小網神社blog

東京・日本橋に鎮座する強運厄除の神さま・東京銭洗い弁天の社 小網神社のブログです。

創造し思考し処理する能力を「才能」という。

2014年03月31日 | 小網神社教学
人は何かを創造する時、まず創造するものをとらえ、創造への思考を重ね、創造行動を開始します。
この一連の流れを確実に実行できる人は、才能ある人と呼ばれます。
3つの「V」とは、即ち、ビジョン=理想を描き、ベンチャー=勇気ある行動をし、ビクトリー=夢の実現、という意味の言葉だそうです。
才能ある人は、中でも「ベンチャー」つまり勇気ある行動をとらねば、真の才能ある人にはなれないといえましょう。
さて、勇気ある行動をとるには、多くの情報を集め、熟慮することが前提となります。要するに勇気ある行動とは、重厚な準備の上に、生まれるものなのです。
不況の時代に、社会の求める人材は、才能ある人材、創造性豊かな人材です。
広くかつ深い知識と体験、そして豊かな感性等の上に、創造性豊かな人材が生まれます。
神道でいう「生成」とは、表面に現われないものの、その内面で多くのエネルギーが充満し、熟成された上で、初めて実をむすぶものなのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内に眼を閉じて 心眼を開け

2014年03月16日 | 小網神社教学
ゴーストライターや論文の改竄等、残念なニュースがお茶の間を賑わしています。

ところで昔は食事の際、食卓に乗るお料理を心ならず粗末にすると、年配者にに「勿体ない。そんなことをすると、バチがつぶれる」と注意されたました。
しかしこの種のお説教は、現在の家庭では、なかなか浸透し辛いようです。
子供たちの中には、「バチなんてあるわけがないじゃあないか」と注意を茶化してしまいます。

ただ、よく考えると、お年寄りのかの注意は、なかなか意味深いように思われます。
何故かというと、お年寄りのいわれるバチとは、人の心の眼をさしているからです。
そんなお行儀の悪いことをすると、心の眼が不自由になり、心なき人になってしまいますよ、とのことなのです。
人はすべからく、自らには心眼を聞き、人の心を失うような姿にならぬ厳しさを持つべきなのです。
神道では、すべてのものは神の所産であり、神霊が宿るとされます。
一粒のお米もまた、神の恵みです。大切にいただかなければならないということです。

お天道様がみている、という言葉が古来ありますが、世にはばから様々な不正は、心眼を持って自らで律すべきものなのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月12日(水)初午(はつうま)祭。

2014年03月10日 | 祭典・行事
今週の水曜日3月12日に初午祭を斎行いたします。

参拝の方には,当日午前八時より先着500名様に「福ばし」を差し上げます。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多くを知れば知るほど未熟さを痛感する。

2014年03月04日 | 小網神社教学
これは、昭和四十七年より、毎日休むことなく十三年半もNHKラジオ英会話講座の講師を務められた東後勝明氏の言葉だそうです。
東後氏は又、多くを知れば知るほど、ますますわからないことの大きさに気づき、迷いを感じる、と、いわれていたといいます。
ロンドン大学大学院出身の東後氏は、その後、再び英国で勉強し直されたそうです。
学問に対する、その謙虚な姿と、対応の率直さには、頭が下がります。

人間はなぜ学問を志すのか。
元文部大臣で哲学者の天野貞祐氏(獨協大学初代学長)は「大学は学問を通じての人間形成の場である」と説いています。
学問を究めることは、生きることを極めることであり、生きることとは、つまり己を知ることに繋がるということでしょう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする