「隣の田んぼは青く見える。」ということばがありますが、人聞は人の幸福が気になるもので、自分だけが不幸だと思いがちです。
そういう人は、とにかく自分に目が向かないで、いつも他人の方にばかりに目を向けていることが多いようです。
不幸の原因は自らにあることについて、いっこうに気づかずに悩んでいることもおおいようです。
人間は二つ持っていますが、そのうちの一つは、「心眼」と称します。つまり自らを見つめる「眼」なのです。
「隣の田んぼは青く見える。」ということばがありますが、人聞は人の幸福が気になるもので、自分だけが不幸だと思いがちです。
そういう人は、とにかく自分に目が向かないで、いつも他人の方にばかりに目を向けていることが多いようです。
不幸の原因は自らにあることについて、いっこうに気づかずに悩んでいることもおおいようです。
人間は二つ持っていますが、そのうちの一つは、「心眼」と称します。つまり自らを見つめる「眼」なのです。
毎年恒例の「万福舟乗弁財天祭」、今年は例祭日の10月28日が日曜日に当たるため、恒例の「くじ引き」は翌10月29日(月)に行います。
本年は、キッコーマンビジネスサービス㈱様、キリンビールマーケティング㈱様、日新製糖㈱様、㈱日清製粉グループ本社様、ヒゲタ醤油㈱様、ヤマサ醤油㈱にご協賛をいただき、各社より奉納していただいた御品を「くじ引き」にてお参りの皆様におわちします。このほか、特賞として、「水晶」「虎の目」の腕輪守も御用意しております。
毎年、弁天祭より限定頒布します「財運御守」(600円)や弁天様の根付(500円)は10月28日(日)よりおわかちします。
明日は彼岸の中日、つまり「秋分の日」です。墓参に行かれる方も多いことかと存じます。
さて、「祈り」には「求める」祈りと「与える」祈りがあります。
求める祈りとは自らの「欲」と関係が深いものですが、与える祈りとは、家族や、友人・知人への祈りで、広く、多くの人々への祈りであり、ひいては国を越えた人々への祈りともいえます。
本来、日本に根付く信仰は、家に神棚をまつり、民族の祖先である皇室の祖神・天照大神をおまつりする伊勢の大神を中心に、地域の守り神である氏神を丁重に崇めるというものです。
その祈りはおのずと家内、地域共同体や職業集団、ひいては国家の安泰と繁栄を祈る、ということを出発点としたのです。
この日本人の信仰習俗を今一度見つめ直し、御神徳を与えていただく神々への祈りを捧げ、その果実を実感してもらいたいと思います。
当社の「どぶろく祭り」が東京メトロさん発行の『沿線だより』11月号に紹介されます。
本日、取材を受けました。
※本年の「どぶろく祭り」は例年通り11月28日(水)に行います。
米国で制作されたある映画がイスラム教を冒涜しているとして、中東で反米デモが拡大化しています。
世界の宗教を大まかに分類すると、一神教と多神教に分けることができます。
一神教とは、欧米・中東の宗教観で、唯一絶対の信仰です。この宗教観が、価値観等の基盤になっていることはいうまでもありません。
イスラム教とキリスト教との宗教観の対立は、まさに価値観どうしの対立でもあるのです。
自らの神を絶対とし、他を認めない排他的宗叡観は、テロ集団としての破壊行動にまで及んでいることは周知のとおりです。
一方、多神教とは、多くの神の存在を認め、これを信仰するもので、東洋、特に日本は、多神教の代表的国家といえましょう。
西洋史を究めるには、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教などを知らねば語れないのと同じように、日本史を究めるには、神道を学ばねば、真の日本史は修められないともいえます。
日本人の精神構造の中に、「和」の心があります。これは多神教である神道の、他の価値観も認めて和し、新たな創造へとつなげるという思考原理といえましょう。
一神教間の対立を耳にする時、これらを解き放つため、多神教が果たす役割の重さを痛感します。
過日社用でお邪魔したお宅に「一日燃焼 一日福」との掛け軸が掲げられていました。
しかし本物の軸は、「一日清閑一日福」と書かれていました。一日何事もなく清々しく閑かに過ごせた幸福感、まさしく日本間にふさわしい軸です。
さて「一日燃焼一日福」ですが、一日を完全燃焼しようと意識することはなかなか難しいことです。
それは、相手のある世の中で、自分だけが燃えてみたところで、どうにもならないことも多くあり、さらに、世界的、地球規模で考えれば、ちっぽけな一人の人聞が燃えてみたところで、何になるだろう、と、考えてしまうと、空しくもなります。
しかし人間として、この世に生をいただいて、「我やらずして誰がやる」の志を掲げて、一日燃焼することは尊いことです。
先代宮司は日々の処世を、「眠りは死であり、目覚めは誕生である」と説いていました。人生80年とするなら人は三万回近くの生き死にを実践していることになります。
今日よりも明日をよりよく生きるため、一日を無駄にせず過ごしたいものです。