内的自己対話-川の畔のささめごと

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作家が作家を訳すとき ― テオフィル・ゴーティエ-ラフカディオ・ハーン-芥川龍之介

2018-02-04 18:21:03 | 読游摘録

 ラフカディオ・ハーンは、1890年に来日する前にすでにアメリカで作家として高い評価を受けていたし、日本に帰化して小泉八雲と名乗るようになってからも作家・著作家としてはすべて英語で作品を書いたから、その名を日本近代文学史の中に書き込むことには無理がある。
 しかし、『日本の面影』をはじめとした日本についてのエッセイやあるいは再話文学としての『怪談』などがその日本語訳によって日本人に広く親しまれていることは、他の西洋の作家の邦訳の場合と同断に論じることはできない。
 それに、日本の近代作家たちに直接・間接の影響を与えていることも無視できない。そのような作家として、夏目漱石、芥川龍之介、永井荷風、萩原朔太郎らの名を挙げるだけでこの見解は十分に正当化されるだろう。
 さらには、再話文学者として、日本という枠組みを超えて、ペロー、アンデルセン、グリム兄弟、そして我が上田秋成、芥川龍之介、中島敦とともに、その系譜の中に不朽の名を刻んでもいる。
 日本近代文学史とハーンとの関係でもう一つ注目すべきだと思われることは、ハーンが、来日前、1870年代半ば、25歳頃から数年、アメリカでフランス文学の翻訳に打ち込んでおり、アメリカに住んでいる間に翻訳した作品は約二百にも上るが、そのいくつかが日本の作家によって日本語に重訳されていることである。
 特に、テオフィル・ゴーティエの『死霊の恋』(La Morte amoureuse)は、同作に登場する女性吸血鬼の名をとった Clarimonde というタイトルの下、ハーンによって英訳されているが、芥川龍之介はこの英訳を「クラリモンド」というタイトルで日本語に訳し、友人久米正雄訳として1914年に出版している(今日では、『芥川龍之介全集』第一巻に収録されている)。
 芥川がフランス・ロマン主義作家の作品をハーンの英訳から重訳することを通じて自身の作家修業ために学んだことも、日本近代文学史のよりよき理解のために欠くことのできない一要素ではないかと思う。