内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

式子内親王の珠玉の名歌を訪ねて書林逍遥

2019-02-17 17:12:05 | 詩歌逍遥

 先週の水曜日の古典文学の授業で大岡信の『日本の詩歌 その骨組みと素肌』(岩波文庫)の「四 叙景の歌」の第一節を読んだ。そこに例として引かれていたのが式子内親王の和歌「跡もなき庭の浅茅に結ぼほれ露の底なる松むしのこゑ」であったことについては先日の記事で触れた。
 この和歌を取り上げたのがきっかけで、ここのところ毎日式子内親王の歌を読んでいる。ただ、手元には『式子内親王集』がないので、『新古今集』や注釈書や評論に引かれた作品に限られている。そのうち紙の書籍は、角川ソフィア文庫版『新古今和歌集 上・下』(久保田淳校注)、塚本邦雄『淸唱千首』(冨山房百科文庫、1983年)『王朝百首』(講談社文芸文庫、2009年)『珠玉百歌仙』(同文庫、2015年)。電子書籍として「手元」にあるのは、馬場あき子『式子内親王』(講談社文庫、2018年、初版1969年)、竹西寛子『式子内親王 永福門院』(講談社文芸文庫、2018年、初版1972年)、田渕句美子 『新古今和歌集 後鳥羽院と定家の時代』(角川選書、2015年、初版2010年)、『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今集』(角川選書、2014年)、塚本邦雄『新撰 小倉百人一首』『詩華美術館』『百花遊歴』(いずれも講談社文芸文庫、それぞれの電子書籍版発行年は、2016年、2017年、2018年)。
 今日、これらの書林の中を逍遥しながら、式子内親王の名歌を歎賞していたのだが、ちょっと調べたいことがあってネット上で式子内親王の和歌を検索していたら、萩原朔太郎の『戀愛名歌集』(1930年)中の式子内親王評を引用しているサイトがあった。その評言に惹かれ、新潮文庫電子書籍版を即購入した。これは1954年同文庫刊行版に基づいている。面白いことに、同書の初版1930年版の復刻版(響林社文庫、2015年)がフランスのアマゾンでも買えるようになっている。
 式子内親王を和泉式部と並んで古典和歌の女流歌人中の最高峰と絶賛する近現代の詩人・歌人・批評家は少くないが、朔太郎もその一人。『戀愛名歌集』には式子内親王の歌が二十二首採られている。私が惹かれた評言は以下の通り。

彼女の歌の特色は、上に才気溌剌たる理智を研いて、下に火のような情熱を燃焼させ、あらゆる技巧の巧緻を尽して、内に盛りあがる詩情を包んでいることである。即ち一言にして言えば式子の歌風は、定家の技巧主義に万葉歌人の情熱を混じた者で、これが本当に正しい意味で言われる「技巧主義の芸術」である。そしてこの故に彼女の歌は、正に新古今風を代表する者と言うべきである。

 この評言の直前に挙げられているのが次の一首。

わが恋は知る人もなし堰く床の涙もらすな黄楊の小枕