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兼好法師②(1283?~1352?)
この作品の思想性をうまくつかまえるために、私は自分なりのやり方で、各段が何を主題にしているかを類別し、どこに何段入るかを数えてみました。もとよりこれは単なる便宜にすぎず、分類に迷うものも多くあります。なお序段と最後の二四三段は除きます。
①世間的・世俗的な知恵、世界観と思われるもの。略号「世」と記す。以下同じ。
②「をかし」「あはれ」「おくゆかし」など、風雅な興趣あるさまを語ったもの。「風」。
③人間関係のマナーについての美意識、センスを語ったもの。これは『枕草子』のように、女性的なきめ細やかさを示す。「女」。
④奇譚、エピソード、滑稽譚に類するもの。「奇」
⑤仏教的な無常観の表現。「仏」。
⑥有職故実について語っているもの。「有」
結果は以下の通り。
世 五一――初めにはほとんどなく、中間部から後半に多い。
風 三三――初めの方に集中しているが、後半にも散見。
女 二〇――初めと終わり近くに分かれる。
奇 三六――中間部よりあらわれ、終わりに近づくと少なくなる。
仏 三五――初めにやや集中し、中間部から後半にも散見される。
有 六七――初めにはなく、中間部からあらわれ、後半に集中する。一か所にまとまって出てくるケースが多い。
もし段の順序と書かれた順序が同じだと仮定すると(定説ではほぼそのようです)、若い時には、求道の心、美を愛する心、人付き合いにおいて上品であろうとする心などがせめぎ合って現れ、中年では、世間知や人生上のエピソードなどに関心が移り、老いてからは、職業意識や倫理意識が支配的となるということが言えそうです。
なお、兼好が出家したのは三十歳以前と考えられており、同じ「仏」でも、初めの方と後半とでは、ニュアンスの違いが感じられます。端的に言えば、前半は出家の強い志を自分に言い聞かせているふうで、後半は他人に説教しているような調子が強い。
いずれにしても、「仏」は全体として約15%を占めるにすぎないので(文字数としてはもっと多くなりますが)、このことからも『徒然草』を仏教的な無常観を説いた書と見るのは不適切であることがわかるでしょう。
先に述べたように、この時代には、知的な階層にとって、できるだけ俗事に紛れず死の事実を直視する心構えを日ごろから養っておくというのは、共通の大前提でした。鎌倉末期から南北朝時代という乱世にあって、百姓でも荒武者でも高貴な身分でもなく、知性だけは優れていた人にとって、出家することは、それ以外には道のない当然の生き方でした。
兼好が早々に出家したのは、彼もまた己れの運命に自覚的だっただけだと言えます。その上で、生き延びるためには実質的に還俗ともおぼしき道を選ばざるを得なかったのだと思われます。
こうした前提に立って該当箇所について述べるなら、たしかに四九段、一〇八段、一一二段のように、いつ死が襲ってくるかわからないといった妙に切迫した語り口も見えますが、これと似たようなことは隋唐時代の高僧でも既に言っている常套句の部類に入ります。一方では、次のように、偉い坊さんの寛容で人間味のあるさまをほめたたえている段もあるのです。
《ある人、法然上人に、「念仏の時、睡りにをかされて行を怠り侍ること、いかがしてこの障りをやめ侍らん」と申しければ、「目の覚めたらんほど念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。また、「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。また、「疑ひながらも念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた尊し。》(三九段)
《法顕三蔵の、天竺に渡りて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひけることを聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ心弱きけしきを人の国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、孔融僧都、「優に情けありける三蔵かな」と言ひたりしこそ、法師のやうにあらず、心にくく覚えしか。》(八四段)
つまりは、兼好のような資質の人間の人生にとって、自分が出家僧であることは、それほど重い意味を持たなかったと言えます。
(以下次号)
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