内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

夏休み日記(18)― 関係の不均衡を産出していくギヴン・アンド・ギビング

2019-08-20 19:09:32 | 哲学

 今回の夏の一時帰国もあと三日を残すばかりとなった。9月2日からの新学年度のことがもう気になりだしてはいるが、その本格的な準備は来週月曜日からにして、それまでにやっておきたいことを今は優先している。
 9月2日の発表については、その骨子はすでに出来上がっている。テレビ会議を使って日仏を繋ぐセミナーだから、当日の技術的なアクシデントも想定しておかなくてはならない。原稿も状況に応じて縮約しやすいように作成しておく必要がある。その日の午後には学科の新入生向けのガイダンスがあるから、万が一セミナーが予定より大幅に遅れた場合、私の発表はカットということもまったくありえない話ではない。まあ、そうなったらそうなったで仕方ない。
 さて、その発表原稿の隠し味の四番目は、加藤典洋の『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014年)から抽出したエキスである。本書は、福島原発事故が著者に与えた衝撃を契機として構想された。その内容は、重くかつ重大で、軽々に論ずることはできない。
 本書が扱っているのは、原発事故直後に著者が発表した短い文章の中に挙げられたフクシマ以後の三つの課題のうちの三番目、地球規模のエネルギー問題への具体的・現実的な対処について考え抜く上で、「地球と社会の持続可能なありようを支える、今後我々が模索すべきあり方、考え方、哲学とはどのようなものか」という問題である。この問題に、著者は、「有限性に正面から向きあい、それを肯定する思想とはどのようなものか、という問いを手がかりに、取り組んでいる。」(416頁)
 内容豊かな本書を要約することは難しい。最終章「12 リスクと贈与とよわい欲望」に示された著者の提言の一部を引用する。そこに込められた希望を私は共有したいと思う。

新たな関係の創出のためには、リスクが冒されなければならない。

社会のリスクを克服し、新たな関係を作り出すために、最初の一歩を踏み出すという、また別のリスクが必要なのだ。

それは、たとえば、何の見返りもないかもしれないことに、見返りを期待せずに、一方的に交換をもちかけることである。

そのリスクの別の名前は、贈与である。ふつうそのような一方的で絶望的な、リスクそのものであるような交換のもちかけは、贈与と呼ばれているからだ。

そこにあるのは、ギブ・アンド・テイク(give and take)のやりとりではない。それは、システム内部では、関係の不均衡を均衡に戻し、一つの閉鎖回路としての関係を安定化させる動きをもってしまう。昔、私の知人が、貧しい学生のときにほとんど見知らぬ人から数百万円の贈与を受けたが、その人は、自分へのお返しはいらない。その代わり、もし可能な境遇になったら、自分と同じことをまた別の若い人にしなさい、といったそうだ。それで、私の知人は同じことをしている。これは、ギブン・アンド・ギビング(given and giving)のやりとり、関係の不均衡をつねに産出していく動きである。贈与されたものが、贈与する。そこから関係の不均衡が生じるが、それは言葉を換えれば、関係が創出されるということである。