小網神社blog

東京・日本橋に鎮座する強運厄除の神さま・東京銭洗い弁天の社 小網神社のブログです。

アクセルとブレーキ

2022年06月01日 | 小網神社教学 2
当神社では去る5月27・28の両日、例大祭を斎行いたしました。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、昨年、一昨年は、当方のみで祭典を行いましたが、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が、全国どこにも出されていないこともあり、3年ぶりに氏子総代らをお招きしての祭となりました。
当日、久しぶりにお集まりいただいた皆様も晴れ晴れとしており、地域コミュニティの核としての神社の重要性を改めて実感いたしました。
           〇
国内では新たに感染が確認される人の数も減少傾向にあり、何日も連続で前の週の同じ曜日の感染者数を下回っているとの報道もされています。先だっては、都内の神社でも厳しい管理下ではありましたが、本社神輿の渡御が再開され、これまでの日常が戻りつつあることを実感する今日この頃です。
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ロシアのウクライナ侵攻は日々深刻化しています。
「プーチン大統領の戦争」と表現する専門家もいる中で、ロシア正教会のキリル総主教が繰り返した、この戦を支持するかのような発言には、同じ宗教者として考えさせられました。
ロシア正教は事実上、国家の機関ともいえ、同総主教も大統領の「精神的支柱」とされているようですが、宗教が戦争の後押しをすることには抵抗感を覚えます。同じキリスト教のローマ・カトリック教会フランシスコ教皇も、キリル総主教に対しプーチン大統領の「侍者になるな」と発言したそうです。
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宗教は、人々の生活の様々な局面で背中を押してくれるものです。同時に、現状を顧みるという役割も担っています。車の運転に例えるなら、前者がアクセルで後者がブレーキといえるでしょう。
コロナ禍からの脱却で、我々は以前の生活をもとに戻そうと、先を見がちです。皆がアクセルと踏み、前進を試みています。しかしながら、コロナがもたらした様々な変化を今一度見つめ直し、そのうえで、古来受け継いできた物事の本質を見極めることを忘れてはなりません。ロシアのウクライナ侵攻同様、今、我々が必要としているのは、アクセルよりもむしろブレーキなのではないかと考えます。
 
本年、3年ぶりに多くの方をお迎えしての祭りを終え、自省も含め、神明奉仕の誓いを再確認している次第です。

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新年を迎えるにあたり

2021年12月01日 | 小網神社教学 2
 新型コロナウイルス感染症の第5波がようやく収まり、国民のワクチン接種も進んだことなどから、国内の新規感染者も減少し、長かった行動自粛の生活も少しずつではありますが、元に戻ってきたような令和3年の師走になりました。コロナ禍で不安を抱えながら迎えた1年も、間もなく暮れようとしています。
本年、ご鎮座555年の佳節を迎えた当神社では、大きさ3尺2寸、重さ1トンを超える本社神輿渡御をはじめ、さまざまな行事が中止を余儀なくされましたが、先の緊急事態宣言が解除された秋口からは、例年にも増して多くの参拝者がいらっしゃっております。
 一方、海外に目を向ければ、各国では再びパンデミックが起こっており、欧州諸国やロシア、中央アジアなど50を超える国で感染者数や死者数が増加傾向にあるそうです。世界保健機関(WHO)は先月、感染再拡大について強い懸念を示しました。我が国においても、今後、海外からの渡航者に対する規制緩和が進むと、市中に変異種が広がる可能性もあり、引き続き感染対策の重要性を訴える専門家も少なくありません。ワクチン接種が進んだ国でも感染者の増加が見られることから、国内の感染状況が落ち着いてきたことで気持ちを緩めることなく、基本的な感染対策を引き続き心がけたいものです。つい最近では、より感染力が強い可能性があるというオミクロン株が各国に蔓延の兆しを見せています。
 昨年末、政府が全国の社寺への初詣に際して、分散参拝やマスク着用などの徹底を促す提言が出したことはご承知のことかと存じます。明年の初詣に際しても神社本庁は、昨年の政府提言を踏襲し、同様の感染対策を講じるよう全国の神社に通知しています。
 ご存じの通り当神社は、境内が狭く車道に面しており、参拝者の安全確保と、近隣住民・企業への配慮から、本年も以下の対策につき、皆様のご理解ご協力をお願いいたしたく存じます。なお今後も引き続き、神社職員らの衛生管理に努めて参ります。
 当神社を崇敬される皆様、ご参拝される皆様には、以下のお願いを守っていただき、新年がより良き1年となりますよう、衷心よりご祈念申し上げます。

分散参拝のお願い 参拝が集中する2月3日までのお参りは極力お控えいただくよう、ご理解ご協力をお願いします。
参拝時のお願い マスクの着用をお願いし、感染が疑われる症状がある方は参拝をお控え願います。重ねてですが分散参拝へのご協力をお願いします。また、混雑時は2列ないし3列でのご参拝をお願いいたします。
手水の簡略化 引き続き「ひしゃく」を撤去しております。手のお清めのみをお願いします(口のお清めはご遠慮ください)。
「鈴の緒」の撤去 参拝時に鳴らす「鈴の緒」を昨年末より撤去いたしております。
会話や、おしゃべりはお控え願います 当社ではソーシャルディスタンスの確保は極めて困難となります。お並びの際には、会話や、おしゃべりはご遠慮ください。
「限定御朱印」などの頒布中止 混雑緩和のため、初詣限定の御朱印などの頒布は中止します。なお、「龍のしずく守」「おたから小判」「財運向上守」「弁財天鈴守り」など、これまで限定頒布の御守については、引き続き、年間を通じお授け致しております。



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新たな絆の構築に向けて

2021年06月01日 | 小網神社教学 2
 文正元年(1466)に鎮座し、今年、555年の佳節を迎えた当神社では、記念大祭をこの5月に行う予定でした。前回、平成28年の大祭の折には、大きさ3尺を超える本社大神輿が氏子区域である小網町内を練り歩き、地元日本橋にゆかりのある方々をはじめ、神輿同好会員の皆様など、当神社を崇敬される1000人ものご参加がありました。5年に1度のこの大祭を心待ちにされていた皆様も多数いらっしゃったことかと存じます。
しかしながら、新型コロナウイルス感染症の収束していない現状を鑑みますと、本社神輿の渡御などは難しく、関係各位との協議の上、今年3月下旬、記念大祭の中止を判断いたしました。去る5月28日の祭典当日は、神職のみの奉仕による例祭式のみ斎行し、皆様の安寧と事態の収束を神前に奉告祈念いたしました。
国内では、医療従事者、高齢者へのワクチン接種が始まりました。国民全てに行き届くのが、あとどれくらい先になるのかはわかりませんが、今はただただ、集団免疫が獲得され、1日も早い感染症の終熄を祈るばかりです。
一方で、多くの人はワクチンの副反応やウイルスの変異株に効きめ目があるのか、などの不安も抱いているようです。ワクチンの2回接種後も感染する可能性があるそうですから、接種しても、しばらくは感染対策としてのマスク着用や手指の消毒は欠かせないともいわれています。
次回560年記念大祭は、5年後の令和8年5月になりますが、そのころ、人々の生活様式がどう変わっているでしょうか。コロナによって変化してしまった国民の衛生観念や、密集・密接などの「密」に対する概念などが、神輿の渡御や直会と祭りに伴う飲食の機会にどのような変化をもたらすのかは、正直なところ想像ができません。
それでも、祭りには古来、地域社会と人、人と人、そして何よりも各々と神様との絆をより強固なものにする意味が込められてきました。祭りは、コロナ禍で否応なしに遠のいてしまった社会の関係性を見つめ直す絶好の機会であることは変わりありません。当方も、新たな絆の構築にむけ、精進潔斎を重ね、今後の祭典に臨む所存でございます。
時節柄、皆様にはくれぐれもご自愛いただき、どうかお大事にお過ごしいただきますよう、衷心よりご祈念申し上げます。 (宮司 服部匡記)



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記念大祭を終えて。

2016年05月30日 | 小網神社教学 2
去る5月27・28の両日,記念大祭も盛大に斎行されました。
28日午後には、多くの方々のご尽力の下、10年ぶりとなる神幸祭も行われ、大きさ三尺を超える本社大神輿が小網町内を練り歩きました。
祭には地元日本橋の方々をはじめ、神輿同好会員様、当神社を崇敬される方約600人もの担ぎ手さんの御参加があり、神輿渡御も無事に完遂することができました。
多くの方々のお力添えに、衷心より感謝申し上げます。

今回の記念大祭は、地域再活性と当神社を崇敬される皆様との興隆を改めて図り、祭りに集い、皆の魂が昂揚すべく、「集い 昂ぶる」を目標に準備を進めて参りました。
地域と人、人と人、そして各々と神様との絆をより強固なものにした、素晴らしいお祭りとなったことに大いなる感動しています。
改めて当神社が氏子区域である日本橋小網町、そして祭りを愛する皆々様からの真心でお支えいただいているということも確信いたしました。
神幸祭に参加された方から「楽しませてもらいました」という言葉をかけていただく度に感じた幸福感を、今後の御奉仕の励みにして参ります。。
同時に、この町に生まれてよかった、と実感いたしました。

550年の佳節を拝し、さらなる御神威の発揚と神徳の高揚に努め、地域社会の隆昌と皆様のますますの御盛栄を心より御祈念いたします。



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「在る神」と「成る神」。

2016年05月04日 | 小網神社教学 2
熊本地震から何週間かが経った。
犠牲になられた多くの方々に哀悼の念を捧げたい。

連休期間中にもかかわらず、多くの方が復興支援のボランティアに参画されているという。
こういう報に触れると、日本もまだまだ捨てたものではないと思える。
しかし県内では依然余震が続いており、多くの方々が未だ不安な日々を過ごされている。
一日も早い地震の終息と、復興にむけ、自分には何ができるのかを考えたい。

神道の神々は、キリスト教のGODや、仏教のブッダのような宇宙を創生された存在ではないといえる。
それは日本最古の歴史書であり神話でもある古事記のくだりを観ても明らかだ。
天と地とが開けしときに、お生まれになった神が「天御中主神」で、つまり神々の御誕生は自然現象とともにある。
神道の神々は、「在る神」ではない、という神道神学者もいた。

その論理からすれば、神は地震や台風被害などの天災も含めたさまざまな自然現象を支配する存在ではないといえよう。
完全無欠で唯一絶対な存在ではないということになる。
「神は人の敬によりその威を増す」という御成敗式目の言葉通り、神道の神は人びとの祈りによってその御神威を発揚させるべく「成る神」である、ということなのだ。
一日も早く天災を収束させるべく、真摯な気持ちで祈りを捧げつつ、人として何かできるのかを自問していきたいと思う。



 小網神社御鎮座五五〇年記念大祭
期日 平成28年5月27日(金)、28日(土)
○例大祭(社殿にて祭典を行います。神輿の渡御はありません)
 5月27日(金)
  干支絵馬頒布 午前9時(数に限りがあります)
  例大祭式 午前11時
  本社神輿御霊入式 午後6時

○神幸祭(神輿が氏子区域=小網町内を練り歩きます)
 五月二十八日(土)
    発輿祭 午後12時半
    宮 出 午後1時
    宮 入 午後6時
    帰輿祭 午後6時半
    

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一生の幸せ。

2016年04月15日 | 小網神社教学 2
先だって理髪店で順番を待っているとき、店内に流れていたラジオの声にはっとさせられた。

パーソナリティは「一日だけ幸せでいたいならば、床屋に行け」という言葉を発した。
自分が今いる場所が場所だったので、聞き耳を立てた。
彼は「一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え。一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚しろ。一年だけ幸せでいたいなら、家を買え」と続け、最後に「一生幸せでいたいなら、正直でいることだ」と締めくくった。西洋のことわざだという。
幸せは長く続かない、ということを表しているそうだ。

社会において「正直」でいることは案外難しい。一方で「正直者は馬鹿を見る」ともいう。
たしかに、意のままを言葉に出して発したりすると他人を傷つけることにもなりかねない。

神道には「浄明正直」という言葉がある。常にきよく、明るく、正しく、素直なこころで神々に対峙することが人の道の基本だと説いている。
つまり「正直」でいるのは他者に対してではなく自分に対して心掛けなければいけない、ということだろう。
人間はそもそも自分に対して嘘偽りを続けてはいられないものなのだ。

貴重な散髪の機会であった。

小網神社御鎮座五五〇年記念大祭
期日 平成28年5月27日(金)、28日(土)
○例大祭(社殿にて祭典を行います。神輿の渡御はありません)
 5月27日(金)
  干支絵馬頒布 午前9時(数に限りがあります)
  例大祭式 午前11時
  本社神輿御霊入式 午後6時

○神幸祭(神輿が氏子区域=小網町内を練り歩きます)
 五月二十八日(土)
    発輿祭 午後12時半
    宮 出 午後1時
    宮 入 午後6時
    帰輿祭 午後6時半

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神輿を担ぎ分かち合う心。

2016年04月01日 | 小網神社教学 2
来たる5月28日(土)午後一時から、10年ぶりに本社神輿が氏子区域である日本橋小網町内を練り歩く。
神輿には神様の御分霊をお鎮めし、町民の暮らしぶりを直接ご覧にな機会となる。
本来なら一年に一度、行われるべきものだが、さまざまな理由から、当神社では五年に一度、行われてきた。
前回は、東日本大震災の影響もあり、十年ぶりの渡御となる。
まずは無事の斎行を目指し、準備を進めている。

十年前と比べ痛感するのは地域社会の大きな変化である。
町の変化にあわせ、神社の維持運営も変化を余儀なくされた。
その中で痛感したのは「基本」の大切さだ。
神と人、そして人と地域との関係性を単純に思い起こすときなのだと思う。
例えば神幸祭を何年かに一度とすることも、要因はさまざまあるにせよ、結局は人間サイドの「都合」なのだ。
祭りを蔑にして、地域のの、さらに底に住まい勤しむ人の活性化は図れないのは当然と言えよう。

今回の祭りは「集い昂ぶる」をテーマに掲げたのは、まず多くの人が祭りに参加しやすい環境づくりを行いたかったからだ。
とにかく祭りに参加して、気持ちの昂揚を味わっていただきたいのである。
日本人に生まれてきたことの誇りや、その幸福感を、一緒に分かち合いたいと思う。

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「集い 昂ぶる」。 --御鎮座五五〇年記念大祭に寄せて

2016年03月13日 | 小網神社教学 2
来たる5月27・28の両日、御鎮座550年記念大祭の執行が決まった。
27日は例祭式が行われ、28日午後には宮神輿の巡行をおこなう神幸祭が斎行される。

御承知の通り、五年前に発生した東日本大震災をはじめ、諸般の事情から、宮神輿の渡御は十年間滞ってきた。
十年ひと昔という言葉通り、この間、氏子区域小網町だけでなく我が国内も大きく変化し変貌を遂げている。
一時は都心部の人口流出を懸念してきたが、折からの人口増により、日本橋地区にも多くの新住民を迎え入れ、新たな姿に生まれ変わろうとしている。

そこで、今回の記念大祭は、地域活性の再生と町内に住まう、またお勤めにこられるそれぞれの方々や、神社を崇敬されている全国の皆様との興隆を改めて図り、祭りに集い、皆の魂が昂揚すべく、「集い 昂ぶる」を目標に斎行いたしたいと考えた。
ております。地域と人、そして人と人との交流を、そして各々と神との絆を強固なものにすべく、準備を取り進めて参りました。皆々様からのお力添えを衷心よりお待ち申し上げます。
 
御成敗式目の中に「神は人の敬によりてその威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」との言葉がある。
私たちは古来、神様は人びとの参拝で御神威を発揚され、我々は神様を崇敬することで徳や運をお導きいただいてきた。

550年の佳節を拝し、さらなる御神威の発揚と神徳の高揚に努め、氏子崇敬者のますますの御盛栄を祈念いたしたい。




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相対と希望。

2016年03月01日 | 小網神社教学 2
このところ各国の軍事拡大や宗教対立の報道によく接する。
世界平和など理想に過ぎない、と、行く末を案じる心持にすらなりかねない。

日本最古の歴史書『古事記』によれば、神々は天と地が別れた際に誕生された「天御中主神」から脈々と繋がる。
日本の神は、GODのような自然をも超越した絶対的な存在ではなく、自然現象とともに成る相対的な神なのだ。
「神」と「GOD」には隔たりがある。

欧州のケルト信仰やアジア各国の精霊信仰など、キリスト教や仏教が信仰される以前から存在していた民俗信仰も、この相対的な価値観を持っている。
絶対的な価値観は排他的になりやすく、対立を起こしやすい。
日本の神道だけでなく、相対信仰を見直すことは、世界の共存共栄もしくは共生の第一歩ではないだろうか。

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550年大祭に向けて。

2016年02月15日 | 小網神社教学 2
小網神社は文正元年(1466)、疫病鎮静の神として、当時の民衆が合いはかって創建された。
以来、「強運厄除の神」として今日では全国に信仰を広げている。
このたび、来たる5月27・28の両日、御鎮座550年式年大祭を迎えることとなった。
祭典にあたり、歴代の宮司、職員はじめ、氏子崇敬者の方々から継承した歴史の重みを改めてかみしめながら、粉骨砕身して御奉仕を尽くす所存である。

わが国に伝わる神道信仰は、神を敬い祖先を崇める「敬神崇祖」という概念を共通の信仰を根幹とし、地域や家族との繋がりを重視してきた。
多くの宗教が「個人の救済」を中心に成り立っているのに対し、地域性や社会性が加わっていることが大きな特徴といえよう。
常に真心を持って神様、御先祖様に向かい合い、世のため人のために人生を全うするのが、神道の人生観であり、生きる哲学である。

御成敗式目の中に「神は人の敬によりてその威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」との言葉がある。
私たちは古来、神様を崇敬することで運をお導きいただいてきた歴史があるのだ。

550年の佳節を拝し、さらなる御神威の発揚と神徳の高揚に努めてまいりたい。
このたびの式年大祭に当たり、祭典委員長、祭典実行委員長をはじめ各委員の皆々様方、祭典執行に関わられた皆々様の御協力お力添えに感謝いたし、無事なる御奉仕を念じたい。

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懐かしく、清々しく、神々しい神道。

2016年02月04日 | 小網神社教学 2
本日は立春。旧暦の元日だ。
寒波の影響で寒い日が続いているものの、暦の上だかけでなく、春はもうすぐそこまで来ている。

神職を志し、神職資格をいただくにあたって都内の神社でひと月間、鍛えてていただいた。
そこで自分よりも遥かにキャリアのあるベテランの先輩神職から「神道とは何か、簡潔に答えよ」と問われたときのことを今も鮮明に思い出す。
養成機関で習った机上論を、あれよこれよと言挙げして説明するものの、核心部分にはなかなか到達せず、簡潔な説明にならない。
そんな私に先輩はこう言い切った。
「神道とは懐かしく、清々しく、神々しいものだよ」。
懐かしさとは古来の歴史を、清々しさは現在の感覚を、そして未来永劫の御神威を表した言葉であろう。国学者の本居宣長の言葉であるらしい。
以来、我が神道の基本には、常にこの三つの単語を据えている。

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厄除祈願について。

2016年01月15日 | 小網神社教学 2
厄年とは、身の回りの変化によってバランスが崩れやすい環境となる年まわりをいいます。
さまざまな環境の変化にあたり、神様に現状を奉告し、神前で身を清め、神様からお力をいただくのが厄除祈願です。
当社では強運厄除の御利益にちなんで「強運厄除祈願」を年間を通して行っております。

厄年は数え年を基準にしています。
そもそも「ゼロ=無」という概念を神々の御誕生以前に想定している神道では、物事の始まりを「一」とし、生まれて一歳、翌年の正月で二歳と考えます。
厄年一年のお祓いをするので、なるべく早い時期に厄除祈願を社寺で受けましょう、というのが古来の考え方なのです。

日本人の一般的な考え方では、正月を七草(7日)、小正月(15日)、節分(2月3日)までとしてきましたので、「厄除は節分まで」する概念が定着したと思われます。
当神社にも厄除祈祷に関するお問い合わせが、毎年この時期、多く寄せられます。

当神社では、すでに二月いっぱい御予約で満席となっており、早く御祈願をお受けになりたい、という方には当日受付の社寺をお奨めしています。

ただ、各位のおかれている環境や現状ももさまざまであり、厄年を迎える方々の「今」にも個人差があります。
ですので当神社では年間を通して団体でなくすべて個別対応で御祈願を行っています。





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神道に「ゼロ」なしの初詣。

2016年01月01日 | 小網神社教学 2
古来日本人は我々は元日に一斉を年を取るという「数え年」の風習を守ってきた。
満年齢が一般的な現代においても、厄年などには「数え年」を使っている。

そもそも神話の世界では、天と地が開けし時に神様(天御中主神)がお生まれになった。
つまり、天地万物を創造した、ゴッドのような唯一絶対存在として「神」を据えていない。

要するに「ゼロ」は「無」であって、無から有を生んだのは「自然の力」であり、その自然から神もお生まれになったと考えている。
キリスト教やイスラム教が絶対的な存在を崇拝しているのに対し、神道は自然と神、神と人というように神道は相対信仰のであるといえよう。

数え年もその考えに起因している。
生まれて1歳、最初の正月で2歳と考えているのだ。

これが家族や地域社会、ひいては国家の一体感をはぐくんできた。
お正月に、無意識に神仏に手を合わせる習慣もここの考え方に起因しているといえよう。

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