小網神社blog

東京・日本橋に鎮座する強運厄除の神さま・東京銭洗い弁天の社 小網神社のブログです。

思いくずおれて止むることなかれ

2014年08月31日 | 小網神社教学
思いくずおれて止むることなかれ
とてもかくてもつとめだにすれば
出で来るものと心得べし

本居宣長「うひ山びみ」の一節です。

「才能がない、晩学だ、時間がない、などといって、せっかく学問しようとする気持ちをくじくのはいかがなものか。
ともかく努力を続けれれば、それなりにできるものと思いなさい。」とのいみです。

学問の道に入る人への教えですが、学問に限らず、全ての事柄の置き換えられますね。

人はこの世に生を受けた以上、生きる力を与えられているにちがいありません。

親や周辺の人々は、その人の生きる力を助け、導いてくれるものです。

しかし生きているのは、その人自身。右か左かとわが行くべき道を決定するのは自分自身でしかないのです。

生きる力を最高度に発揮し、充実した人生をすごすことができる人は、誠に幸せですが、そこには不断の努力と人への感謝の心を忘れてはならないともいえます。

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初心を貫く。

2014年08月21日 | 小網神社教学
帝王学として知られる、中国の古典「貞観政要」の中に「創業は易く、守成は難し」という一文があります。

業を起こし始めるときは、事を起こすというパワーがおこり、思いのほか易く開業することができるものです。

しかしこの業を続けることは、開業時の強力なパワーを維持するだけではなく、開業時を上まわる力がないと、業の守成はむずかしいの意と理解することができます。

業を起こした際の初心を貫くことは、今の経済社会では並大抵のことではないでしょう。

そしてバブル時代に多くの企業が初心をわすれ、多角経営に走り、バブル経済崩壊後、大変なリスクを背負って苦しんでいるケースは枚挙にいとまがありません。

「故きを温ねて、新しきを知る」とは、正に初心にもどり、初心を貫く心の確立にこそ、守成への道をつくることであることを示しています。


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「学ぶ」ということ。

2014年08月17日 | 小網神社教学
学ぶ姿勢のある人は、ビジョンを持ち、意欲的で、人柄に活気を感じます。

そして自分自身の哲学を持ち、なによりも謙虚です。

それに反し、学ぶ姿勢の乏しい人は、傲慢で、建設的発言も少いように感じます。

学ぶとは、自分を利するためのものだけではありません。

学ぶこととは己を知ること、とは映画『男はつらいよ』での車寅次郎の台詞です。

自らを深め広め、そして「身の丈」を知ることは、真の見識を持つことにつながるといえましょう。

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御鎮座550年奉祝 祈願銅板奉納のお願い 

2014年08月13日 | 神社より
 氏子崇敬者の皆々様には常日頃より心からの御崇敬御奉賛を賜り、衷心より御礼申し上げます。
 「強運厄除」「東京銭洗い弁天」などの御神徳を仰ぐ社として、全国から参拝者をお迎えしております当神社は、文正元年(一四六六)五月に鎮座され、来たる平成二十八年五月、五百五十年を迎えます。
 この佳節を記念し、昨年より順次、境内整備を行っておりますが、この度、社殿及び神楽殿の屋根銅板葺き替え工事を中心とした社殿修復工事を行うことといたしました。
 現社殿は、大正十二年九月一日の関東大震災後、氏子崇敬者の赤誠により昭和四年に復興いたしました。再建にあたっては、明治神宮ほか、著名神社社殿建立に尽力した宮大工・内藤駒三郎氏を工匠長に招き、現代では再現が不可能と言われる強運厄除の象徴「昇り龍」「降り龍」はじめ精巧な彫刻の数々を施し、麗しく竣工されました。現在、日本橋地区において唯一のヒノキ造りの社殿として、東京都中央区の有形文化財にも指定されております。
 その後、八十余年の歳月が経過しましたが、この間、社殿は昭和二十年三月十日に発生した「東京大空襲」や、度重なる自然災害からの被害も受けず、今日に至っております。「強運厄除」の御神徳の根拠もここにあります。その一方で、戦後の近隣土地建物再開発による社殿の傾斜とともに、近年では酸性雨その他による屋根の老朽化などが進んでおり、雨漏り等による天井、壁、床等に傷みも多く見られてまいりました。この歴史ある社殿を次代に継承すべく、今回、祈願銅板の御奉賛を募らせていただくことといたしました。
 修復に使用する屋根銅板の片面に御奉納者のお名前や御住所などをお書きいただき、その面を直接社殿に取付けてまいりたく存じます。どうか御理解を賜り、お一人でも多くの方々の御協賛を広く呼び掛け、御参画をお願い申し上げる次第です。
 神様と皆々様との絆が益々強固なものとなり、御利益が発揚され、ますます豊かに御暮し頂きますことを切にお祈り申し上げます。

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読書の真髄は「体読」にあり。

2014年08月08日 | 小網神社教学
陰暦の今日は、先祖の御霊を各家に迎えるための「迎え火」を焚く7月13日です。
月遅れの盆の時期になり、国内も夏休みの時期を迎えました。

このお休みを読書に費やすという方もいらっしゃいましょう。
古典、名著に触れる読者の姿勢を述べたことばに「口読むにあらず 心読にあらず 体読にあり」があります。
眼と口で書を読んでも、読んでいるとはいえず、ざれば「心」で読むなら、と思われがちですが、心は雑念を抱え易く、集中を保つことは困難なものです。

「体読」とは、人生体験を通して読書した内容を深め、自らのものにしていくこと。
この「体読」が、読者の姿勢として、最も望まれるものだというのです。

道徳や宗教を深めることは、体験体感なしには難しいものです。
聖人と尊ばれる人々は、常にその一生の人生の中で身体全体で学びを続け、やがて究めた境地に達したということでしょう。

単に読むという経験から、つぎは、読を深め、自らのものにしていく「体験」へと展開することが、引いては人生を深めていくことではないでしょうか。

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