加藤典洋の『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014年)を読みながら、福島原発事故のことを改めて考えたり、現在進行中のアマゾンの森林火災についての情報をネットで追いかけたりしていると、どうしても地球の未来について悲観的なイメージしか浮かんで来なくなり、憂鬱になってしまう。そういう精神状態だと、何をしていてもどこか落ち着かず、上の空になりがちで困る。私が独り悶々と悩んだところで何にもならないのだから、せめて目の前の仕事に集中するほうがよいとはわかっていても、暗澹とした気分が心に浸潤してきて、ついぼんやりとしてしまう。
これではいけない、気分を変えようと、手に取ったのが Pierre Hadot, La philosophie comme éducation des adultes. Textes, perspectives, entretiens, Vrin, coll. « Philosophie du présent », 2019 である。フランスに戻る直前にアマゾンに注文しておいた本で、土曜日の帰宅時にはもう届いていた。講演、対談、インタビュー、雑誌への寄稿、他の著作家の本の序文など、入手が困難な文章が集められている。その中のいくつかはすでに読んだことがある文章だし、その他の文章の中にも何か特に眼新しい所説が見られるわけではないけれど、逆に言えば、どれだけ多くの様々な機会に「生き方としての哲学」をアドが繰り返し強調してきたかが改めてよくわかるような構成になっている。
哲学者は、アドによれば、人々に何を教えるのか。何か特定の仕事ではない。一言で言えば、「人間という仕事」を教えるのが哲学者である。
この本を少しずつ読みながら、哲学者たちの教えに耳を傾けることで、気持を立て直したい。