小網神社blog

東京・日本橋に鎮座する強運厄除の神さま・東京銭洗い弁天の社 小網神社のブログです。

人情枯れ 寅さん株ますます上がり

2014年02月22日 | 小網神社教学
映画『男はつらいよ』で車寅次郎役を演じた渥美清さんが他界され、もう二十年近くが経ちました。
渥美さんの死を、多くの人々が惜しみました。
渥美さんと寅さんは、渥美さんの死とともに更に一体感を増し、寅さんの死とも重なって悲しみを深くしたと記憶しています。

国内の都市化と経済の高度成長、それに核家族化の進行…。
これらは国民の価値観や生活を大きく揺るがしました。
寅さんの死は「人情」というわが国が誇る情操に対する、国民的ノスタルジアの死別をも思わせる悲しい出来事でもありました。

「人情」とは、人ならば誰でも持っているはずの、人間らしい心、愛情、感謝、報思の気持、そして暖かい思いやりの心等をさします。
戦後の社会は、これらを遠ざけ、さらに経済優先、利益追求の今日においては、効果測定ばかりに目が行き、社会全体の潜在能力が停滞しているかのようです。
人の「気持ち」が殺伐とし枯れていくことを、我々日本人は古来「気枯れ(穢れ)」と呼んできました。
その穢れをお祓いし、元の心持に戻すのが、神社などで行っている「禊(みそぎ)」や「清め祓い」です。

映画『男はつらいよ』は、この枯れた国に、「人情賛美」を訴えつづけ、国民的共感を巻き起こしました。
神道で説く敬神崇祖即ち神や祖先を尊ぶことは、報恩であり、感謝であり、ひいては、他への思いやりの原点です。
渥美さんの慰霊と鎮魂を祈って止みません。


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物で栄えて、心で亡びる。

2014年02月16日 | 小網神社教学
「物で栄えて、心で亡びる」は、高田好胤氏のことばである。
現在は、心の時代ともいわれながら、このことばを空洞化させる、こころ忘却の時代でもあるといえましょう。

例えば事故が起こると、その保障が最大の問題となります。
被害者も加害者も、ここに思いが集中するもの。
しかし、事故を起こした加害者から「申し訳ありません」という、詫びることばが、仲々出て来ない世の中です。
モノは直せばいいだろう。治療代を出せばよいだろう、では、被害者の気持ちはおさまりません。

現代の経済機構上、金は生活の基礎です。
しかし物は金で動くもの、という概念が先行し、心の軽量化が進んでしまうと、精神や価値感が、薄れていくばかりです。

神道では、すべての物に感謝し手を合わせる信仰があります。
自然界の尊い生命を支える生命体の連鎖の上に、多くの生物は存在しているという理念から来ています。

金、金と金を追い求め、人間生活の基盤である心を軽視する精神構造の上に、果たして本当の幸せ、本当の文化が創造保持できるでしょうか。
「足るを知る」という言葉と共に、物としての金のみを使い、心をわすれ去ってしまっては、もはや心のこもった人間とはいえないのです。

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TBSテレビ『大久保じゃあナイト』の収録がありました。

2014年02月12日 | 神社より
本日、TBSテレビ『大久保じゃあナイト』の収録がありました。
放送は2月15日の深夜24時58分からだそうです。
お寒い中、関係各位の皆様にはお疲れさまでした。

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テレビ朝日『お願い!ランキング』の収録がありました。

2014年02月12日 | 神社より
本日、テレビ朝日『お願い!ランキング』の収録が当神社で行われました。
放送は3月4日とのことです。
お寒い中、関係各位の皆様にはお疲れさまでした。

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感性を研ぎ澄ます。

2014年02月07日 | 小網神社教学
我々は、日常公私を間わず、正しく過去、現在、未来を見ているでしょうか。
正しく過去のことを、現在のことを、そして未来のことを理解しているでしょうか。
そして我々は、正しく過去、現在、未来を語っているでしょうか。

人間関係の中で、見・聞き・語るという動作により、人を傷つけ、いためつけ、陥れていないだろうか。

人聞は生まれながらに、自己顕示欲を持っています。
人に対し、身勝手に知に働けば角がたち、情に樟させば流されるもの。
だから、組織・集団の中で心すべきは、自らを「計算」しないことでしょう。

「我を捨つれば、不思議な知恵の出づるなり」。
我を捨てるとは、生命を捨てることではありません。
地位・名誉・損得を度外視することなのです。
その上に立てば、大切なのは感性といえましょう。
大所高所からの判断は、上質な感性から導かれるものなのです。


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昇殿祈願(厄除などのご祈梼)のご予約状況について(2/5現在)

2014年02月05日 | 神社より
祈祷(強運厄除、商売繁盛、合格祈願、法人祈祷など)のご予約状況についてお知らせいたします。
2月5日(水)現在におきまして、土日祝日につきましては2月のすべて御予約でいっぱいとなっております。
また平日につきましても2月中旬まで既にいっぱいとなっておりますのでご了承ください。

現在のところ平日につきましては2月17日から、土日祝日につきましては3月15日からのご予約となります。
なお、「キャンセル待ち」の受付は行っておりませんの何卒ご理解ください。

当神社では昨年10月より順次、正月祈祷のご予約を承っております。
昇殿祈祷は毎日午前10時~午後4時まで(昼時を除く)予約制で承っています。祈祷のお時間は約20分です。


各日とも午前10時~午後4時まで、30分刻みで、各時間帯ともひと組ずつ(個人またはお知り合い等によるグループひと組)単位で御取りしております。
当神社では集団でのご祈祷を行っておりませんので、各日時先着順の受付とさせていただいております。
一日に10件ほどしかご対応が出来ないため、御予約が立て込んでおります。何卒ご理解ください。

詳細はお電話(03-3668-1080。受付時間午前9時から午後6時まで)にてお問い合わせください。

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厄除は節分まで?

2014年02月02日 | 小網神社教学
明日は節分ですが、広いくくりでは、この日までを「お正月」の期間と捉えられてきました。
当神社では豆まきは行っていませんが、参拝の方に「福豆」を差し上げています。
「福豆」は午前8時から、社頭にてお分けいたします。
数に限りがございますので、無くなり次第終了とさせていただきます。何卒ご承知置きください。

さて、「厄除祈願は節分までに行うものですか」と、電話でお問い合わせの方が多くいらっしゃいます。
「厄年」は、「数え年」で勘定した一定の年齢の方を対象に、かかる一年間のお祓いをを行うものですから、お早めにお受けいただくことをお勧めしていらっしゃる方が多いのです。

もともと我が国には「ゼロ」という概念がありませんでした。
「ゼロ」とは「無」を意味します。この哲学は、キリスト教やイスラムなどが説く、「主」が天地を創造した宗教などに起因しています。
簡単にいえば、キリスト教でいう「GOD」は、「無」から「有」を生み出した御存在なのです。
しかし古事記、日本書紀などの神話には、「天地創造神」は登場されません。
古事記は、天と地が分かれたときにお生まれになった神様として「天御中主神」様がお生まれになっていますが、天地が開かれた自然現象のあとに神様がお産まれになっていらっるのです。
つまり神道の神様は、自然の中からお生まれになっているのです。
神道が「自然宗教」といわれる由縁もそこにあります。
古代ヨーロッパにおける神話を「天地創造神話」とするなら、我が国の神話は「天地開闢(かいびゃく)神話」と分類されています。

ですから、人間も生まれてすぐに「1歳」と考えました。
そしてお正月を迎えるにあたって国民が一斉に一つ年を取る、との考えが「数え年」の根本にはあるのです。
大晦日に生まれた人は翌日二歳になるわけです。
現在は満年齢が一般化し「ゼロ歳○○カ月」という言い方をしていますが、昔は母胎にいる間を「ゼロ歳」と考えていたということです。

ところで現代社会においては、さまざまな「一年」という概念が存在します。
「満年齢」では誕生日、「年度」では4月1日、企業や法人などでは、決算日を境にすることもあるようです。
「厄除」の概念は、「数え年」を基本としておりますが、現代社会において様々な「年」の概念があることから、当神社では、一年を通して厄除祈願を承っております。
ですから、節分を過ぎても「強運厄除祈願」を行っておりますので、どうぞお気軽にお問い合わせください。



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