小網神社blog

東京・日本橋に鎮座する強運厄除の神さま・東京銭洗い弁天の社 小網神社のブログです。

先祖の魂は 子孫に伝わる

2014年07月30日 | 小網神社教学
近年、葬儀を行わない「直葬」が増えているといいます。

神道の基本理念は「敬神崇祖」です。
敬神とは神を敬うことで、崇祖とは祖先を尊ぶことです。
ところで日本の仏教も、崇祖を信仰の主流に据えているといえます。
本来の仏教の信仰から考えると矛盾しますが、これは日本の仏教が神道の祖先崇拝の考えを習合させ、独自の仏教を築いたからといえるでしょう。

さて、神道は人の生命は祖からいただき、この世に人として生き、祖から授かった個性・特牲を、諸々の教育により育て、やがて天職を得、職を通し社会生活を経験して行く考えます。
親からいただいた命を通じ天職を通して、世のため、人のために奉仕する。それが神道の人生訓です。
そして与えられた生命を終えると、魂は祖先のもとに再び帰ります。これが死なのです。
この世における一人の人聞は、身も心もすべてのものが、親から子ヘ、祖先から子孫に、流れています。
それを神道では、祖孫一貫と表現しています。祖先を尊び、感謝し、学ぶ心は、ここから出てくるのです。
亡くなった人の魂をあの世にお送りするのは、残された家族の務めであり、これをないがしろにすることは自分自身の魂の行き場を遮断することにつながると考えます。



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堂々男子は…。

2014年07月19日 | 小網神社教学
「堂々男子は死んでもよい」とは明治三十一年、岡倉天心が創設した日本美術院の院歌の一節だそうです。

天心の弟子には、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山がおり、いずれも近代日本画を築き上げました。

天心は、芸術と娯楽の相違を、そのもののために命を捧げられるものが芸術であり、捧げられないものが娯楽であると説いたそうです。

即ち、命を捧げてもなお悔いざるもの、命以上の価値を芸術の中に見いだす精進努力を、弟子たちに説いたとも理解できます。

この一節から、男女の区別なく、人の一生において、堂々命をかける「とき」をしっかりと見定めなければならないと感じます。

何かに命を燃やすところには、充実感や時間を超越した輝いた瞬間があるはずです。

これこそが、日々是好日の心境であり、御祈祷などの祝詞の中でも表現される「今日の生日の足日」でしょう。


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