小網神社blog

東京・日本橋に鎮座する強運厄除の神さま・東京銭洗い弁天の社 小網神社のブログです。

イプシロン打ち上げ中止に思う。

2013年08月28日 | 小網神社教学
宇宙航空研究開発機構(JAXA)が新開発した小型ロケット「イプシロン」の打ち上げが中止になりました。
今回の打ち上げ中止はロケットを管理するコンピューターや回線にトラブルが起きた可能性がある模様です。
発射の19秒前に機体の姿勢異常を検知し、カウントダウンを自動停止したと伝えられています。
イプシロンはロケットに人工知能(AI)を持たせ、機体点検を自動・自律的に行えるシステムを世界で初めて搭載したそうです。

科学万能の時代と言われて久しい今日において、コンピューターの存在は無視できず、PCなしには、社会はもはや成り立たないともいえましょう。
また、機械の存在を打ち消して、現在も未来もありえないともいえます。
PCの普及は多くの成果をもたらしましたが、一方では、その活用によって、失われてしまったものを、見落としてはなりません。

未知の土地への旅には、不安が付き纏います。
さらに機械にふりまわされるともとれる旅には、機械故の不平不満も生まれやすいものです。
しかし、機械だからこそ人智、感情を超えてた危機回避をもたらす可能性も否定できません。

要は「文明の利器」を時々の人間がどう活かすか、ということに尽きるわけです。
JAXAは原因究明を急ぎ、早期の打ち上げ再挑戦を目指すそうです。






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「基本」を見失った「型なし」社会。

2013年08月19日 | 小網神社教学
日航機墜落事故から28年が経過しました。
慰霊登山の様子を伝える報道を拝見し、犠牲になられた方々の御霊に、謹んで慰霊の誠をお捧げしたい気持ちになりました。

事件当時の朝日新聞『天声人語』に、職業人気質についての一文が載っていました。
「人間が人として生きる<基本>を見失った<型なし>社会だけは困る」。
この言葉を述べた方は、五十年もの間、ビルの空調、給排水の管理を続けてきたそうです。
「機械というものは、よく面倒を見れば、それに答えてくれる」という信念をもち、仕事を続けて来られたといいます。
朝出勤すると、母親が子供の額に手を当てるように、モーターや機器を手で触れ、いわゆる「触診」を必ず行ったそうです。
手で触れてみて、異常な熱があればすぐ調べる。それは無言の事故防止策であったといえましょう。

日航機の事故も、圧力隔壁の点検ミスが原因だったと指摘されました。
ミスを犯すのも人間なら、それを防ぐのもまた人間です。
それぞれの分野で、人間の長い歴史が、日本の現在の繁栄をもたらしました。
人として生きる基本を見失った社会を「型なし社会」と呼んだ訳ですが、人としての基本とは何か、先人の教えに耳を傾けたいものです。


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止(とど)まるを知れば殆(あや)うからず

2013年08月12日 | 小網神社教学
連日の猛暑が続いています。皆様にはくれぐれもご自愛くださるよう、お祈り申し上げます。

さて、「止(とど)まるを知れば殆(あや)うからず以て長久(ちょうきゅう)なるべし」とは、老子のことばです。
限度を心得ていれば、安泰である、との意味です。
これに類することばは、いくつかあります。
「中庸(ちゅうよう)」や「過ぎたるは及ばざるが如し」なども、同じ意を表わすものといえましょう。
例えば「地位」「名誉」と「生命」、或は「財」と「命」はどちらが大事でしょうか。
ものを得ることと失うことはどちらが苦しいでしょうか。
欲することは損に通じ、また、蓄えすぎることは大きく失う結果を招きかねません。
腹八分目で満足することを知り、足るを知ることが大事でしょう。
これが「無為自然」を説いた老子の根本的な考えといえます。


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自らを省み、社会を思う。

2013年08月05日 | 小網神社教学
多くの人は、自分のことを中心に考え、事を処していきます。
家庭、職場、社会と、種々集団の中で、常に自己中心的思考を進めれば、必ず歪が出てきます。
所謂「環境問題」などについてを論じる人の中には、世間全般のことを論じつつも、極めて自己主張が強い人が少なくないようです。
環境問題それ自体、同時代の人々を含め、次代の人々のことを考えての問題で、それを利益の道具にのみすれば、それも歪を生むことでしょう。
日常、自己中心的要素の強い人が、社会問題を語っても、あまり説得力をもたないこともあるようです。
神道が説く、「世の為、人の為」の人生とは、自己中心になりがちな、ある意味俗的な人間の本性ともいえる生き方から脱皮する勧めとも考えられます。
社会を思うことは、自らを省みることから始まる、ということかもしれませんね。

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