小網神社blog

東京・日本橋に鎮座する強運厄除の神さま・東京銭洗い弁天の社 小網神社のブログです。

豊かさと人間の欲求。

2013年09月25日 | 小網神社教学
暑さ寒さも彼岸までと言いますが、このところ過ごしやすくなってきました。
一方で、先般の台風18号は各地に甚大な被害をもたらしました。
被災された地域の皆様には衷心よりお見舞いを申し上げます。
何よりも一日も早い復興をお祈りもうしあげます。

人間は誰しも豊かさを求めるものです。
公害と称する自然破壊の問題も、豊かさを得るための産物ともいえましょう。
人の欲望は果てしないものですが、この世に生きとし生くるものの共存共栄を考えずして、ただ己の欲望にのみの突っ走りに終わってしまったら、大変なことになります。

人の持つ欲望のおもむくままに日々を過ごしてしまい、健康を害し、家庭を破壊した例は、枚挙にいとまがありません。
しかし、豊かさを求めることを一切断ち、無欲の生活を行えというものでもないのです。
過去の殻にこもることで、安全に生きることが、本当の人生だとは誰も思いません。

自己を十分に生かすためには、自己を拘束する自己以外の力が必要なのではないでしょうか。
それは多くの場合、宗教や道徳心に集約されています。時には、親の愛であったり、妻や夫への願いであったり、子供への配慮であったりするものです。
人間として、生身の人として「生きる」むずかしさ、といえましょう。

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境内整備の工事につきご迷惑をおかけしております。

2013年09月18日 | 神社より
当神社では、平成28年のご鎮座550年の記念行事の一環として、現在、境内整備の第一期工事を行っております。

10月初旬までは、お札やお守りなどをおわかちする「授与所」の移設工事を行っております。
10月7日からの一週間は境内の段差を削る石工事を行います関係で、厄除などの祈願際については7日(月)~11日(金)までお休みさせていただきますので何卒ご了承ください。
また期間中は何かと騒々しい中でのご参拝となってしまいますことを、何卒ご承知おきください。

第一期工事は10月下旬までには完工する予定です。

近隣の皆様や参拝の方々にはご迷惑をおかけいたしますが、ご理解のほど何卒よろしくお願い申し上げます。

なお、10月28日の、恒例の「東京銭洗い弁天」万福舟乗弁財天大祭は例年通り行いますので、皆様のお越しをお待ち申し上げております。

小網神社社務所

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悲しみが授けるもう一つの人生。

2013年09月18日 | 小網神社教学
作家・佐藤愛子さんは二回の離婚歴があり、多額の負債を見事返済したといわれています。
人生は小説より奇なりを地でいった方ともいえます。
その佐藤さんの、これらの苦悩を乗り越えた後の感想を、母親の陣痛、出産に例えています。
それに耐えていけば、新しい人生が生まれる。その苦しみの後に来る新人生に望みをかけて頑張った」そうです。

また、作家・瀬戸内寂聴さんは、幼児の死に直面した親の悲しみに対し、
「その子は、最大の悲しみを教え残して去った。決して無駄な死ではない」
と述べたそうです。

悲しみのない人生はあり得ません。
悲しみの体験を経て、人は自らを知り、人生のひだを知ります。
悲しみ苦しみに背を向けては、人生を完うできないのです。
幾多の悲しみを経た体験に裏付けられた人生論に勝るものはありません。

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今が大事な時だ いま一歩。

2013年09月12日 | 小網神社教学
七年後の2020年(平成32年)、東京五輪の開催が決定しました。
昭和39年に続き二回目の五輪が日本にやってきます。前回さながら日本がまた新たな一歩を踏み出す時といえましょう。

音楽家の故・高木東六さは、長野県伊那町の映画館経営者の家で、武者小路実篤筆の、この書を見てスランプを乗り越えることができたといいます。
「いまが大事な時だ……」の「大事」なのは、一年、一月、一日の中の、「時」という限りあるものの中に、常に存在する「瞬間」といえましょう。
そして「いま一歩」というのは、自己の積極性や自分の行動の限界を遥かに超えたあとの「いま一歩」という強力な行動力を指すものといえます。
人生を生き抜く上で、時を時としてとらえ、又その時を、かけがえのない人生の一瞬として積極的に行動力に期待を寄せる言葉と理解したいのです。

神道は、一年、一か月、一日の「時」への自覚を訴えます。
折目、節目に祭儀を行い、報恩感謝と、個人あるいは集団の活性化、再生産化を祈りにこめ、精神の昂揚と行動によって日常を充実させていくことを重要視してきました。
大事な「時」を見過ごしてはならないでしょう。

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大丈夫 当に雄飛すべし

2013年09月07日 | 小網神社教学
後漢書、越典伝にあることばです。
立派な人間は、おおいに世に出て活躍すべきで、世間の片隅にうもれていてはいけない、という意味でしょう。

人の一生は、順調に進む者もあれば、曲折して行く者と、さまざまです。
しかし、人生のそのたどりつく所は、魚に例えるなら水を得た場でなくてはならないのです。
如何に有能な人材でも、それを発揮しうる場所でなければ、うずもれてしまいます。
自分のおかれている場、あるいは、自ら進めている事業に雄飛し、転ずる要あれば、決断し行動を起こすべきでしょう。

神道には「中今」ということばがあります。「今」というのは一瞬であり刹那的なものです。また、「未来」も、それを認識するのは「過去」にならないと認識しえません。
つまり人間は過去を生きているといえます。その自らの過去を大切にしなければ、今も未来もない、ともいえます。

人は死に臨んだ時、その一生が、早まわしのフィルムのように頭脳に飛来するという人がいました。
その旅立ちにあたり、人はふさわしい人生を歩んだと、誰もが思ってほしいと願います。

神道では、「祖孫一貫」を説きます。
わが過去は、わが祖が喜んでくれる過去であり、わが子孫が称えてくれる過去であってこそ、「大丈夫」といえましょう。

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