小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

日本語を哲学する23

2015年06月02日 17時52分33秒 | 哲学
日本語を哲学する23




 さて、散文(小説)における「沈黙」の効果の例を挙げよう。これはおそらく枚挙にいとまがないだろうが、ここでは、時代小説作家・藤沢周平の一作品だけを取り上げることにする。
 藤沢は、下級武士や町人、博徒など、権力者でも英雄でもない生活者群像の切ない生涯を一貫して扱い、非情とも見える切れ味の鋭い文体と、主人公たちへの温かく深い人間洞察とを両立させることに成功した。彼の初期の傑作に、史実に基づいた『又蔵の火』という綿密に描かれた暗い作品がある。史実を素材としてはいるが、ここには藤沢ならではの文学的解釈が躍如としている。しかしその解釈は、はっきりと示されてはいず、よく実際の文章を味読しないと見えてこない。
 おそらく彼は鴎外の時代物や史伝小説に大きな影響を受けているが、鴎外よりも作品構成の技量において立ち優っているように思える。しかもその筆致は、鴎外ほど淡々としてはいず、より劇的な感動を読者に与える。だがその感動は、大げさな身振りによってではなく、まさに「沈黙」の効果を通してもたらされるのである。このことを、本編の筋をやや詳しく紹介しながら解説しよう。

『又蔵の火』はそう長くない作品(四百字詰め原稿用紙で150枚程度)だが、人間関係はけっこう複雑であり、またこれを説明しないと、この作品の勘所をうまくつかむことができない。
 主人公・又蔵は、百五十石取りの庄内藩士・土屋久右衛門(本家ではない)の妾腹の子であり、その四歳上の兄・万次郎は、放蕩にうつつをぬかし、土屋一門の鼻つまみ者となっている。
 時は三十年近くさかのぼるが、久右衛門の嫡男・八三郎は二十二歳ですでにこの世を去り、妻女・見代野もすぐ後を追った。家系が絶えることを憂えた久右衛門は、知り合いから才蔵と九十尾を夫婦養子として迎え、みずからは隠居して妾を持った。その子が万次郎と又蔵である。養子の才蔵は律儀な男で、二人を土屋家に引き取り、文武両道に励ませることを怠らなかった。またゆくゆくは万次郎を、自分の娘・年衛(万次郎の義理の姪に当たる)とめあわせることを久右衛門に願い出て、久右衛門の快諾を得る。
 ところが立派に成長した万次郎の素行が突然乱れ始める。周囲ではその理由がわからず当惑するが、いくら父と才蔵が諌めても一向に改まる気色がない。やがて久右衛門が死ぬと、その乱脈ぶりはいっそうひどくなった。才蔵は江戸出府のためいつも彼を見張っているわけにはいかない。何度目かの帰郷の折、ついにたまりかねて万次郎を座敷牢に閉じ込める挙に出る。このままでは土屋家の家名に傷がつくことを恐れたのである。
 又蔵はひそかに万次郎を牢破りさせ、二人つるんで出奔する。行方知れずとなって一年ほどがたち、才蔵は十七になった娘の年衛に、黒谷家の次男・丑蔵を婿に迎える。丑蔵は剣術の達人で性格も真面目一徹、万次郎・又蔵兄弟の義理の甥に当たるが、年は万次郎より三歳上である。土屋家は血のつながらない跡取りを得たことになるが、それでも一族は安堵した気分だった。
 一方、江戸へ向かう途中で路銀が尽きた万次郎は金策のため庄内に戻ると決め、又蔵は宇都宮で待つことにした。しかし一向に帰ってこない万次郎の消息を案じて故郷近くまで戻り、兄のかつての友人・石田の元を訪ねると、兄が近い親戚の三蔵(おそらくもう一つの土屋分家の嫡子で、兄弟とは従兄筋に当たるのであろう。彼も万次郎の三歳年上である)と丑蔵とによって殺されたことを知る。しかし二人は積極的に殺したのではなく、万次郎の帰郷についての密告を受けて穏便に連れ帰る途上、隙を見せた丑蔵への万次郎の不意の襲撃から自分たちを防衛するためにやむなく殺したのだった。
 又蔵は、深い衝撃を受ける。いくら放蕩三昧で土屋家の厄介者になっていたとはいえ、「盗人にも三分の理」があるだろう。一族の誰にも理解されなかった兄。彼の中に兄に代わって無念を晴らそうとの火が燃え上がる。仇討ちを決意した彼は江戸に剣術の修行に出るが、十分に熟達したとは言えない段階で師匠に事情を打ち明け、目的を達するために帰郷する。昔又蔵の乳母を務めた女の夫・源六の家にしばらく寄寓して機会をうかがう。源六の家には十六になる娘・ハツがいる。又蔵は自分の幼いころに乳母の背に負われていた赤子を思いだす。
 やがて又蔵は、情報を得て丑蔵を総穏寺付近で待ち伏せ果し合いを申し出る。はじめは取り合わなかった丑蔵も、又蔵に卑怯者呼ばわりされた上に執拗な食い下がりに会い、ついにこれに応じなければ武士の名が廃ると臍を固める。街路と寺内での凄惨な争闘の後、もはや二人とも絶命するほかはなしと悟った丑蔵は、たまたま通りかかった番頭(ばんがしら)に差し違えの見届け役を頼む。二人はすでに朦朧とした意識のまま、万次郎の墓前まで互いに寄りすがるようにたどり着き、そこで相果てる。役人に届けられた又蔵の荷物の中に願書が二通あり、一方には、丑蔵を討った後、三蔵とも勝負することを願い出る旨のことが書かれてあった。
 ハツは、その日の日暮れ、ずっと庭に立ちすくんで野面の一本道を見つめ続けていたが、歩いてくる若者の姿はなかった。

 この作品は、源六の家に滞在することになった若者が路上で凶暴な野犬を一刀のもとに切り捨てる光景を、用向きから帰って来たハツが遠目で見届けるところから書き出されている。その若者の殺気にただならぬものを感じたハツは、彼に強い関心を抱き、父親に委細を問いただそうとするが、源六は本当の事情を知ってか知らずか、要領を得ない答しかしない。ハツがその説明に満足していないことは明らかである。ハツの若者に対する関心は、又蔵の尋常でない覚悟への直感に裏付けられてはいるが、そうであればこそ、それは急速に育った乙女の恋心だといっても過言ではない。恋心といってもし軽薄に響くとすれば、又蔵の鬼気迫る様相に強く魅せられ、金縛りにあうように彼の一挙手一投足に思いを懸けるようになったのである。
 藤沢はそれが恋だとは書いていず、結末部分で「一日中、その心配で胸を騒がした」としか表現していないけれども、まさしくこの結末の描写と冒頭場面とを巧みに呼応させる構成によって、ハツの強い懸想を暗示しているのである。ここにまず第一の「沈黙」が響いている。野暮なことを書き添えるなら、恋をした女性はその対象に対していかにもこうした「心配」の仕方をするものだ。
 もっと重要なのは、万次郎の死を雪ぎたいという又蔵の一途な決意が、一見したところでは、さほどの強い説得力を感じさせるようには表現されていないことである。先に述べたように、万次郎は理不尽に殺されたのではなく、むしろ仕掛けたのは万次郎のほうだった。またたとえば石田の話を聞いて又蔵の心中にほむらが燃え上がる場面でも、次のような抽象的な描写に終始している。

「もともと万次郎も悪いのだ。土屋の家では手に余ったろう。俺の家で俺をもて余したようにな」
「解っております。しかし殺さなくても――よいと存じます」
 虎松(又蔵の幼名――引用者注)は石田から視線をはずした。底深いところから、隙をみて噴き上げて来ようとする乱れた感情があって、それをこらえようとすると唇が顫えた。

 虎松は顔を挙げた。
「私は江戸へまいります」
「江戸へ? 何しに行く」
 疑わしそうに、石田は虎松を見た。
「兄が行きたがっていましたゆえ」
 咄嗟に行ったが、それは嘘だった。万次郎が江戸へなど行きたがらなかったことを、虎松はよく知っている。
 国元を抜け出し、福島まで来てそこで路銀を使い果たしたとき、ひとまず国へ帰ろうと言い出したのも万次郎だったし、宇都宮まで来ていながら、国元に金策に帰ると言い出したのも万次郎の方からだった。なぜかは解らないが、万次郎の顔がいつも遥かな庄内領の方を向いているのを虎松は感じていた。
 ――その庄内で殺された。
 不意に衝きあげてきた、憤怒とも悲しみともつかない目が眩むような激越なものを、石田の目から隠すために、この無口な少年は、生まれてはじめてともいえる意識的な嘘をついた。


 また、石田の家を後にして南へ下り、金山峠でしばしの時を過ごして回想に耽り、いよいよ故郷に再び別れを告げる場面では、次のようにその思いがつづられている。

 不意に虎松が鋭く眉を顰め、握り飯から顔を離した。
 ――兄の死を、悲しんだものは誰もいなかっただろう――
 この思いが胸を抉ったのである。土屋家の放蕩者が死んだことで、人々はむしろ安堵し、その死はすばやく忘れ去られつつあるだろう。兄が落ちた地獄の深みを測るものもなく、ましてその中で兄が傷つき、罰されていたなどと僅かでも思わず、たまに思い出しても、つまみどころもない遊び者だったと顔を顰めて噂をするだけなのだ。≫
≪ 石田から兄の死を聞いた時から、心をゆさぶっている暗い衝動が、少しずつ明確な形を整えてきているのを虎松は感じた。
 ――兄に代わって、ひとこと言うべきことがある……
 その気持ちが強くした。一矢報いたい、と言いなおしてもいいと思った。兄がしたことを、いいことだとは思わない。だが放蕩の悦楽の中に首まで浸って満ち足りていたという人々の見方も、正鵠を射てはいないのだ。兄はときに悲惨で、傷ましくさえみえた。人々はそのことに気づこうともしなかったのである。
 ――盗人にも三分の理か――
 それでもいい。その三分の理を言わずに済ますことは出来ないと虎松は思った。
 仇を討とうなどという思案はやめろ、と言った石田の声が甦ってきた。そう言われたとき、虎松は復讐を考えていたわけではない。だがいま押えようもなく募ってきているのは、紛れもなく復讐の意志だった。


 さてこれだけ書かれていても、命を捨てて仇討に踏み込むための理屈は一応わかるものの、又蔵(虎松)の執念の根源にまで得心がいくとまでは言い難い。以上の部分では、又蔵の意識的な心理の過程を追いかけているだけだからである。それは、だれも兄の放蕩の内に秘められていた内面の苦悩をわかろうとしなかったという形でまとめられている。そうして藤沢は、この部分では、又蔵の心理過程からその苦悩の「意味」をそれ以上追いかけることをしていない。ここに、牢破りを率先して助けるほどの幼いころからの強い兄弟の絆というような、外部からの解釈を補助線として引いたとしても、又蔵の暗い情熱の由来を本当に探り当てたとまでは言えないだろう。それを探り当てるには、又蔵の仇討ちへの執念と万次郎の遊蕩への急激な傾斜との間に、ある必然的な連関が見出されるのでなくてはならない。
 このために藤沢が記すのは、又蔵のある記憶であり、万次郎の庄内への已みがたい思いであり、複雑な親族関係の記述であり、そうしてはじめの方に出てくる、当時の中級下級藩士の次男、三男が置かれた境遇についての説明である。以上四つは、一見、又蔵の執念という個人的な心理とは直接のかかわりがないかのように書かれている。つまりそこには作者の意識的な「沈黙」がある。しかしよくこれらをつなぎ合わせてみると、その執念の由来がしだいにくっきりと浮かび上がってくるのである。


*次回も『又蔵の火』について論じます。


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