、幸せを感じさせるものであるなら、花は必ず売れていきます。
生産者、市場、仲卸、小売店は誰のために存在するか。
「全ては最後に花を消費する消費者の為に存在しなければなりません」どの段階においても此処が抜けてしまうと、誰の思いも消費者に伝わりません。
そのことが10人のうち4人の人しか花を買わなくさせてしまった大本のような気がして成りません。
業界全体が変わる、一人一人が変わる、そのことが事のほか大切だと思っています。
限られた場での議論でなく、業界のいたるところでそれぞれがどう考えるのか、大討論が巻き起こらなくてはいけません。
議論の末「よし、業界が一つにまとまり、やろうじゃないか」との結論がでたら、何分のいくつかは別にして必要なファンド集まると確信してます。
それにはまだまだ議論が足りません、バケツの水どころか琵琶湖を持ち上げひっくり返したぐらいの議論が業界の隅々で巻き起こらないと成功しないと思います。
仲卸がその役割を果すこと、ぜひ買って出たいと思っています。
今の社会の中で花の需要が減る、停滞する、花に携わっているものの一人として寂しく、悲しく、悔しく思っています。
食べるものは一人が消費するものは限度があります、年をとれば食が細くなります、しかし花の消費は限度が有りません。
消費者に買ってみようという動機が生まれるかどうかです、勿論経済行為ですから景気不景気も影響するでしょう、しかし10人の内4人しか花を買わない現状は、景気不景気を通り越している何とかしなければならない問題です。
その為にはどうしてもプロモーションや教育が必要で、実際には専門的分野の人材が行わなくては成らないし、その効果についても把握する必要が有ります。
白ひげ社長の言う通り「継続的、定期的」に行うことが必要です。
花を見る、花を頂く、花を活ける、花で季節を感じる、これらの行為が人々を癒し、幸せを感じさせるものであるなら、花は必ず売れていきます。
生産者、市場、仲卸、小売店は誰のために存在するか。
「全ては最後に花を消費する消費者の為に存在しなければなりません」どの段階においても此処が抜けてしまうと、誰の思いも消費者に伝わりません。
そのことが10人のうち4人の人しか花を買わなくさせてしまった大本のような気がして成りません。
業界全体が変わる、一人一人が変わる、そのことが事のほか大切だと思っています。
限られた場での議論でなく、業界のいたるところでそれぞれがどう考えるのか、大討論が巻き起こらなくてはいけません。
議論の末「よし、業界が一つにまとまり、やろうじゃないか」との結論がでたら、何分のいくつかは別にして必要なファンド集まると確信してます。
それにはまだまだ議論が足りません、バケツの水どころか琵琶湖を持ち上げひっくり返したぐらいの議論が業界の隅々で巻き起こらないと成功しないと思います。
仲卸がその役割を果すこと、ぜひ買って出たいと思っています。
小生は昭和30年代の生まれ、家に車やテレビが来た時の感動も虚ろに記憶しています。現代は自動車は当たり前、いろいろな電化製品に囲まれ、たいへん豊かになったが逆に何かが足りなくなったと思いませんか?無機質なモノが溢れかえり何故か心が寂しくなったような。。。
日本人には花を愛する心が生きています。桜や菊は日本の心ですよね。
心に花を取り戻してもらって、もっと豊かになる。これこそが大切なことと思います。
花屋って良い商売ですね。みんなで日本を豊かにしましょう!
花に変わるものは他にないのでは?そんな花に携わって40年たちました、20年は小売、20年は仲卸、小売をしていたときにもう少し利口ならもっと違ったことが出来たのに、いつも悔やんでいます。
仲卸で20年、10年は無我夢中でした、あとの十年少し考えるようになりました、でも駄目です。
これからの十年くいが残らないようにやらねばならないことをやり遂げます。
いつかお会いしてゆっくり語りたいです。
われわれ小売者たちも、最後のエンドユザ-に
この信号を、伝え今後の明るい社会に、
一躍を、担いたいと思います。
負担はどなたもキツイ現状ですが、この構想で負担の数倍、数十倍の効果が生まれると期待したいところです。何もしなくては将来はもっと厳しい状況になりますから。
そして心ある人達が知恵と力を結集する、必ず展望が開けるように思います。
「花」ですから・・・
全ての花き業界に携わっている人達が「このままでいい」と思ってはいません、「何とかしたい」と考えています。
沢山の「何とかしたい」をまとめる、この仕事が大切だと考えています。
最近更新がなく、お忙しいこととお察し申し上げます。
表題、その後は何か動きはありますでしょうか?
生産者、市場、仲卸、小売店が一つにまとまることは大変なことと思います。
先日、知人のバラ生産者へ挨拶に行ってきました。
たまたま、この1000分の1構想について話がでました。
しかし相変わらず保守的な考え方で。。。
園芸農家のほとんどは米を兼業しているため
まだまだ生活に余裕があるようです。
ただし不作が続けば予想もできない事態になるでしょう。
米は実質1年に20日程度仕事をすれば年間の収入はある程度
確保されます。確かに農作業は重労働ですが。
いま、生産者は大変な苦境にたたされていることも事実です。
このまま生産を続けるかどうか・・・
昨年の原油高騰で薪ボイラーを購入したが原油価格が下がり、
おまけに新規建築が少なく廃材も少ない。。
そのくせ、エアコン付のコンバインを購入。
年間に実質1週間程度しか使用しないモノにエアコンが必要でしょうか?
もう少し我慢して長期的な展望を考えられないモノかと
単刀直入に話をしました。
ほとんどの農家は広大な土地を所有し、花が売れなければ
野菜等に転作すればと簡単に言う始末。園芸農家は趣味の領域???
生産者に『消費拡大』や消費者への満足度向上のための
話をしても危機感がないので当然保守的な意見しか出てきません。
市場も生産者向きなところも未だ多く、特に農協・経済連には
強いこともいえない。花の市場規模は大変小さく農協・経済連でも
おまけ扱いでしょう。
生花市場は花が売れなくなればどうするのでしょう?
青果市場に転業?
花屋さんで花が売れなくなれば商売替えをするのでしょうか?
真剣に考えることができるのは市場、仲卸、小売店でしょう。
何とか1000分の1構想をまとめて需要喚起しなければ
我々の未来はありません。
また、このままでは日本の花作り農家はなくなってしまうと
大変な危機を常に感じる今日この頃です。
しかし、昨今の価格低迷では、経営的に困難な事は理解できると思います。
生産現場では簡単に生産コストを下げられません。需要が縮小している時に、生産量を増やすことは出来ませんから尚更コストを下げる事は難しいのです。
私が生産者としてこの構想に賛成する理由は需要の喚起によって再生産可能な単価を希望するからに他ならないのです。
しかし価格というモノは消費者が決めることであり
多くの人々がその商品価値を納得できるかできないかだと思います。
現在、急激なデフレスパイラルの中、すべてのモノの価値が下がってきています。
バラ1本の価格とサラリーマンの昼食の価格が同じ?というも一般消費者には
受け入れがたいと思います。趣向品・贅沢品と言われる位置付けの中、
我々はどのようにマーケットの調査をし消費者は何を望んでいるのかを
常に考え、新しいアイディアを模索・提供しなければならないと思います。
生産コスト削減を真摯に取り組んでおられる生産者もいれば、
全く考えていない生産者もおられます。たとえばダンボール1つにしても
農協経済連の勧めのままに購入したり、市場のいいなりに小分けし
箱代・運賃など全く度外視される方もおられます。
また花屋さんも同じように危機感のない方も多いようです。
市場への買参など『買ってる暇があれば売った方がいい』と思うのは小生だけでしょうか?
競り場で隣の方より『10円安く買ったから儲かった』?と言われる方をよく見かけます。
買って儲かるなんて聞いたことありません。
また近年、街の多く花屋さんはいつの間にか芸術家化し
二言目には『付加価値をつけなければ』と。。
今日も、給与7.1%減や実質失業率8.8%と暗くなる報道の中、
1000分の1構想は是非多くの方々にご賛同いただき
我々の花でますます明るく豊かな日本にしていきたいのですが
如何なモノでしょう?(僕は主謀者ではありませんが・・)