小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

ドイツ語と性(SSKシリーズ13)

2014年11月05日 21時52分38秒 | エッセイ
ドイツ語と性(SSKシリーズ13)         



 埼玉県私塾協同組合というところが出している「SSKレポート」という広報誌があります。私はあるご縁から、この雑誌に十年以上にわたって短いエッセイを寄稿してきました。このうち、2009年8月以前のものは、『子供問題』『大人問題』という二冊の本(いずれもポット出版)にだいたい収められています。それ以降のものは単行本未収録で、あまり人目に触れる機会もありませんので、折に触れてこのブログに転載することにしました。発表時期に関係なく、ランダムに載せていきます。

【2011年11月発表】
 私はドイツ語ができないのだが、必要があって時々独和辞典を引くことがある。それで、先日あるおもしろい発見をした。
 Sitteという語は風習、風俗、慣習といった意味合いと、道徳、礼節という意味合いとがある。これだけでもかなりおもしろい。
 日本語のニュアンスで風俗や慣習と道徳とが同じ語で表わせるとはどうしても思えない。これがドイツ語では同一語で表現できるということは、ドイツ語がいかに土俗の段階から今日に至るまで、共同体の秩序を司る精神(道徳)を伝統的な慣習に託してきたかを表わしている。このことは同時に、ドイツ語という言語が長い歴史を経ていながら、いまだにかなりの程度、土俗性、古代性を保存していることの一つの証拠となるかもしれない。あの硬い発音や、接尾語をどんどん膠着させてやたら長い単語をつくることができる特性にもそれを感じる。
 ところでおもしろい発見というのは、こうである。
 哲学者のヘーゲルが、人間精神の現実態として好んで用いたSittlichkeitという語はいうまでもなくSitteの派生語で、ふつう倫理、道徳を意味するが、哲学用語としては「人倫」と訳される。人倫とは「仲間存在であるひとびと」のとるべき「みち」を表わす。
 ところがこれにDelikt(不法行為)あるいはVerbrechen(犯罪)という語を付着させたSittlichkeitsdelikt、Sittlichkeitsverbrechenという長い単語が単なる道徳破壊を意味するのではなく、直ちに「性犯罪」という意味になるのだ。付着させた二つの語には一般的な掟破りの意味しかなく、性的な含意は何らないのにである。
 このことは何を意味しているだろうか。二つのことが想定できると思う。
 まず浮んでくるのは、古代の小さな村落共同体である。そこでは習俗がまともに継承されて行くためには、婚姻の掟が掟として厳密に守られることが重要な意味を持っていた。発覚した性の不祥事、婚前交渉、不倫、近親相姦などは、それだけで、最高度の犯罪だったのだ。
 もう一つは、このことの背景として、人間の性愛感情や性欲の野放図さが、いかに一般的な共同体秩序と相容れない反社会的なものとして意識されていたか、いや、もっと言えば、ほとんどそれだけが慣習や道徳を破る決定的な要因と考えられていたという点である。
 ドイツ語の断片だけを捉えて、こう結論するのは早計かもしれない。
 しかし自慢するわけではないが、私は長年、人間の性愛の乱脈ぶりと、労働を基礎とする共同体の秩序とが本質的に相容れないものであることを説いてきた。性愛の世界が周囲からは閉じられたものであり、それが露出すると「猥褻」「イヤらしいこと」「笑いの種」と感受される原因はそこにある。
 人間は自分たちの性愛の危険性を自覚して、労働との間に住み分けの線を引いたのだ。それがおそらく文化の始まりである。今回のささやかな発見は、奇しくもこの持論を証拠立ててくれるものだったのである。
 現代ではこの住み分けの線が曖昧である。人類はこれから先、大丈夫だろうか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿