本日は年越大祓を御奉仕する日となりました。当神社では夕刻、祭典を行ってお清めののち、お預かりした人形を近隣の川にお流しします。
川は海へとつながっており、荒潮によりさらに清められ、清い心でもって新年に迎います。
さて、「過ちて改めざるそれを過ちという」とは論語の中のことばです。
人は誰しも過ちをおかすものです。しかし本当の過ちとは、「反省のない過ち」ではないでしょうか。
「申し訳ありません」「ごめんなさい」とは、心から発せられることばで、反省することですが、昨今、「詫びを入れる」人が少なくなったような気がします。
欧米のような訴訟社会とはまだ言い難いものの、わが国には「詫びたら負け」というような風潮がじわじわと浸透してきているように感じるのは当方だけでしょうか。
そもそも義務とは自己のかかわる社会の利益に対する負担で、権利とは社会を構成する一人一人の利益範囲といえます。
憲法を初めすべての法律は、この権利・義務を一示すものですが、「人」として要求されるのは、法以前の道義或は道徳の上に立った理性理念でなくてはなりません。
お互いが自分の過ちを認めあって、初めて、心の通う社会となるといえます。
眼に見えるものにのみ、眼を向けている時代に終止符を打ち、今こそ眼に見えぬものに眼を向け、大祓を御奉仕いたします。
皆様にはよいお年をお迎えください。
川は海へとつながっており、荒潮によりさらに清められ、清い心でもって新年に迎います。
さて、「過ちて改めざるそれを過ちという」とは論語の中のことばです。
人は誰しも過ちをおかすものです。しかし本当の過ちとは、「反省のない過ち」ではないでしょうか。
「申し訳ありません」「ごめんなさい」とは、心から発せられることばで、反省することですが、昨今、「詫びを入れる」人が少なくなったような気がします。
欧米のような訴訟社会とはまだ言い難いものの、わが国には「詫びたら負け」というような風潮がじわじわと浸透してきているように感じるのは当方だけでしょうか。
そもそも義務とは自己のかかわる社会の利益に対する負担で、権利とは社会を構成する一人一人の利益範囲といえます。
憲法を初めすべての法律は、この権利・義務を一示すものですが、「人」として要求されるのは、法以前の道義或は道徳の上に立った理性理念でなくてはなりません。
お互いが自分の過ちを認めあって、初めて、心の通う社会となるといえます。
眼に見えるものにのみ、眼を向けている時代に終止符を打ち、今こそ眼に見えぬものに眼を向け、大祓を御奉仕いたします。
皆様にはよいお年をお迎えください。