内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日仏合同セミナーを終えての感想

2018-02-08 15:01:29 | 雑感

 昨日は、朝から一日、法政大学哲学科の学部学生23名、引率のA先生とストラスブール大学日本学科修士14名との合同セミナーであった。私が主に司会進行役を務めた。午前中から昼食までは、修士課程の責任者の同僚も参加してくれた。昼食時には、さらに、大江健三郎の『セブンティーン』について今日の午後日本語で学生たちに講演してくれる前学科長も駆けつけてくれた。
 午前から午後の部の前半にかけて、両大学それぞれからの3つの計6つの発表とその質疑応答を順次行い、その後、日仏混合の6つのグループに分け、発表と質疑応答を踏まえてのディスカッションを学生たち自身のイニシアティブにまかせて行わせ、A先生と私とは各グループを巡回して、議論に参加したり、参考意見などをのべたりした。
 全体として、4回のスカイプ授業も含めた双方での半年間の準備の成果がよく出ていたと思う。昨年9月から、レヴィ=ストロースの『月の裏側』の読解を出発点として、口頭発表の練習を授業内で繰り返しつつ、徐々に発表テーマを絞っていき、最終的には、三つのテーマ「神話・宗教・迷信」「労働と自己形成」「自然と人間との関係」について、日仏各一グループが交互に発表を行なった。
 セミナーの後は、全員チャーター・バスでアルザスの Mittelwihr という小さな田舎町にある宿泊施設に移動し、その食堂で皆で夕食、そして、食後、毎年好例の懇親会が開かれた。例年よりも参加者が多かったこと、その日の夜はその宿泊施設に他の宿泊客がおらず、事実上私たちだけの貸し切りで周囲を気にしなくてよかったことなどもあり、学生たちはこれまでに例がないほど大いに盛り上がっていた。
 その様子を何人かの日本人学生たちと彼らにとって身近なあれこれの話題についておしゃべりしながら「観察」していたが、特に、日本学科の学生たちが普段は見せたことのない楽しげな様子で日本人学生たちと歓談してるのを見ているのは楽しかった。
 お開きになったときは午前零時を回っていた。皆で手際よく会場の後片付けも済ませ、部屋に戻ったときは零時半に近かった。一部の学生たちはその後もしばらく騒いでいたようだが、さすがにこちらは疲れて、すぐに寝てしまった。
 今朝は、そんなわけで少し寝不足で疲れも残っていたが、気分は悪くなかった。ストラスブール中央駅までまたチャーター・バスで戻り、それから午後4時からの講演まで市内観光をする学生たちとは一旦別れ、私は直接大学に向かった。午前中に学生との面談が数件入っていたからである。
 その面談の一つでとても嬉しいことがあったのだが、もうそろそろ上掲の講演を聴きに大学に戻らなくてはならないので、そのことについては明日の記事で話題にする。













「あらゆる理解は、愛を通してなされる」― ハーンとチェンバレンの失われた親交の形見

2018-02-07 06:19:41 | 読游摘録

 ラフカディオ・ハーンの来日当初の良き理解者でありかつ庇護者であったチェンバレンは、ハーンと同い年であったが、1873年にいわゆる「お雇い外国人」として来日し、1886年にはすでに東京帝国大学で教鞭をとりはじめていた。1890年にハーンが来日して以降、両者はしばらく親密な親交を結んでいる。松江の英語教師の職を紹介したのも、のちに東京帝国大学の講師の職を紹介したのもチェンバレンであった。
 皮肉なことに、ハーンが帝国大学講師となってからは、つまり同じ大学の構内で教鞭をとるようになってから、逆に両者の関係は疎遠になってしまう。日本観の違いがきっかけだといわれている。
 しかし、それはそれとして、二人のあいだにはかなりの分量の往復書簡が残されていて、それらは、両者の関係・それぞれの日本観・当時の日本社会の様子を知る上での貴重な資料になっている。
 チェンバレンは、ハーンの没年の翌年1905年にその著書『日本事物誌』の第五版を刊行しているが、その中で、リヒャルト・ワーグナーの言葉を引きながら、ハーンを絶賛している。

 細部における科学的正確さが、繊細で柔和で華麗な文体と、これほどうまく結合している例は、かつてほかにないであろう。これらの真に深みのある創見にみちた著作に接すると、私たちはリヒャルト・ワーグナーが言った言葉の真実を感ぜずにはいられない。「およそあらゆる理解は、愛を通してのみ、我等にいたる」。
 ハーンは誰よりも深く日本を愛するがゆえに、今日の日本を誰よりも深く理解し、また、他のいかなる著述家にもまして読者に日本をより深く理解させる。(池田雅之『NHK 100分 de 名著ブックス 小泉八雲 日本の面影』より)

 その繊細な文化と素朴な民衆たちをこよなく愛し、英語で名文を書く異数の才能をもった異国出身の一人の作家を恵まれたことは、日本にとってほんとうに幸いなことであった。












作家の肖像をやさしい言葉の筆で鮮やかに描き出す ― ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉『小泉八雲 ―日本を見つめる西洋の眼差し』

2018-02-06 22:10:53 | 読游摘録

 このシリーズ、取り上げられている人たちの他に類例を見ないヴァライティと意外な組み合わせからして、この企画を立ち上げた編集者たちの慧眼が光っている。
 私自身は、同シリーズの他の本は読んだことがないので、全体の評価は留保する。その上で言うが、この小泉八雲の巻は素晴らしい出来だ。
 中学生から読めるようなやさしい日本語で、この特異な作家の肖像をそれまでに類例を見ない生き生きとした筆致で見事に描き出している。著者名がなく、筑摩書房編集部の出版物となっているところがまた好ましい。構成・文は斎藤真理子と目次の前の頁にクレジットがあるけれど、有名な誰それとかその道の権威とかが書いたからなどという余計な先入見なしに読めるのも本書のメリットの一つだ。これは、ほんとうに対象に対する深い愛情と理解(この両者は不可分だと思う)に裏打ちされた良書だ。
 特に、小泉八雲が小泉八雲になる前の、来日前のラフカディオ・ハーンとしてのギリシア、アイルランド、イギリス、フランス、そしてアメリカでの波乱に満ちた数奇な人生について多くの頁が割かれていることが本書を類書に抜きん出た優れた一書にしている。その記述は書誌的な博捜に裏打ちされ、きわめて興味深い。
 蛇足でしかないあとがきや贔屓の引き倒しのような解説もないのもいい。
 本文の最後の短い段落は、小泉節子の『思い出の記』のさりげなくも感動的な語りに基づいた、八雲のこの上なく穏やかな最期の描写である。そこだけ引こう。

夕食後、八雲は小さい声で「ママさん、先日の病気また参りました」と言い、横になると、しばらくして息を引き取りました。苦しんだ形跡はなく、口元には微笑みをたたえた死に顔でした。











小泉八雲の創作上の有能なアシスタント ― 小泉節子『思い出の記』を読む

2018-02-05 16:54:29 | 読游摘録

 小泉八雲の妻節子は、八雲にとって良妻であったばかりでなく、その創作上の有能なアシスタントでもあった。
 節子の談話の聞書である『思い出の記』は、八雲の日常を活写し、その人柄と感性をよく伝えているとても興味深い読み物である。そこには八雲が使う奇妙な日本語が忠実に再現されていて、それが二人のやり取りの記録を生き生きとしたものにしている。その語りには、八雲の性格についての冷静な観察、その前提としての愛情に満ちた理解、その上、巧まざるユーモアが随所に感じられ、それらを通じて節子の知性と人柄もまたよく表現されている。
 この『思い出の記』は、角川ソフィア文庫『新編 日本の面影II』の巻末に収録されていて、簡単に入手できる。この聞書を漱石の妻鏡子の『漱石の思い出』と比較しながら読んでみるのも面白かろうと思う(鏡子にとっては、ちょっと意地の悪い企みになってしまうかもしれないが)。
 八雲の『怪談』の基になる話を節子がどのように語って聞かせ、それに対して八雲がどう反応し、どのように記録していったかを叙述しているところはとりわけ精彩に富んでいる。そんな部分をちょっと長いが引用しよう。

 怪談は大層好きでありまして、「怪談の書物は私の宝です」と言っていました。私は古本屋をそれからそれへと大分探しました。
 淋しそうな夜、ランプの心を下げて怪談を致しました。ヘルンは私に物を聞くにも、その時には殊に声を低くして息を殺して恐ろしそうにして、私の話を聞いているのです。その聞いている風がまた如何にも恐ろしくてならぬ様子ですから、自然と私の話にも力がこもるのです。その頃私の家は化物屋敷のようでした。私は折々、恐ろしい夢を見てうなされ始めました。この事を話しますと「それでは当分休みましょう」と言って、休みました。気に入った話があると、その喜びは一方ではございませんでした。
 私が昔話をヘルンに致します時には、いつも始めにその話の筋を大体申します。面白いとなると、その筋を書いて置きます。それから委しく話せと申します。それから幾度となく話させます。私が本を見ながら話しますと「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければ、いけません」と申します故、自分の物にしてしまっていなければなりませんから、夢にまで見るようになって参りました。

 […]たとえばあの『骨董』の初めにある幽霊滝のお勝さんの話の時なども、私はいつもように話して参りますうちに顔の色が青くなって眼をすえているのでございます。いつもこんなですけれども、私はこの時にふと恐ろしくなりました。私の話がすみますと、始めてほっと息をつきまして、大変面白いと申します。「アラッ、血が」あれを何度も何度もくりかえさせました。どんな風をして言ったでしょう。その声はどんなでしょう。履物の音は何とあなたに響きますか。その夜はどんなでしたろう、私はこう思います、あなたはどうです、などど本に全くない事まで、いろいろと相談致します。二人の様子を外から見ましたら、全く発狂者のようでしたろうと思われます。

 ここまでくると、これはもうほとんど夫婦合作だといってもいいのではないだろうか。だれか才能ある映画監督に映像化してほしいシーンでもある。













作家が作家を訳すとき ― テオフィル・ゴーティエ-ラフカディオ・ハーン-芥川龍之介

2018-02-04 18:21:03 | 読游摘録

 ラフカディオ・ハーンは、1890年に来日する前にすでにアメリカで作家として高い評価を受けていたし、日本に帰化して小泉八雲と名乗るようになってからも作家・著作家としてはすべて英語で作品を書いたから、その名を日本近代文学史の中に書き込むことには無理がある。
 しかし、『日本の面影』をはじめとした日本についてのエッセイやあるいは再話文学としての『怪談』などがその日本語訳によって日本人に広く親しまれていることは、他の西洋の作家の邦訳の場合と同断に論じることはできない。
 それに、日本の近代作家たちに直接・間接の影響を与えていることも無視できない。そのような作家として、夏目漱石、芥川龍之介、永井荷風、萩原朔太郎らの名を挙げるだけでこの見解は十分に正当化されるだろう。
 さらには、再話文学者として、日本という枠組みを超えて、ペロー、アンデルセン、グリム兄弟、そして我が上田秋成、芥川龍之介、中島敦とともに、その系譜の中に不朽の名を刻んでもいる。
 日本近代文学史とハーンとの関係でもう一つ注目すべきだと思われることは、ハーンが、来日前、1870年代半ば、25歳頃から数年、アメリカでフランス文学の翻訳に打ち込んでおり、アメリカに住んでいる間に翻訳した作品は約二百にも上るが、そのいくつかが日本の作家によって日本語に重訳されていることである。
 特に、テオフィル・ゴーティエの『死霊の恋』(La Morte amoureuse)は、同作に登場する女性吸血鬼の名をとった Clarimonde というタイトルの下、ハーンによって英訳されているが、芥川龍之介はこの英訳を「クラリモンド」というタイトルで日本語に訳し、友人久米正雄訳として1914年に出版している(今日では、『芥川龍之介全集』第一巻に収録されている)。
 芥川がフランス・ロマン主義作家の作品をハーンの英訳から重訳することを通じて自身の作家修業ために学んだことも、日本近代文学史のよりよき理解のために欠くことのできない一要素ではないかと思う。











ロンドンの公園で若きラフカディオ・ハーンが聞いた父母未生以前の聲 ― 『心―日本の内面生活の暗示と影響』にふれて

2018-02-03 18:30:04 | 読游摘録

 西田幾多郎は、1914年に友人田部隆次が出版した『小泉八雲伝』(早稲田大学出版部)に序文を寄せている。その中にラフカディオ・ハーンの文学者としての特質をよく捉えていると思われる次のような記述がある。

 ヘルン氏は万象の背後に心霊の活動を見るといふ様な一種深い神秘思想を抱いた文学者であった、かれは我々の単純なる感覚や感情の奥に過去幾千年来の生の脈搏を感じたのみならず、肉体的表現の一々の上にも祖先以来幾世の霊の活動を見た。氏に従えば我々の人格は我々一代のものでなく、祖先以来幾代かの人格の複合体である、我々の肉の底には祖先以来の生命の流が波立って居る、我々の肉体は無限の過去から現在に連なるはてしなき心霊の柱のこなたの一端にすぎない、この肉体は無限なる心霊の群衆の物質的標徴である。(『思索と体験』所収、『西田幾多郎全集』第一巻、2003年、326頁)

 ハーンが1896年に出版した『心―日本の内面生活の暗示と影響』(KOKORO: Hints and Echoes of Japanese Inner Life)に収録されたエッセイ「門つけ」(“A Street Singer”)の中に、二十五年前にロンドンでどん底生活を送っていた十七歳から十八歳にかけての頃の自分の想い出がふと挿入されている。その話はとても印象深く、そこに込められた思想は上掲の西田の見解とも照応する。
 ある夏の夕べのこと、ロンドンの公園を歩いていたハーンは、ひとりの少女が「おやすみなさい」と通りがかりの人に言っているのに気づく。

 One summer evening, twenty-five years ago, in a London park, I heard a girl say “Good-night” to somebody passing by. Nothing but those two little words,— “Good-night.” Who she was I do not know: I never even saw her face; and I never heard that voice again. But still, after the passing of one hundred seasons, the memory of her “Good-night” brings a double thrill incomprehensible of pleasure and pain, — pain and pleasure, doubtless, not of me, not of my own existence, but of pre-existences and dead suns.

 少女の「Good-night」という聲は、単にその少女一個の肉体から発された言葉ではない。それは滅び去った数多の歳月の積み重ねからなる「前世」からの、父母未生以前からの響きを、今、ここに伝えている。だからこそ、若きハーンの暗鬱な心を捉えたそのときの少女の聲は、それを聞いてから四半世紀も経った今もなお、曰く言い難い悦びと苦痛をもたらす、と言っているのだろう。
 言葉は、西田が言うところの「過去幾千年来の生の脈搏」であるからこそ、このように時を通じて時を超えた「繋がり」あるいは「結び」がいつでも起こりうるのではないだろうか。












問いとしての鏡 — ラフカディオ・ハーン『日本の面影』にふれて

2018-02-02 23:59:32 | 読游摘録

 ラフカディオ・ハーン『日本の面影』は、もともとは Glimpses of Unfamiliar Japan というタイトルで1894 年にアメリカで出版された。本書は、『怪談』とともに作家ハーンの名を不朽にした代表作である。
 その第一章が「東洋の第一日目」(« My First Day in the Orient »)で、日本に到着した最初の日の横浜での体験を中心に記録した「記念碑的な文章」(池田雅之訳『新編 日本の面影』「訳者あとがき」)である。
 この文章の第9節の終わり近くに、ハーンが訪ねたある寺の内陣で本尊を探していて、思いもかけず鏡と向き合うことになる、とても印象的なシーンがある。

And I see—only a mirror, a round, pale disk of polished metal, and my own face therein, and behind this mockery of me a phantom of the far sea.
     Only a mirror! Symbolising what? Illusion? Or that the Universe exists for un solely as the reflection of our own souls? or the old Chinese teaching that we must seek the Buddha only in our hearts? Perhaps some day I shall be able to find our all these things.

 そして、寺で丁寧に配慮に満ちた応対をしてくれた病気がちの老僧が自分を長いこと見送ってくれたことを記した後、同節は次のように結ばれている。

     Then the mockery of the mirror recurs to me. I am beginning to wonder whether I shall ever be able to discover that which I seek—outside of myself! That is, outside of my own imagination.

 鏡は問う。お前は何を探しているのか、と。













「心空なり」― 恋の心は上の空

2018-02-01 23:23:32 | 読游摘録

 昨日の記事では、つい愚痴愚痴グッチーになってしまいました。はぁ~、いい年こいて、情けねー。愚痴った後は気分が悪いって、わかってんのになぁ。俺の脳って、ひょっとして、学習機能が標準装備されてないのかなぁ(えっ、それってオプションだったの!?)。
 それでぇ、今日から2月ですしぃ(って、カンケーねーし)、スパッと気持ちを切り替えて、これからは、明るく、楽しく、清く、正しく、前向きに、一日一日を生きていこーかなぁーなんて、思いを新たにしちゃったりしております(な~んか、ぜんぶウソくさいんですけど)。
 それはとにかくといたしまして(でたぁ~、必殺得意技、話の「はぐらかし」)、『万葉集』全歌読破計画は順調に進んでおります(それはいいけどさぁ、3月のシンポジウムでの発表原稿とか、講義ノートとか、ちゃんと準備進んでんの?― そういう話はまた別の機会ということでお願いします)。 現在、巻十一の二千五百番台の歌を読んでいるところでございます。
 昨日、こんな歌に出会いました。

たもとほり 行箕の里に 妹を置きて 心空なり 土は踏めども (2541)

 愛しい娘を置き去りにしたままで、心はただ上の空。足は土を踏んでいるけれども、ってなとこですね。「心空なり」という表現には類歌があります。

立ちて居て たどきも知らず 我が心 天つ空なり 土は踏めども (2887)

 愛しいひとのことを想って、もう居ても立ってもいられないってときは、心が空いっぱいにふわふわ広がっちゃうんですね。

我妹子が 夜戸出の姿 見てしより 心空なり 土は踏めども (2950)

 夜、自分が来るのを待ちかねて外に立っている彼女の姿を見ちゃってからは、もう、心はただ上の空。そりゃぁそうだわね。