三月に入ると、研究集会等のためにストラスブールを離れる日も何日かあり、月末にはストラスブールでの講演会の準備もあるから、講義の準備の時間も十分に確保できないことが予想される。そこで、この一週間の冬休みの間に以後の講義の準備と研究集会での発表原稿を準備しておこうと思い決めた。昨日は丸一日、古典文学の授業の準備に没頭していた。
次回のテーマは、「「見ゆ」から「思ふ」へ 万葉集から古今集への世界認識の転回点」とした。このテーマについては、ストラスブールに赴任してきた最初の年に修士二年の演習で触れる機会があったが、今回は一コマ全体をこのテーマに当てる。参照する文献は以下の通り。佐竹昭広『萬葉集抜書』(岩波現代文庫、二〇〇〇年、初版一九八〇年)、白川静『初期万葉論』(中公文庫、二〇〇二年、初版一九七九年)小西甚一『日本文学史』(講談社学術文庫、一九九三年、初版一九五三年)、唐木順三『日本人の心の歴史』(ちくま学芸文庫、一九九三年、初版一九七六年)。
授業では、佐竹書の「「見ゆ」の世界」、白川書の第四章「叙景歌の成立」、小西書の第一章と第二章、唐木書の「二 古今集における「思ふ」について、及び王朝末、中世初期に現はれた「心」への懐疑と否定」からの抜粋を読ませつつ、なぜ「見ゆ」の詩的世界が古代において終焉し、それにとってかわるように「思ふ」が詩的言語として頻用されるようになったのか、より端的に言えば、詩的表現世界の要が「眼」から「心」と変ったその理由を考察する。