今すぐ式子内親王について何か書けるほどの準備はできていないが、古典文学の授業で今学期中に和泉式部を取り上げることは計画に入っており、それは『和泉式部日記』の景情一致の場面を取り上げるためなのだが、補足として和泉式部と式子内親王とを対照させることで、両者の歌人としての傑出した資質の異なりには少し触れておきたいと思っている。
馬場あき子の『式子内親王』の初版刊行は一九六九年でちょうどう半世紀前。歌人である著者の最初の評論。式子内親王の史実に関わる部分では、今日の研究によって修正されなくてはならないところもあるが、歌の解釈の踏み込みの深さと歌の成立の背景となる式子の心事への洞察には今なお多くの学ぶべき点があるように思われる。
本書の第二部「式子内親王の歌について」と題され、歌の注釈と解釈に多くの頁が割かれている。その第一節は、式子内親王の心情を『源氏物語』の宇治の大君のそれと重ね合わせて推し量ることから始まる。
冒頭に掲げられているのは、式子内親王が斎院退下後、比較的早く読まれたと考えられる歌。
あと絶えて幾重も霞め深く我が世をうぢ山の奥の麓に
この一首を口誦むに従い思い浮かぶと著者が言うのは、『源氏物語』の「橋姫」の巻の一首。
あと絶えて心すむとはなけれども世をうぢ山に宿をこそかれ
これは不遇な八宮が隠棲地の宇治山荘から冷泉院に奉った歌。式子の歌と共通する「あと絶えて」は「世間的な交わりを断って」ということで、八宮の歌の意は、「世間的な交わりを断つことによって、澄んだ悟りの境地に入るというわけではないが、結局は世を憂いものと思って宇治に隠れ棲んでいるのです」。
これに対して式子の歌は、悟りや仏教的内省などには全く無縁に、直情的うたいすすめているところが、いかにも若い一途な心情を感じさせる。「あと絶えて」と、初一句の据え方を八宮と全く同じにしているなども、本歌に寄せる心情のなみなみならぬものを感じさせるが、また、二句切れの高揚した感情表現には、潔癖ともいえる汚濁への嫌悪と、孤独な春のナルシシズムへの傾斜がみられる。そして、この一首がたまたま八宮の歌を本歌としているというだけでなく、式子の歌にある〈詠め〉―物思い― の心情は、あるとき八宮の姫君宇治の大君の内面と交錯し、錯覚させる共通性をもって読者に迫るところがある。
実在の歌人の心事を物語の登場人物の心情の鏡に映して読み解くことによって、言い替えれば、ロマネスクな世界の中に詩人の感情の共鳴を聴き取ることによって、歌人の内面により深く立ち入ろうとするこの手法は、私にとって大変示唆的である。