毎年二月の日仏合同セミナーのための共通の課題図書を決め、それを日本とフランスとでそれぞれ前年の九月から一学期かけて読んでおく。一昨日そのセミナーが終わったばかりだが、さっそく来年のためのテキスト選びを始めた。日本の四月の新学年開始前に決まっていたほういいからだ。
この選定がかなり悩ましい作業なのである。何らかの仕方で日本思想に関わっている著作の中から選ぶというのが第一条件。こちらの学生の日本語能力が十分に高ければ、仏訳あるいは英訳のない日本語の本の中から自由に選べるのだが、それは要求水準としてちょっと高すぎる。
はじめてこのセミナーを担当した年に私が選んだテキストは、高橋哲哉の『靖国問題』だった。これはそのすぐれた仏訳が出たばかりだった。
翌年は丸山眞男の『日本の思想』をテキストにしたのだが、これには仏訳がなかった。未だにない(もうすぐ出るらしい)。その年は概してできのよい学生たちだったので、結果として、みなそれぞれに立派な発表をしてくれたが、読解作業ではみなかなりうんざりしていた。
その次の年は加藤周一の『日本文化における時間と空間』にした。これにも大変優れた仏訳がある。
去年はレヴィ=ストロースの『月の裏側』だった。これはオリジナルがフランス語で、邦訳があるというケース。
今年はラフカディオ・ハーンだったが、これはオリジナルがすべて英語で日本語のテキストが翻訳というケース。過去の例でいうと、ルース・ベネディクト『菊と刀』がそうだったが、このときは私はまだストラスブールにいなかったので聞いた話でしかない。このケースでは、こちらの学生には英語の原文を十分に読みこなせる英語力を持っている学生もいるので、その点で「優位」に立つことになる。
学生は毎年変わるのだから、過去に採用したテキストを再度採用することにも特段の問題はない。やはり私が赴任する前のことだが、九鬼周造の『「いき」の構造』が採用されたことがあった。これには仏訳がある。日本人による旧訳とフランス人による新訳と二つある。だから、またこれにしてもいいのだが、私としては、今まで取り上げられていないテキストにしたい。
今のところ、有力候補は二冊。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』とヘリゲルの『弓と禅』。どちらにも仏訳がある。前者には二つ仏訳がある。内容的には後者の方が私の好みなのだが、原文がドイツ語だというのが難点。仏訳がどこまで信頼できるかこれから確かめてみないといけない。日本語訳は、魚住孝至による新訳が二〇一五年に角川ソフィア文庫の一冊として刊行されている。訳も信頼できそうだし、注・解説も充実している。
ちゃんとした仏訳があるという条件を満たしているその他の候補は、福沢諭吉『学問のすすめ』『福翁自伝』、中江兆民『三酔人経綸問答』『一年有半・続一年有半』、岡倉天心『茶の本』、夏目漱石『私の個人主義』「現代日本の開化」など。一冊の本ではなく、論文一つだけでよければ、まだ他にもあるし、日本の近代以前の古典から選んでよいとなれば、さらに選択肢は広がるのだが。『方丈記』『徒然草』『風姿花伝』など。
以下は、採用の見込みはないけれど、信頼できる仏訳がある重要文献。西田幾多郎『働くものから見るものへ』『一般者の自覚的体系』、西谷啓治『宗教とはなにか』、丸山眞男『日本政治思想史研究』。
仏訳があるけれど使いたくないのは、今西錦司の『生物の世界』。仏訳者が今西の思想を理解せずに訳しているのは明らか。
いましばらく思案することにする。