特定秘密保護法案について
今これを書いている時点(12月6日午後)で、特定秘密保護法案は、参議院国家安全保障特別委員会を通過し、本会議での可決を待つ状態になっています。
この法案を巡って、中央の政局・報道機関を中心にだいぶ世間が騒がしくなっているようなので、私はここ数日、この問題について自分なりの考えをまとめようと思ってきました。現時点での私見を述べます。
この法案が熱い議論を呼び込む理由は、簡単に言ってしまえば、国家中枢の一部が、安全保障上重要な秘密の漏洩を防止することを理由に、特定秘密として指定された情報を国民に流さず、しかもその秘密の従事者が保護義務を破った場合には、10年以下の懲役という刑事罰に処せられる点にあるでしょう。
この法案の成立に反対する勢力は、「国民の知る権利・報道の自由が侵される」「民間事業者の適正評価はプライバシー侵害だ」「憲法で規定された基本的人権に違反する」「戦前の治安維持法と同じで、戦争への道に近づく」などとにぎやかに騒いでおり、今日も国会前に採決反対の人々が集まったようです。午後7時のニュースによると、主催者発表9000人とのことですが、まあ、実態はこの半分以下でしょうな。
また煽動メディア・朝日新聞は、かなり前から法案反対の一大キャンペーンを張り、社説、特集記事などにおいて、これでもかこれでもかと反対世論の形成に力を注いできました。著名人をたくさん取り込んで、その人たちに反対意見を語らせる。賛成意見はおろか、中立的な意見さえありませんし、これらの著名人のなかには、法案の趣旨をよく理解していない人もたくさんいます。なかには、「保守系漫画家」(?)として有名な小林よしのり氏まで入っています。かつては特攻隊賛美の漫画まで描いた小林氏(私はこの点での小林氏を評価しませんが)も朝日新聞に利用されるようでは困ったものですね。
それはともかく、私はたまたま、4日の水曜日夕方、この問題についてのNHKラジオ解説番組を聴いていました。出席した「専門家」は、外交評論家の孫崎享(まごさき・うける)氏と、元防衛研究所所長の柳沢協二(やなぎさわ・きょうじ)氏。
番組では、街の声を10人分ほど拾い集めていましたが、中で年配風の男性がただ一人、「必要なんじゃないの、同盟国から情報もらえないでしょ」とまともなことを言っていたのを除いて、他の人たちは、「なんか知る権利が侵されるようで怖いですね」とか「プライバシーが侵害されないかな」などと毎度おなじみ、「日本人」風。
そもそも私は「街の声」などというものを信用していません。それは二つの理由からです。一つは、急ぎ足に街行く生活人にマイクを突き付けて、天下国家の大事についての深い考えが引き出せるはずがない。第二に、報道する局の意向が決まっていれば、たくさん集めた中からいくらでもその意向に都合のよい声だけを拾う操作が簡単にできます。
また同じ番組では、哲学者(?)の内田樹氏ら何人かの著名人が「特定秘密保護法案に反対する学者の会」なる会を立ち上げて、12月3日に「戦争への道を開く」という趣旨の記者会見を行ったと報じていました。「学者の会」ね。知的権威の保持者がいかにもよく考えてきたような。
ちなみに私事で恐縮ですが、この内田樹という人がいかに視野の狭いただの「サヨク」言論人でしかないか、という点について、私はいま発売中の月刊誌『正論』1月号で詳しく論じていますので、ご関心のある方は覗いてみてください。
ここまで聞いた方は、NHKのこの番組が偏向報道以外の何物でもないということにお気づきでしょう。しかしまだまだ、そのあとがあるのです。こちらのほうが問題です。
先に挙げた「専門家」の二人は、口裏を合わせたように同じことを言っていました。その要点は二つ。
①なぜ今この法案を通さなければならないかという本質的議論がなされないままに、政府は急いで通そうとしている。
②自分たちは、現役時代(それぞれ外務官僚、防衛官僚)にいろいろな機密情報に触れる機会があったが、日本に機密情報の漏洩を防ぐ法整備がなされていないからという理由で、アメリカから情報の提供を拒まれたことはない。
以上二つは、NHK司会者の誘導尋問に答えたものです。
いかがですか。
①については、自民党内にプロジェクトチームを立ち上げたのが8月ですから、たしかにそれだけを見ると、拙速との印象があるかもしれません。しかし、この法案成立を多少急がざるを得ないのは、周辺諸国、特に中国の近年における明白な侵略的意図に対する防波堤を早く築かなくてはならないからです。
先の防空識別圏の強引な設定でもわかるとおり、中国は、日米の分断によって日本の孤立化を図ろうと画策し、両国がどういう反応を示すか試しています。これからも次々と策を弄してくるでしょう。そういうときこそ、同盟国との情報の素早い共有が不可欠なのです。そうしてこの共有は、高度な機密に属しますから、けっしてダダ漏れしてしまってはならないのです。
充分な議論を尽くしたうえで、というのは理想ですが、それは物事によります。国際環境の切迫した状況への迅速な対応が必要とされるときに当たって、ゆっくり議論を尽くしたうえで、などと学者風、評論家風ののんきなことを言っていたら、いつまでたっても政治決着がなされません。
またこの法案は、それだけとして値打ちが測られるのではなく、先に発足した国家安全保障会議(日本版NSC)と来年1月に創設される国家安全保障局とを実質的に運用させるための法的な保証の意味をもっています。この法律が整備していないと、機関だけできていてもそれを遺漏なく活用することができません。三者はセットです。だから急ぐ必要があるのです。
②についてですが、これは本気で言っているのだったらノーテンキもいいところです。外交や防衛のプロだったくせに、この人たちはなんてお人よしなんでしょう。「専門家」がこれだから、戦後日本は相変わらずの対米従属根性、奴隷根性から抜け出せないのです。
本当に日本のようなダダ漏れ国家に対して、米政府がすべての情報を提供してきたなどと信じているのでしょうか。そんなことは、情報戦争のプロである米政府はとっくに斟酌し、この程度はいいがこれはだめ、と情報を厳密に選択したうえで日本政府に提供しているに決まっています。だからといって、米政府が「あんたのところは漏洩する危険があるからこの情報は教えない」などといちいち公式見解として言うはずがないではありませんか。
公式見解としては言わなくても、それがアメリカの本音であることだけは確かです。事実、初代内閣安全保障室長の佐々淳行(さっさ・あつゆき)氏は、「私が警察庁や防衛庁に勤めていたころ、外国の情報機関から『日本に話すと2,3日後に新聞に出てしまう』と言われたことが何度もあった。……特定秘密保護法のない国に対しては、たとえ同盟国であろうと、どの国も情報をくれないし、真剣な協議もしてくれない」と述べています(産経新聞12月6日付)。その通りだと思います。
もう一つ言っておきたいこと。
東アジアの安全保障問題に直接利害を持つのは、当事国である日本であり中国であり韓国であり北朝鮮です(ロシアもか)。私たちのほうが、アメリカよりこの隣国同士の緊迫の度合い、質をよく心得ているのです。アメリカとの同盟関係はもちろん大切ですが、いまアメリカは、日中の悶着の解決にそれほど精力を注ぐだけの余裕がありません。このことは、昨日(5日)のバイデン副大統領と習近平国家主席との会談内容でも明らかですね。バイデン氏は、中国の防空識別圏の設定に対して、「懸念」を表明したにとどまり、本気で撤回を要求しませんでした。ここに日本政府が望むところとは、明らかな温度差があります。ともかく私たち自身が、いま米政府にできることとできないこととをよく見極め、アメリカ依存症から少しでも抜け出す必要があります。
さて反対派の「憲法違反」「知る権利・報道の自由・プライバシーの侵害」「戦争への道」なる主張ですが、これらは、「いつか来た道」――聞いていてうんざりですね。何がうんざりかって? 以下、箇条書きにしましょう。
①この人たちは、いつもそうですが、外交・国防にかかわる政治問題を、その趣旨もわきまえずに国内問題としてしかとらえません。中央権力のやることには、よく調べもせずに何でも反対しておけばよい、という戦後日本特有の反国家感情を吐露しているだけなのです。一般の人がマスコミに誘導されてそうなるのは仕方ないかもしれませんが、知識人や専門家がそれでは困るのです。
②今回の法案は、その要旨をよく読めば(産経新聞12月6日付に掲載されています)、知る権利やプライバシーに対する配慮もちゃんとなされています。また、刑事罰の適用に当たっては、もちろん裁判で決着をつけるわけですから、法治国家における人権が原則として守られることは当然です(その際は、裁判機関に秘密が明かされます)。さらに、秘密が特定秘密に当たるかどうかのチェック機構も四つの機関によってなされることが公表されています。その政府からの独立性の不十分さに疑問を持つ向きもあるかもしれませんが、問題の性格上、完全な独立性をもたせてしまったら(たとえば民間機関)、そもそもある情報を特定秘密として守ることができなくなります。
③特定秘密を国家(政府)が保持することが、どうして「戦争への道」なのでしょうか。国民の平和と安全を守ることが国家(政府)の最大の責務であるからこそ、それを脅かす外部、および内部の隠然たる勢力に対して秘密をキープする必要があるのではありませんか?
むしろこの法案は、日米協力関係、役割関係の強化という意味で、平和維持への現実的な選択なのです。現に米政府は、この法案に全面的に賛成しています。「日の丸・君が代=戦前の軍国主義」みたいな幼稚な連想ゲームはいい加減に卒業しましょう。
ところで「いつか来た道」と言いましたが、今回の反対派の反応を見ていると、たいへん既視感があります。そう、60年安保闘争ですね。今回はあの時ほどの盛り上がりは見せていないようですが、その構造はまったく同じです。国家・国民の将来のことを考えずに、何でもかんでもそのつど衝動的に反権力の情念を吐き出そうとする。その気運は、60年安保条約改定の時の強行採決によって一瞬、革命到来かと思わせるほど盛り上がりましたが、自然承認がなされるや否や、たちまち潮が引くように消えてしまいました。
いま日本国民のなかで、日米安保条約が、その後の日本の平和と繁栄に寄与したことをまっこうから否定できる人が誰かいますか?
私が許せないのは(といってもずっと後になってからわかったことなのですが)、あの当時、進歩主義知識人の代表として安保闘争の理論的リーダー格を務めた丸山眞男です。彼は、政治学を専門としているくせに、この安保条約改定の条項が具体的に何を意味するかについてきちんと検討した形跡が何もありません。丸山はろくに勉強もせずに、安保反対の旗を率先して振ったのですね。今回も専門風を吹かせながら、リベラリズム的良心をちらつかせて同じ態度をとっている人たちがいるようです(先の孫崎・柳沢両氏のように)。せめて知識人・言論人には、同じ轍を踏んでほしくないものです。そのために歴史の教訓があるのではありませんか。
もちろん半世紀前に比べて日本の言論界はいくらか成熟していて、この法案を支持する見解も相当見られるようです。また、単なる反対論というのではなく、次のような急所を突いた見解にも耳を傾けるべきでしょう。
・この法案では、官僚が情報を独占する恐れがあり、首相が政治判断する前に官僚によって取捨選択されてしまうのではないか。
これは日本のような官僚主導国家ではかなりその可能性があり、そうならないような方策が必要となるでしょう。
・この法案には、罰則に最低刑の規定がないので有期刑でも執行猶予が可能である(執行猶予は3年以下の懲役または禁錮の場合)。だから事実上、ザル法と言わざるを得ない。
これはなるほどと思わせる部分があります。本当に当事者に抑止効果を与えたいなら、最低刑の規定を設けるべきでしょうね。
ただ、以上のような見解があるからといって、まったく立法の存在意義がないかといえば、そうとも言えないと思います。私はこの法案の意義は、むしろ、国際社会に向けてのアッピール効果にあると考えます。先に述べたように、同盟国はこの法律の存在によって、ある程度信頼を深めるでしょうし、敵対国が日本を舐めてスパイを簡単に送るようなこともいくらかは抑止できる。つまり、まあ、建前をきちんと固めておくおくことによって、ある種の外交上の利点を獲得できる。やくざ世界の仁義のようなものですね。
法案は一両日中にほぼ成立の見込みなので、これからの行方をしっかり見守ることにしましょう。
今これを書いている時点(12月6日午後)で、特定秘密保護法案は、参議院国家安全保障特別委員会を通過し、本会議での可決を待つ状態になっています。
この法案を巡って、中央の政局・報道機関を中心にだいぶ世間が騒がしくなっているようなので、私はここ数日、この問題について自分なりの考えをまとめようと思ってきました。現時点での私見を述べます。
この法案が熱い議論を呼び込む理由は、簡単に言ってしまえば、国家中枢の一部が、安全保障上重要な秘密の漏洩を防止することを理由に、特定秘密として指定された情報を国民に流さず、しかもその秘密の従事者が保護義務を破った場合には、10年以下の懲役という刑事罰に処せられる点にあるでしょう。
この法案の成立に反対する勢力は、「国民の知る権利・報道の自由が侵される」「民間事業者の適正評価はプライバシー侵害だ」「憲法で規定された基本的人権に違反する」「戦前の治安維持法と同じで、戦争への道に近づく」などとにぎやかに騒いでおり、今日も国会前に採決反対の人々が集まったようです。午後7時のニュースによると、主催者発表9000人とのことですが、まあ、実態はこの半分以下でしょうな。
また煽動メディア・朝日新聞は、かなり前から法案反対の一大キャンペーンを張り、社説、特集記事などにおいて、これでもかこれでもかと反対世論の形成に力を注いできました。著名人をたくさん取り込んで、その人たちに反対意見を語らせる。賛成意見はおろか、中立的な意見さえありませんし、これらの著名人のなかには、法案の趣旨をよく理解していない人もたくさんいます。なかには、「保守系漫画家」(?)として有名な小林よしのり氏まで入っています。かつては特攻隊賛美の漫画まで描いた小林氏(私はこの点での小林氏を評価しませんが)も朝日新聞に利用されるようでは困ったものですね。
それはともかく、私はたまたま、4日の水曜日夕方、この問題についてのNHKラジオ解説番組を聴いていました。出席した「専門家」は、外交評論家の孫崎享(まごさき・うける)氏と、元防衛研究所所長の柳沢協二(やなぎさわ・きょうじ)氏。
番組では、街の声を10人分ほど拾い集めていましたが、中で年配風の男性がただ一人、「必要なんじゃないの、同盟国から情報もらえないでしょ」とまともなことを言っていたのを除いて、他の人たちは、「なんか知る権利が侵されるようで怖いですね」とか「プライバシーが侵害されないかな」などと毎度おなじみ、「日本人」風。
そもそも私は「街の声」などというものを信用していません。それは二つの理由からです。一つは、急ぎ足に街行く生活人にマイクを突き付けて、天下国家の大事についての深い考えが引き出せるはずがない。第二に、報道する局の意向が決まっていれば、たくさん集めた中からいくらでもその意向に都合のよい声だけを拾う操作が簡単にできます。
また同じ番組では、哲学者(?)の内田樹氏ら何人かの著名人が「特定秘密保護法案に反対する学者の会」なる会を立ち上げて、12月3日に「戦争への道を開く」という趣旨の記者会見を行ったと報じていました。「学者の会」ね。知的権威の保持者がいかにもよく考えてきたような。
ちなみに私事で恐縮ですが、この内田樹という人がいかに視野の狭いただの「サヨク」言論人でしかないか、という点について、私はいま発売中の月刊誌『正論』1月号で詳しく論じていますので、ご関心のある方は覗いてみてください。
ここまで聞いた方は、NHKのこの番組が偏向報道以外の何物でもないということにお気づきでしょう。しかしまだまだ、そのあとがあるのです。こちらのほうが問題です。
先に挙げた「専門家」の二人は、口裏を合わせたように同じことを言っていました。その要点は二つ。
①なぜ今この法案を通さなければならないかという本質的議論がなされないままに、政府は急いで通そうとしている。
②自分たちは、現役時代(それぞれ外務官僚、防衛官僚)にいろいろな機密情報に触れる機会があったが、日本に機密情報の漏洩を防ぐ法整備がなされていないからという理由で、アメリカから情報の提供を拒まれたことはない。
以上二つは、NHK司会者の誘導尋問に答えたものです。
いかがですか。
①については、自民党内にプロジェクトチームを立ち上げたのが8月ですから、たしかにそれだけを見ると、拙速との印象があるかもしれません。しかし、この法案成立を多少急がざるを得ないのは、周辺諸国、特に中国の近年における明白な侵略的意図に対する防波堤を早く築かなくてはならないからです。
先の防空識別圏の強引な設定でもわかるとおり、中国は、日米の分断によって日本の孤立化を図ろうと画策し、両国がどういう反応を示すか試しています。これからも次々と策を弄してくるでしょう。そういうときこそ、同盟国との情報の素早い共有が不可欠なのです。そうしてこの共有は、高度な機密に属しますから、けっしてダダ漏れしてしまってはならないのです。
充分な議論を尽くしたうえで、というのは理想ですが、それは物事によります。国際環境の切迫した状況への迅速な対応が必要とされるときに当たって、ゆっくり議論を尽くしたうえで、などと学者風、評論家風ののんきなことを言っていたら、いつまでたっても政治決着がなされません。
またこの法案は、それだけとして値打ちが測られるのではなく、先に発足した国家安全保障会議(日本版NSC)と来年1月に創設される国家安全保障局とを実質的に運用させるための法的な保証の意味をもっています。この法律が整備していないと、機関だけできていてもそれを遺漏なく活用することができません。三者はセットです。だから急ぐ必要があるのです。
②についてですが、これは本気で言っているのだったらノーテンキもいいところです。外交や防衛のプロだったくせに、この人たちはなんてお人よしなんでしょう。「専門家」がこれだから、戦後日本は相変わらずの対米従属根性、奴隷根性から抜け出せないのです。
本当に日本のようなダダ漏れ国家に対して、米政府がすべての情報を提供してきたなどと信じているのでしょうか。そんなことは、情報戦争のプロである米政府はとっくに斟酌し、この程度はいいがこれはだめ、と情報を厳密に選択したうえで日本政府に提供しているに決まっています。だからといって、米政府が「あんたのところは漏洩する危険があるからこの情報は教えない」などといちいち公式見解として言うはずがないではありませんか。
公式見解としては言わなくても、それがアメリカの本音であることだけは確かです。事実、初代内閣安全保障室長の佐々淳行(さっさ・あつゆき)氏は、「私が警察庁や防衛庁に勤めていたころ、外国の情報機関から『日本に話すと2,3日後に新聞に出てしまう』と言われたことが何度もあった。……特定秘密保護法のない国に対しては、たとえ同盟国であろうと、どの国も情報をくれないし、真剣な協議もしてくれない」と述べています(産経新聞12月6日付)。その通りだと思います。
もう一つ言っておきたいこと。
東アジアの安全保障問題に直接利害を持つのは、当事国である日本であり中国であり韓国であり北朝鮮です(ロシアもか)。私たちのほうが、アメリカよりこの隣国同士の緊迫の度合い、質をよく心得ているのです。アメリカとの同盟関係はもちろん大切ですが、いまアメリカは、日中の悶着の解決にそれほど精力を注ぐだけの余裕がありません。このことは、昨日(5日)のバイデン副大統領と習近平国家主席との会談内容でも明らかですね。バイデン氏は、中国の防空識別圏の設定に対して、「懸念」を表明したにとどまり、本気で撤回を要求しませんでした。ここに日本政府が望むところとは、明らかな温度差があります。ともかく私たち自身が、いま米政府にできることとできないこととをよく見極め、アメリカ依存症から少しでも抜け出す必要があります。
さて反対派の「憲法違反」「知る権利・報道の自由・プライバシーの侵害」「戦争への道」なる主張ですが、これらは、「いつか来た道」――聞いていてうんざりですね。何がうんざりかって? 以下、箇条書きにしましょう。
①この人たちは、いつもそうですが、外交・国防にかかわる政治問題を、その趣旨もわきまえずに国内問題としてしかとらえません。中央権力のやることには、よく調べもせずに何でも反対しておけばよい、という戦後日本特有の反国家感情を吐露しているだけなのです。一般の人がマスコミに誘導されてそうなるのは仕方ないかもしれませんが、知識人や専門家がそれでは困るのです。
②今回の法案は、その要旨をよく読めば(産経新聞12月6日付に掲載されています)、知る権利やプライバシーに対する配慮もちゃんとなされています。また、刑事罰の適用に当たっては、もちろん裁判で決着をつけるわけですから、法治国家における人権が原則として守られることは当然です(その際は、裁判機関に秘密が明かされます)。さらに、秘密が特定秘密に当たるかどうかのチェック機構も四つの機関によってなされることが公表されています。その政府からの独立性の不十分さに疑問を持つ向きもあるかもしれませんが、問題の性格上、完全な独立性をもたせてしまったら(たとえば民間機関)、そもそもある情報を特定秘密として守ることができなくなります。
③特定秘密を国家(政府)が保持することが、どうして「戦争への道」なのでしょうか。国民の平和と安全を守ることが国家(政府)の最大の責務であるからこそ、それを脅かす外部、および内部の隠然たる勢力に対して秘密をキープする必要があるのではありませんか?
むしろこの法案は、日米協力関係、役割関係の強化という意味で、平和維持への現実的な選択なのです。現に米政府は、この法案に全面的に賛成しています。「日の丸・君が代=戦前の軍国主義」みたいな幼稚な連想ゲームはいい加減に卒業しましょう。
ところで「いつか来た道」と言いましたが、今回の反対派の反応を見ていると、たいへん既視感があります。そう、60年安保闘争ですね。今回はあの時ほどの盛り上がりは見せていないようですが、その構造はまったく同じです。国家・国民の将来のことを考えずに、何でもかんでもそのつど衝動的に反権力の情念を吐き出そうとする。その気運は、60年安保条約改定の時の強行採決によって一瞬、革命到来かと思わせるほど盛り上がりましたが、自然承認がなされるや否や、たちまち潮が引くように消えてしまいました。
いま日本国民のなかで、日米安保条約が、その後の日本の平和と繁栄に寄与したことをまっこうから否定できる人が誰かいますか?
私が許せないのは(といってもずっと後になってからわかったことなのですが)、あの当時、進歩主義知識人の代表として安保闘争の理論的リーダー格を務めた丸山眞男です。彼は、政治学を専門としているくせに、この安保条約改定の条項が具体的に何を意味するかについてきちんと検討した形跡が何もありません。丸山はろくに勉強もせずに、安保反対の旗を率先して振ったのですね。今回も専門風を吹かせながら、リベラリズム的良心をちらつかせて同じ態度をとっている人たちがいるようです(先の孫崎・柳沢両氏のように)。せめて知識人・言論人には、同じ轍を踏んでほしくないものです。そのために歴史の教訓があるのではありませんか。
もちろん半世紀前に比べて日本の言論界はいくらか成熟していて、この法案を支持する見解も相当見られるようです。また、単なる反対論というのではなく、次のような急所を突いた見解にも耳を傾けるべきでしょう。
・この法案では、官僚が情報を独占する恐れがあり、首相が政治判断する前に官僚によって取捨選択されてしまうのではないか。
これは日本のような官僚主導国家ではかなりその可能性があり、そうならないような方策が必要となるでしょう。
・この法案には、罰則に最低刑の規定がないので有期刑でも執行猶予が可能である(執行猶予は3年以下の懲役または禁錮の場合)。だから事実上、ザル法と言わざるを得ない。
これはなるほどと思わせる部分があります。本当に当事者に抑止効果を与えたいなら、最低刑の規定を設けるべきでしょうね。
ただ、以上のような見解があるからといって、まったく立法の存在意義がないかといえば、そうとも言えないと思います。私はこの法案の意義は、むしろ、国際社会に向けてのアッピール効果にあると考えます。先に述べたように、同盟国はこの法律の存在によって、ある程度信頼を深めるでしょうし、敵対国が日本を舐めてスパイを簡単に送るようなこともいくらかは抑止できる。つまり、まあ、建前をきちんと固めておくおくことによって、ある種の外交上の利点を獲得できる。やくざ世界の仁義のようなものですね。
法案は一両日中にほぼ成立の見込みなので、これからの行方をしっかり見守ることにしましょう。
先の参院選直後、内田さんや藤原帰一さんを始めとする複数の左派知識人が、何とか自民党の勝利の価値を割り引きせしめんと、朝日新聞紙上で熱弁、健筆を揮っておられました。毎度おなじみの恒例行事です。
藤原さんがその手の知識人なのは知っていましたから驚きもしませんでしたが、呆れたのは内田さんのインタビュー記事の内容でした。
内田さん曰く、自民党の勝利は国民が「スピード」と「効率」と「コストパフォーマンス」を、政治に過剰に求めるようになった結果なのだそうです。
ピントはずれもいいところでしょう。もしも内田さんの言うとおり、国民が効率至上主義に取りつかれているのだとすれば、本質的にリバタリアニズム政党である維新の会やみんなの党が、自民党以上の大躍進を遂げていなければおかしいはずです。
彼らは自民党以上に一枚岩であり、市場原理をもって行政機能を代替させることで、はるかに効率的な社会を実現させられるはずですから。
国民もバカではないので、維新の会やみんなの党の最終目的が解雇規制の緩和による労働市場の流動化、すなわち終身雇用制の解体であることには気付いているのでしょう(もっとも、今の勢いだと安倍政権自体がそれに着手しそうですが)。
民主党はもう御免だが、自民党ならそれほど過激なこともしないだろうというのが、自民に投票した国民の平均的な意識だったような気がします。
内田さんも、反自民のポーズが良心的知識人の証だと信じている類の一人だったわけですね。『正論』1月号、まだ書店にあればいいのですが…。
おっしゃること、いちいちごもっともで、全面的に同意します。
内田さんは、『ためらいの倫理学』のころはよかったのですが、名が売れて、妙に政治言論にかかわるようになってからは、ニッポン・サヨク文化人のパターンにすっかりはまってしまったようですね。
大江健三郎氏をはじめとして、村上春樹氏、そして今度は、なんと小林よりのり氏までもそうなりそうな形勢です。
これは、戦後レジームが、文化人を甘えさせ、政治や経済について勉強しなくてもいっぱしのことを言わせて通ってしまうような構造を作ってきたところに原因があると思います。この事態を何とかしなければ。
なお、『正論』1月号、お手に入りにくいようでしたら、知人のブログに投稿したオリジナルがありますので、そちらにアクセスしてみてください。
http://mdsdc568.iza.ne.jp/blog/entry/3144349/
http://mdsdc568.iza.ne.jp/blog/entry/3147035/
またよろしく。
まさに完膚なきまでの批判で、私が一知半解のコメントを差し上げるまでもありませんでした。
近年、論敵を正面切って叩くことをせず、皮肉やあてこすりでお茶を濁す知識人が増えたと感じています。観念的な業界用語を用いずに、正面から敵の主張と四つに組む。『学校の現象学のために』以来、先生の姿勢は変わりませんね。
戦後日本の平和は憲法のおかげなどではなく、冷戦期の政治情勢のしからしむるところであったこと、東アジアの政治力学が大きく変わってしまった現在、外交・防衛に関しては徹頭徹尾プラグマティックに対応しなければならないこと、そして、とにもかくにも目先の経済危機を何とかせねばならないこと、いずれもご指摘のとおりだと思います。
もっとも、内田さんは自衛隊の存在は承認しているようですから、その点では正直といえるでしょうね。自衛隊廃止という本音を隠して、ひたすら「護憲」だけを叫ぶ大多数の左翼知識人よりは、まだまともでしょう。
アベノミクスについてですが、ひたすら経済成長を追い求める生き方はもうやめよう。内田さんはそう言いたいのでしょう。低成長、或いはゼロ成長の平和な福祉国家、内田さんたち左派の理想を集約すれば、まずこんなところでしょうか。
共感するところがないわけではありません。文化的で落ち着きのある成熟した国家を目指すべきだ、と私も思います。ただ一方で、「目先の豊かさ」を度外視する思想は現代において無効だとも、私は考えています。
国民にとって経済成長率とは、「もっと贅沢な暮らしがしたい」という願望の表現というよりも、職業による自己実現とリンクした、一種の希望、幻想なんだろうと思います。知識人ならまだしも、政治家が経済成長を語らずに済ませるというのは、実際のところ不可能ではないかという気がしてなりません。
だったら北欧諸国を見習って、と来そうですが、社会学者の橋本努氏によると、実は現在のスウェーデン経済は新自由主義的理念で運営されており、それによって高い成長率を確保しているのだといいます。こうした大きな政府と新自由主義の組み合わせを、彼は「北欧型新自由主義」と呼んでいます。左翼にとっての「お手本の国」など、もうどこにもないのかもしれません。
経済成長の呪縛から逃れるにしても、内田さん流の粗雑な精神主義では到底無理だという気がします。経済的な豊かさがもたらした恩恵を放擲することなく、しかし新自由主義的が生む相対地獄に巻き込まれることなく生きていくには、一体どうすべきか。小浜先生には、ぜひそのあたりを書いていただければと思っています。
今回も機微をよくわきまえられた、深くうなずかせる内容でした。また勉強にもなりました。
経済成長率というのは、きわめてマクロな指標ですから、だれがどう潤っているのか、それは今後の社会をどのような方向にしていくのか、ということをよく見なくてはなりませんね。「経済成長だけを目指した政治」はけしからんというレトリックで体制批判をすることは、それだけで、批判者自身、社会の仕組みがわかっていないことを暴露しています。
一般庶民が「衣食足りて礼節を知る」状態を維持できること、そのような社会体制をみんなで作り上げること、それが何よりも大切と愚考します。
重い課題を与えられた気も致します。またよろしく。